私淑していたとある創作者の話。
今は完全に創作から遠ざかっているようで、実際所在もわからない。この文章も多分目に届くことはないだろう。これを書く理由は一つ、他山の石とするためである。
彼には文才があった。創作系ブログに投稿された作品は読むたびに、そのうち書店で手にすることになる、という予感があった。
深い専門知識に裏付けられた諧謔に満ちた独特の文体は私など及ぶところではなかったし、対抗しようという気にもならなかった。
ところがある日を境に、急激に作品の質が落ち始めたのである。
勤め先に創作ブログのことがバレたらしい。
たしかに私的なことをよく書いていたから、危うさは感じていた。
ブログにはまだ作品が残っているけれど、急に激繁忙部署への異動を命ぜられたとの書き込み以降、しばらくして更新は停止したままだ。
世の中には創作に否定的な人々は少なくない。特に一定以上のお年を召した方の中には、趣味としてパチンコ、カラオケ、ゴルフは許せても理解不能な「創作」は許しがたいものであるらしい。
彼の描いた作品も少々偽悪的なところがあり、読む人を選ぶ文体だったから、もし悪意ある「創作に否定的な第三者」、かつ彼の職場に影響を及ぼしうる立場の人がいたら……。
彼の作品を洗いざらい舐め回し、攻撃の材料としていたら?
作者の人格と作品は別物である。連続殺人鬼の物語を描いた作者が連続殺人をするわけはないのと同じである。にもかかわらず、非常識な(基本的に小説とは非常識なものである)物語と作者を絡めて人格を全否定されたら創作者としてはたまったものではないだろう。
更新が停止する直前の作品はお世辞にも良いとは言い難い出来で、なにか「削られている」感が漂う。熱砂に押されて囲まれたオアシスの水が徐々に干上がっていくかのようだった。
過去の模倣。陳腐な言い回し。語彙が枯渇してきたのか代名詞の頻度増大……。文芸に関わる記憶と意思の領域が縮退していくのが手に取るように伝わって悲しくなる。
更新が止まって先日でちょうど三年たった。
もう復帰はないのだろう。
ここで得られる教訓はなにか?
身バレすると困るような小説を描いてはいけない?
それくらいで潰れるようなら才能なんかなかった?
趣味より仕事?
私にはわからない。
ただ、私には生きていくためにartが必要である。
その灯火は絶やさないでいたい。