なかったことにしたい・忘れたい黒歴史、みんなで晒し合おう!
623 作品
自分の黒歴史を人の手に委ねるのは勇気のいる行動だと思う。けれど、この祭りが回を追うごとにどんどん大きくなってくれることを望んでやまない。自分がラジオの深夜放送で自らの黒歴史に触れる時もそうだが、黒歴史を開放するときの開放感ときたら格別だ。重い荷物を下ろしたような、自分が浄化されたような、その経験をより多くの人に積んでほしい、、、もちろんそれと引き換えに恐怖もある。でも、作品という形なら色んな調節もできるし、何より黒歴史を燃やして未来への推進力に変えられる祭なのだ。
さて、畏れながら伊集院光賞だが、悩みに悩んだ結果、諏訪野滋氏の「亀」に差し上げたいと思う。幼稚園児の頃に犯した大罪と隠蔽そして今も心の中に燻り続ける感情を短くまとめ上げたこの作品は、読者の中の黒歴史と共鳴さらに想像を広げる力を持ち、今後のこの祭の規模をより大きくする可能性を感じた。
最後に、今回渾身の力で自らの黒歴史と向き合い、応募したにもかかわらず、見る目のない僕のせいで選考されなかったという黒歴史すらも、次回(あれば)に繋げてほしいです。
お相撲の黒星・白星ってどっちが勝ちだったっけ……いつも一瞬わからなくなるんです。白星は間が抜けていて、黒星の方が強そうな感じしません? 「黒歴史放出祭」審査員のご依頼状には「黒歴史」というワードへの批評性を市川に期待するとあり、なるほどそれならとお受けしたわけですが、私が批評性を発揮するまでもなく。どの作品からも浮かんできたのは、自嘲して語る言葉とうらはらに過ぎ去りし黒歴史を懐かしみ愛しむ作者のまなざしでした。黒と一口に言っても後悔の黒、羞恥の黒、悲劇の黒、執着の黒などじつに様々な物語が、みんなの心の奥底でぎらぎらと蠢いている。それらに甲乙はつけ難い。だからその妖しくも美しい光について、叙情あふれる筆致と深い洞察とで語ってくれた『何者でも何色でも』に〈市川沙央賞〉を謹呈したいと思います。黒歴史の更新を宣言する結びもよかった。黒星は土が付いて汚れるからなんでしょうけど、汚れない人間などおらず、汚れれば汚れるほど成長を遂げるのが人間というものなんですよね。