まったりとした少女二人の日常。
しかしそれはポストアポカリプス(文明崩壊後の日常)であるため、いい意味でただ単に「萌え」るのを許さない。
描かれる世界には基本的にチトとユーリの二人しかいない。
そこが重要な点で、広義的な見方をすれば、人間が二人いることで、新たな文化・文明が屁理屈かもしれないが、成立するのである。
彼女たちの日常はそのまま、崩壊後の一つの文明たり得るのである。
それが印象付けられるのは、彼女たち以外のキャラが登場した回だ。
終末世界においては、もはやいかなる希望も、視点によって悲劇にもハッピーエンドにも変容する「メリーバッドエンド」よろしく、
複雑な感慨を見るものに与える。
そしてそれは、失敗に対しても、である。
大きな挫折が訪れた際にも、終末であれば、不思議と肩の荷が下りきり、「絶望と仲良くなる」のだ。
そう、それはあくまでも絶望であるはずなのに、絶望として描かれない。
終末において、一切の尺度は意味をなさない。
それは自身が生きる意味すらもであるが、哲学もまた、文明であれば、もはやその問は過去の産物。
徐々に明かされるその世界の実像に、各々は何を感じるだろうか。
それをこうして問いかけることができ、伝える手段があるこの時代に感謝して、ひとまず感想を終える。