• SF
  • 現代ドラマ

九月のペシミズム

「その人が生まれた月が、その人にとってもっとも過ごしやすい季節である」
という話を耳にしたことがある。事実かは知らない、一種のジンクスのようなものだろう……というより、私はこれを眉唾だと思っている。
大抵、私が精神身体に変調を来すのが九月だからだ。

私の誕生日は九月二十日。同じ誕生日の著名人はロクでもない人間ばかりで(今リストを読んだ。アプトン・シンクレアは嫌な告発者だし、麻生太郎もあまり好ましいとは思えないし、滝本竜彦なんて冗談じゃない!)あまり嬉しい日付ではない。人は誕生日を選べないし、親も生まれ故郷も選ぶことが出来ない、出自は変動しない。

九月になると大抵、何か物淋しげな気持ちになる。
ぼんやりとして、ただその冷ややかな空白が心に刺さる。
何か悪いことをしたでもないのに、ただ心に空白があって、その空白が支配的になって、心の中が空で満たされる……。
こうなると今度、調子を取り戻すために色々なことをしようとして、そうして……失敗する。
いつものパターンだ、面白くもない。

仕方がないので、ただこの気持ちが過ぎ去るのを待つしかないわけだが、その過ぎ去るのを待つ間の時間というのが如何にも苦しい。事実として無能力者であったとしても、それを自覚させられる時間に押し迫られるのは非常に辛いことだ。

今月一杯は何もしないをしようと思う。
これが許されるだけで一種特権的な立場にあるような気がしてしまうが、本当に何も出来ないのだから仕方がない。

来月には新人賞作品に取り掛からないといけない。そのために英気を養う必要があるだろう。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する