ついこの間、ちょっと困った質問を頂きました。
「現代医療の点滴投与やら栄養剤打てるわけでもないのに意識無しで生きていけるってことですか1週間も寝たきりなら筋力も減ってきますよ? 一月と10日越えて大丈夫とかファンタジーな魔術的な療法か何かでしょうか?」
というのですが。
他の人の異世界小説とかでも、現実世界と比較して「ここおかしい」「なんでそうなるの?」的なことを言ってる人がいて、私なんぞは読みながら、
「まぁ~、いいじゃないの。そこは。物語の本筋と関係ないんだしさー」
なんてのんびりしちゃってたんですが、自分のところに来ると、けっこう…考えさせられますね。その作者さんがものすごくそれで弱っちゃって、しばらく停止しちゃってたのが、なんとなくわかります。
よくあるのがいわゆる『じゃがいも』論争でしょうか。
(中世においてはじゃがいもはなく、大航海時代を経て南アメリカから持ち帰ってきてからだ! という中世にはじゃがいもない論争)
私の小説でも早々にじゃがいも出してたんで、誰か何か言ってくるかと思いましたが、そこについてはスルーされました。
言ってくる人の立場からすると、
「異世界だからって、なんでもかんでもOKってわけじゃないだろ!」
と言いたいのでしょうね。
ただ反対にそれならば、現実世界にあるものがそのまんま異世界にある事自体、おかしくないですか? と思うのですが。
これは前に近況ノートで私の異世界を描く際の立ち位置でも書いたことですが。
2022/7/29 翻訳作業として
https://kakuyomu.jp/users/AoiMinakawa729/news/16817139557206900265そもそも『異世界』であるならば、本来人が人であるかどうかも含めて、それが私達の生きる世界と同一のものと決めてかかることに無理が生じませんか?
多くのフィクションが人を基準に描くのは、それは受け手が人だからです。受け手に合わせる形で、ある程度までのフィクションの許容できる範囲を設定するわけです。この落とし所はそれこそ制作者によりけりですし、受け手にもよりけりです。
(それこそ小説だけではなく、ゲームなどもそうです)
今回のオヅマの意識不明期間長すぎ問題で言うならば、そもそもオヅマという異世界人が私たち現実世界の人間と同じ体組織を持って生きているのか、その世界の大気自体も酸素と窒素、水素、二酸化炭素などで構成されているのか。そういう分子によってその世界が構成されているのか…?
あとは時間もこちらと同じ24時間ではないですし、一ヶ月も30日ではありません。(これについては設定集にメモしてますが)
そーゆーこと言い出したら、すべての異世界ものが破綻するだろ! というのは、全くその通りで、今、この現代において流行している異世界モノ自体、『大多数の漠然とした共有認識』によって成り立っているわけです。
で、私もそこに乗っかって書いてます。
その上での差別化をはかっていくのが、作者の腕の見せ所なんでしょう。
それでも「やっぱりおかしい。『現実』に『有り得ない』」と仰るならば、そうですか、と言うしかありません。
受け取り側が、違和感を生じて読むのが嫌だとなれば、それについては制作者側は許容し、黙って彼らが去るのを見送るだけです。
…しかし、ここで引っかかるなら、どうして『澄眼』とか『千の目』はOKなんでしょうかね? こういうの言い出したら、ほとんどのフィクションの必殺技とか、おかしいと思わないといけなくないですか?
でも、必殺技とかは「おk」なんですよね。お約束事。
いや、本当に。この辺の落とし所が難しいです。
あと、余談として言うならば。
大昔のそれこそ医療技術の発達していない時代において、意識不明が一ヶ月以上続いた例というのが皆無かというと、そうでもないんですよね。まぁ、これは実際見た人がいるわけじゃないし、『現代の常識』としては『有り得ない』ので、眉唾の…それこそフィクション、あるいは勘違いとして考えられてますが。
きっと『常識』で考えるならば、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』で、ジュリエットが仮死状態になってから、『都合よく』生き返るのも、「その時代にそんな便利な薬があるわけないだろ! 有り得ない!」ということになるのでしょうね。
あと、もう長くなったついでに言い訳がましいこというと。
オヅマも完全に意識不明というのではなくて、作中にもあるようにちょこちょこと意識は戻っています。アドリアンがオヅマの口に濡れた布をあてて、水分とらせる描写もあったと思うんですがね…
まぁ、正直。作者側から一つだけ言いたいのは。
「読んでほしいのはそこじゃないのー。ないのー。いのー。のー……」
(語尾はエコーかけて下さい)
ってことです。
まぁ、どういう読み方しても、それも読者の自由なんですけどね。
楽しく読んでもらえれば「おk」です。