従軍慰安婦という言葉を僕は好かない。
「太平洋戦争」と同じく戦後新たに日本への攻撃用に作られた言葉だからだ。
戦後の言葉をすべて嫌うわけではない。
「三国人」なんて言葉はその由来するところも含めて調べて見るといい。
いや、いまを「戦後」と呼ぶならば知らぬでか、とすら思う。
閑話休題、パワハラ管理職は止まない。
なぜか?
それは、彼ら彼女らが、更に上の役職者にとって、とても使い勝手がいいからだ。
かように、仕事をこなすことと良き人格は必ずしも両立しない、さばかりか、良き執事ほど出入りの商人に厳しい、といえる。
英雄色を好むというが、色を好むからといって英雄たれるとは限らない、限らないがすぐ上から見て使い勝手の良い部下は、そのまた部下に辛辣なことこの上ない。
快進撃を重ねる部隊にこそ、現地で勢いのままに狼藉を働かぬように、慰安婦の存在はかかせないのである。
日本軍が慰安所を運営してなにが悪い。
それと強制連行とはわけが違う。
中には手癖の悪い女衒にそそのかされた少女も居ろう。
中には誘拐同然に連れ去られたものも居ろう。
中には、口減らしに親に売られたものも居ろう。
驚くことではない、私の親戚にも口減らしのために養子に出されそうになったものがいる。
無論戦後の話で、戦後の日本国内でもそうなのだから、戦時中の日本の支配地域でも、中にはそういう家も有っただろう。
それでも、日本軍が誘拐をした、性行為を強制したことで、戦後裁きを受けなかったものはいないし、裁きを受けた事件も、ごく例外的な少事例に過ぎない。
当代の自衛隊が慰安所をもうけるといったら笑い話になるだろう。
でも、セクハラを止められないなら、それをするしか無いじゃないか!
自衛隊の制服組幹部諸氏には、その覚悟や、如何に?
僕はそんな処置なしに、丁寧な謝罪の徹底を持って、このセクハラ問題を収めなければならないと思うよ。