デッドライン・ジャンクション ―東京沈没まであと300秒、救えるのは3箇所だけ―

ソコニ

第1話 あと300秒

00:05:00

「あと300秒で、メトロ銀色線が消滅する」


スマートフォンの画面に表示された文字列を、九条鉄平は三度読み返した。浸水警報ではない。気象庁からの通知でもない。画面の上部には見慣れたアイコン――非公式災害予測AI『レヴィアサン』。


精度98%。これまで外れたことは一度もない。


「……クソが」


九条は携帯していた工具ケースを床に叩きつけた。金属音が、東都メトロ銀色線・虎ノ門駅の薄暗いメンテナンス通路に反響する。午前2時47分。終電から2時間。駅構内に人影はない。


シバタ・インフラ。九条が所属する民間防衛企業だ。正式な救助組織ではない。金にならない仕事はしない。だが、ここで地下鉄が沈めば、都との契約が吹き飛ぶ。つまり、彼の退職金も消える。


「了解っす……」


独り言のように呟いて、九条は唇を噛んだ。その口癖は、5年前に死んだ部下のものだ。あの日も、こんな夜だった。


00:04:12

レヴィアサンの解析によれば、浸水源は虎ノ門駅の北側、地下18メートル地点。1964年に建設された排水管の亀裂から、毎秒800リットルの地下水が噴出している。このまま5分放置すれば、銀色線の線路が完全に水没する。


問題は、その亀裂にたどり着くまでのルートだ。


九条は端末に表示された3D断面図を睨んだ。駅から亀裂までの最短距離は、廃棄された旧メンテナンス坑道を通るルート。だが、その坑道の入口は15年前に溶接で封鎖されている。迂回すれば、到着まで7分かかる。


「間に合わねえ」


選択肢は一つ。封鎖された扉を、物理的にぶち破る。


九条は工具ケースから携帯用プラズマカッターを取り出した。違法改造品だ。出力を最大にすれば、鋼鉄の扉も90秒で切断できる。代わりに、バッテリーは一発で空になる。


青白い光が闇を切り裂いた。火花が散り、溶けた金属が床に滴る。九条は顔を背けながら、カッターを動かし続けた。


90秒後、扉が倒れた。


00:02:45

坑道の中は、予想以上に狭かった。幅1メートル。天井まで1.5メートル。九条の体格では、腰をかがめて進むしかない。足元には錆びた配管が這い、頭上からは正体不明の液体が滴り落ちる。


そして、音。


ゴォォォォ――という、地の底から響く水音。亀裂はすぐそこだ。


坑道を50メートル進んだところで、九条は立ち止まった。レヴィアサンの画面に、新しい警告が表示されている。


『浸水速度、予測値の1.4倍に加速。残り時間:142秒』


「何だと……?」


端末を操作し、リアルタイム水位センサーのデータを確認する。亀裂からの水量は変わっていない。だが、何故か線路への浸水速度が上がっている。


理由は一つ。水が、別のルートから流れ込んでいる。


九条は歯噛みした。亀裂は一箇所ではない。彼が向かっている地点は、あくまで「最大の浸水源」に過ぎなかった。


00:01:30

亀裂が見えた。


コンクリート壁に走る、幅30センチの裂け目。そこから濁った地下水が、滝のように噴き出している。九条は腰のベルトから、緊急補修用のエポキシ樹脂パックを取り出した。


だが、ここで止めても意味がない。別の浸水源がある限り、銀色線は沈む。


「……賭けるしかねえ」


九条は端末を操作し、レヴィアサンに問いかけた。


『質問:この亀裂を爆破し、坑道ごと崩落させた場合、浸水は止まるか?』


AIの回答は即座に返ってきた。


『成功確率:62% / 副作用:坑道崩落により、地上への影響あり(振動レベル3)』


6割。悪くない。いや、最悪だ。


九条は工具ケースから、最後の切り札を取り出した。小型爆薬。正式名称「緊急隔壁形成用爆縮デバイス」。要するに、地下で使えるように調整された爆弾だ。


ここで爆破すれば、明日のニュースで俺は吊し上げだ。無許可の爆破。民間企業による暴走。マスコミは喜んで叩くだろう。


だが、爆破しなきