探索者を辞めた俺は、ダンジョン飯で最強を支える定食屋になる
悪癖
第1話 死にかけの最強は定食を求めた
――その夜、俺の店に運び込まれてきたのは、
死にかけの“最強”だった。
血の匂いが、湯気に混じって鼻を刺す。
カウンターの向こうでは、さっきまで味噌汁が静かに煮立っていた。
昆布と鰹の、どこか懐かしい香り。
それと正面からぶつかり合うように、鉄臭い血の匂いが、狭い店内に充満している。
――明らかに、場違いだ。
「……マジかよ」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
ここは定食屋「かくりよ亭」。
ダンジョン第四区画の入口から徒歩五分。
古びた商店街の端にある、カウンター八席と四人掛けテーブルが二つだけの小さな店だ。
探索者向けに腹持ちのいい飯を出してはいるが、
本来はもっと生活感があって、もっと平和な場所のはずだった。
それが今はどうだ。
入口の引き戸は開け放たれ、夜風と一緒に血の匂いが流れ込んでくる。
二人の探索者が、必死な形相で担ぎ込んできたのは――
全身を血に染めた、一人の女だった。
「大崎さん! 頼む、ここしかないんだ!」
「刹那が……刹那がやられた……!」
叫ぶように言われて、俺はようやくその顔をはっきりと認識する。
長い黒髪は血と汗で額に張り付き、切れ長の目は半開き。
整った顔立ちは、激しい痛みに歪んでいる。
それでも――一目で分かった。
鷹宮刹那。
若手探索者の中でも、頭一つ抜けた存在。
日本ランキング常連、刀一本で高難度ダンジョンを切り裂く女剣士。
その“最強”が、今は俺の店の床に横たわり、
胸元を深々と抉られていた。
「医療班は!?」
反射的に叫ぶ。
「ダメだ! 回復系が全部弾かれた!」
「ダンジョンの呪いだ……病院も探索者病棟も断られた……!」
探索者の一人が、血に濡れた手で頭を掻きむしる。
――なるほど。
そう理解した瞬間、胃の奥が冷たくなった。
治療不能系の傷。
ダンジョン深層で、ごく稀に発生する最悪の状態。
回復魔法は効かず、ポーションも弾かれ、
現代医療ですら意味を成さない。
生き延びる方法は――ほぼ、ない。
「……で」
俺はカウンターの内側から一歩出て、刹那の顔を覗き込む。
「なんで、うちなんだ」
すると、半開きだった彼女の目が、わずかに動いた。
「……匂い、した……」
掠れた声。
それでも、はっきりと聞こえた。
「……前に、食べた……ここ……」
一瞬、思考が止まる。
「……覚えてたのか」
数か月前。
軽い怪我をした彼女が、たまたま立ち寄って、定食を食べただけの話だ。
特別なことはしていない。
いつも通り、ダンジョン食材を使い、身体の回復を意識した献立を出しただけ。
――それを、彼女は覚えていた。
「……食べ、たい……」
刹那が、震える指で俺の袖を掴む。
「……あんたの……飯……」
店内の空気が、一斉に張り詰めた。
「おい、刹那……!」
「無理だ、今は動かすな!」
「大崎さん、あんた料理人だろ!? 今は医者を――」
「黙れ」
自分でも驚くほど、低い声だった。
全員が、俺を見る。
俺は刹那の傷から目を逸らさず、ゆっくりと息を吐く。
――元探索者。
――Dランク止まり。
――才能の壁を思い知り、ライセンスを返納した男。
戦えない。
守れない。
だから俺は、ここにいる。
「……理央」
「うん」
いつの間にか店の奥にいた高瀬理央が、無言で頷いた。
エプロン姿のまま、顔色は青いが、目は据わっている。
「店、閉める。表の札、裏にして」
「了解」
「鍋、空ける。米、炊き直し。ありったけのダンジョン食材、出す」
探索者たちが、息を詰める。
「おい……本気か」
「料理で、どうにかなる傷じゃ――」
「分かってる」
俺はそう言って、厨房に戻った。
包丁を握る手が、わずかに震える。
――分かっている。
普通の料理じゃ、意味がない。
だから。
「……《かくりよの手》」
誰にも聞こえないよう、呟いた。
料理人として覚醒した、俺の唯一のスキル。
ダンジョン産食材の“力”を最大限に引き出し、
食べた者の肉体と魂に直接干渉する異能。
制限は多い。
素材がなければ発動しない。
そして――命を救える保証は、どこにもない。
それでも。
「食べたいって言われて、作らねぇ料理人がいるかよ……!」
フライパンに油を引く。
じゅっと音を立て、刻んだ薬草と骨付き肉、魔力を帯びた茸が踊る。
湯気が立ち昇り、血の匂いを押し流していく。
――頼むぞ。
――間に合ってくれ。
背後で、刹那の荒い呼吸が、かすかに聞こえた。
その音が、途切れる前に。
俺は、全力で――定食を作る。
包丁の音が、やけに大きく響いていた。
――トン、トン、トン。
規則正しいはずのリズムが、今日はわずかに速い。
それを自覚しながら、俺は意識的に呼吸を整え、まな板の上の食材を刻み続けた。
焦るな。
手を止めるな。
雑になった瞬間に、すべてが台無しになる。
