赤松口蹄疫と中村格警察庁長官

 行政の責任を負いながら、対応もせずに、自らの思想信条と近しい体制の国への外遊を優先し、帰国後も軍隊を動かし戒厳令に近い体勢を取ることもできたのにそれをせず、あまつさえ、貴重な種牛を、殺せ殺せとはやし立てたその罪状は「赤松口蹄疫」という言葉とともに長く語り継がれなければならない。

 村山が阪神淡路の震災で、軍の出動をためらう間に六千余の人名がもっとも苦しい死因の一つと言われる焼死という亡くなり方で命を落とした。

 後に当時の兵庫県知事は「例え自衛隊をうごかしても数百人程度しか被害者を救えなかったという計算もある」とのたまわった。

 人を呪わば穴二つというが、その数百のひとりとしてもがき苦しめば良かろうと思うのに、旭日大綬章を受けて、14年に81才の天寿を全うしている。

 人が罪を償えるのは生きているうちか、その死を持ってでしかない。

 だからこそ権力に立ち、その責任を全うしなかったもの、あるいはルメイのように、生前大虐殺の不埒を働き、その罪さえ問われずに往生した輩の名は、その無能、悪徳の行状と共に長く記憶されなければならない。

 中村格警察庁長官はマスコミの記者、元TBS記者の山口敬之が婦女暴行に及んだ刑事事件の逮捕状を握りつぶし、「私の指示で取り止めさせた、当然のことだ」と、のたまった。

 ちなみに民事では元TBS記者の山口敬之の敗訴、すなわち婦女暴行の事実が認められている。

 記者ならか弱い女性を陵辱しても罪に問わせない、といいきったのだ。

 中村格警察庁長官は警備を軽視する発言をとなえ今回の安倍元総理大臣閣下の暗殺の遠因ともされる。

 引責辞任の意味合いで、近く退職するという。

 さぞかしゆったりとした天下り生活を収め、さぞかし安らかな顔で往生するのだろう。

 であればこそ、中村格元警察庁長官の名は、女性の性を弄んだ門外漢として記憶されなければならない。

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