今年は記録的な酷暑。
とはいえ例年通り「夏といえば海」と言わんばかりに、TVやSNSには、キラキラして楽しげな真夏のビーチがあふれています。
画面の向こう側の海には、ときめく出会いが待っていそう。皆はしゃいでいて、とっても楽しそう。なんだかあこがれちゃう。

でも、海って本当にそんな場所だっけ?
もっと危なかったり、いろんな生き物がいたり、生も死もあらゆる時間も包みこむ、不思議と出会える場所でもあるんじゃなかったっけ。

今回は、そんな海の「B面」を思い出させてくれる、さまざまな海が描かれた小説をご案内。

リゾートでもバカンスでもない、浮き輪も水着も海の家も出てこない。
ときめく出会いどころか、孤独を受け止めたり、なんなら別れの場所になるときもある。

でも、日常から一歩踏み出した先で、とびきりの忘れられない思い出をくれる。

そんな海の登場する作品に、勇気を出して飛び込もう!

ピックアップ

仮想空間の海に深く潜り、自分と出会いなおす

  • ★★★ Excellent!!!

今作の舞台は、私達の生きる現在よりおそらく少し科学が発展した世界。
といっても登場するのは「麺の量が減ると音楽を再生してくれるドンブリ」など、なんだか間の抜けたテクノロジー。
そんな日常のヘンテコにすかさずツッコミを入れていくのが、今作の主人公である理恵です。

高校卒業間近の理恵は、娘を心配する母親から懇願され、AIによるカウンセリングをしぶしぶ受診することに。
仮想空間で対話を行うAIはイケメンかつ紳士的、だけどなかなかしたたか。
反発していた理恵ですが、カウンセリングの過程で、自分自身や家族について振り返っていきます。

キレが鋭くシニカルな理恵の語りは小気味よく、特に仮想空間で繰り広げられるAIとの会話は、頭の回転が早く遠慮のない者同士の軽妙さ。読んでいてとっても楽しいのです。

一方、そんな舌鋒鋭い切り込みやノリの良さと裏腹の、複雑な葛藤を描いていく丁寧な手付きもこの作品の魅力です。

中盤以降で明かされる、絵の具の匂いに満ちた理恵の過去。
饒舌さに隠れた、幾層にも塗り込められた切実な思いを、AIのアシストによって理恵自身がひもといていくのです。

ネタバレは避けますが、”海”がかかわる最後の展開も、読み手によって、またその時々の状況によって、いくつもの解釈に開かれるもの。
単一的な正解を避けながら、自分の人生に確かに向き合っていく気持ちよさを感じられる作品です。


(「すこしふしぎな海のお話」4選/文=ぽの)

辺境で強盗を繰り返す「わたし」と「彼女」の逃避行

  • ★★★ Excellent!!!

ハードボイルドな世界観は殺伐として乾ききったもの。だけど溺れるほどの激情がほとばしる一作です。

序盤、白昼堂々の強盗を終えた「彼女」を車で出迎える「わたし」の場面が見事です。
サマードレスを着た彼女の美しさと、建物のなかに満ちているはずの凄惨な暴力。
アメリカン・ニューシネマを想起させる鮮やかなコントラストは、これから綴られるふたりの物語を期待させるに十分。

店を襲い、車を盗み、人を撃つ。生きるために犯罪を続ける彼女たち。そこに罪悪感や焦燥感は感じられません。
むしろ、「閑静な田舎町を走り抜けてゆく。/どこまでも青く晴れ上がり、初夏の陽光がとても力強い。」このドライブの爽快感!

「わたし」が心酔している「彼女」は、生き延びるためのノウハウを知悉し、判断力や行動力にもすぐれています。
彼女たちはどうやって出会い、旅を続けているのか。逃亡の果てにどこへたどり着くのか。

女同士の強い愛情は、タイトル通り、夜明けの海岸線で臨界点に達します。
最後まで激情とたくらみに満ちた、タフで美しい作品。
曙光が照らすのはどんな彼女たちの姿なのか、ぜひ見届けてください。


(「すこしふしぎな海のお話」4選/文=ぽの)

「むかしむかし」で始まるなつかしい語りは、どこでもない場所にたどり着く

  • ★★★ Excellent!!!

今昔物語集にも登場する説話「蟹の恩返し」が元ネタと思しき一章(便宜上こう呼びます)。
説話を誰にでも読みやすく語りなおす筆致だけで高い筆力が伝わりますが、この一章「おしまい」から始まる展開、これがなんとも面白い!
ぜひ先入観なく読んでみてほしいのです。

卓抜なのは展開だけではありません。
蛇や蛙などの異種と意思疎通ができ、結婚までできるおとぎ話の世界観。
こうしたお話に出会うと、人は無意識のうちに「こういうものだ」とチューニングを合わせて読みがちです。
ところがこの作品では、その寓話的チューニングと現代的な筆致が共存し、「この雰囲気でこんなことが書かれるの!?」と驚くような意外性をみせていきます。
それもギャップを狙った風刺やギャグではなく、なんとも胸をうつ無常感や、真摯な生への問いが提示されていくのです。

小説家の坂口安吾は童話や狂言を例に引きながら、物語が突然断ち切られ、突き放される感覚こそが「文学のふるさと」であり、そこでは「救いがないことが救い」なのだと説きました。
この作品に流れているのもそうした、日常のなかでふと異質な生の本質を覗き見てしまう、不思議な感覚です。

おとぎ話は「めでたしめでたし」で終わりますが、このお話は、特に誰が幸せになるわけでもないところまで書かれずにおれなかった。
そのせつなさは、やはりどこかなつかしいのです。


(「すこしふしぎな海のお話」4選/文=ぽの)

ワンダーをたたえ静かに満ちる豊穣の海

  • ★★★ Excellent!!!

描写の魅力とSF的な想像力が織りなす、とても密度の高い短編です。

この作品には構成や展開などいくつものたくらみがあり楽しいのですが、何よりもまず、読むだけで五感を刺激し心躍らせる表現の力に圧倒されます。

物語の中心は、海辺の小屋で暮らすある夫婦。
ふたりの暮らしは、客観的に見れば贅沢の少ない質素なものかもしれませんが、その語り口は、海とともに暮らす日々の豊かさを十分に伝えてきます。
彼らの見る海は、多様な生命がにぎやかに共存し、神話や物語が自在に召喚される、いきいきとした空間。
まさに作中で形容される「宝石」そのもの。その輝きは日々目の前に広がり、惜しげもなく豊穣な世界を見せてくれます。

そしてこの作品で描かれる海は、日々の暮らしに寄り添うものでありながら、果てしない可能性をたたえたコミュニケーションの場として未知に開かれてもいます。
遠くの見知らぬ誰かへとつながる場所。その射程は想像をこえるほど広いのです。

海が与えてくれた出会いはどこに向かうのか。
そもそも、冒頭から語りかけられる「君」とは、そして語りかける声は誰のものなのか。
物語の愉しみも得られる、満足度の高い作品です。


(「すこしふしぎな海のお話」4選/文=ぽの)