厨房の空気は、張り詰めていた。
火にかけた鍋の小さな沸騰音さえ、妙に耳につく。
「大崎さん……」
背後から、理央の声がした。
普段よりも一段低く、感情を押し殺した声音。
問い詰めるでも、責めるでもない。
ただ、縋るような、祈るような響きだった。
「これ……本当に、効くの?」
俺は、包丁を止めずに答える。
「……分からない」
正直な言葉だった。
嘘はつけない。
《かくりよの手》は万能じゃない。
これまでだって、回復を“助けた”ことはあっても、
死にかけの命を、完全に引き戻した経験は一度もない。
「でもな」
刻み終えた食材をフライパンに放り込み、強火で振る。
じゅっと、油が弾ける音。
香ばしい肉の匂いと、薬草特有の青い香りが一気に立ち上る。
「やらない理由は、もっとねぇ」
それだけ言うと、理央は何も返さなかった。
ただ、ぐっと拳を握りしめる、かすかな音だけが聞こえた。
――刹那。
ちらりと視線を向ける。
床に敷かれた簡易担架の上で、彼女は浅く、苦しそうな呼吸を繰り返している。
息を吸うたびに、胸がかすかに上下し、吐くたびに小さく喉が鳴る。
胸元の傷は、応急処置の包帯越しでも分かるほど深い。
血は止まっている。
だが――それだけだ。
生きている理由は、たった一つ。
まだ、死んでいないだけ。
「……っ」
彼女の喉が、小さく鳴った。
声にならない音。
だが、俺の耳には、妙にはっきりと届いた。
――腹、減った。
そんな馬鹿な、と思う。
この状況で、食欲なんてあるわけがない。
それでも。
「……食べたい、って顔してるぞ」
誰に聞かせるでもなく、独り言のように呟いて、俺は盛り付けに入った。
白米。
炊きたての艶があり、湯気がふわりと立ち上る。
主菜は、骨付きの魔獣肉を使った薬膳焼き。
しっかり火を通しつつ、硬くなりすぎないよう、最後に一手間かける。
副菜には、回復促進の効果を持つ薬草の胡麻和え。
味噌汁には、すり潰した魔力茸を溶かし込み、身体に負担がかからないよう温度を調整する。
――定食だ。
病人食でも、非常食でもない。
いつも通りの、「かくりよ亭の定食」。
それが、俺のやり方だった。
「……できた」
トレイに載せ、刹那の傍まで運ぶ。
探索者たちが、息を殺して見守っている。
「おい、口に入れて大丈夫なのか……?」
「誤嚥したら……」
「俺がやる」
即答だった。
しゃがみ込み、刹那の肩をそっと支える。
思った以上に、軽い。
――こんな体で、最前線を走ってきたのか。
「刹那。聞こえるか」
耳元で、静かに声をかける。
「……ん……」
反応は、かろうじて。
「無理しなくていい。少しでいい。俺の飯、食え」
スプーンで味噌汁を掬う。
立ち昇る湯気が、彼女の頬をなぞった。
その瞬間。
刹那の眉が、ほんのわずかに動いた。
「……あ……」
掠れた声。
唇が、わずかに開く。
俺は、慎重にスプーンを運んだ。
味噌汁が、刹那の口に入る。
一秒。
二秒。
何も起きない。
探索者の一人が、耐えきれずに目を伏せた。
――やっぱり、無理か。
そう思った、その時。
「……っ!」
刹那の喉が、はっきりと動いた。
ごくり、と。
飲み込んだ。
「……あつ……」
掠れた声が、確かにそう言った。
「……でも……うま……」
――ざわり。
空気が、明確に変わった。
刹那の呼吸が、さっきよりも深くなる。
胸が、はっきりと上下し始めた。
「おい……?」
「今の、見たか……?」
包帯越しに、彼女の傷を見る。
血が――滲んでいない。
それどころか。
「……色、戻ってないか……?」
青白かった刹那の頬に、わずかだが、確かな血色が差している。
俺は、奥歯を噛み締めた。
――まだだ。
――まだ、油断するな。
「刹那」
もう一度、声をかける。
「次、肉いくぞ」
彼女は、弱々しく笑った……気がした。
「……定食……」
その一言に、胸の奥がじんと熱くなる。
スプーンを置き、箸を取る。
「最後まで、付き合え。これは――」
俺は、はっきりと言った。
「生きるための飯だ」
薬膳焼きを、口元へ運ぶ。
その瞬間。
刹那の指が、俺の袖を掴んだ。
――さっきより、力がある。
探索者たちの息が、完全に止まる。
刹那が、肉を噛み締める。
ぎり、と歯が鳴り――
次の瞬間。
「……あれ」
彼女の目が、ゆっくりと開いた。
はっきりと。
迷いなく。
「……まだ、死んでない……?」
その言葉が、夜の定食屋に落ちた瞬間。
俺は、確信した。
――間に合った。
だが、同時に。
包帯の奥、深い傷口から、
微かに光が滲み始めているのを、俺だけが見ていた。
(……なんだ、これ)
俺の知らない反応。
今までに、一度も見たことのない現象。
《かくりよの手》が――
何かを、越えようとしている。
この夜が、ただの奇跡で終わらないことを。
俺は、まだ知らなかった。
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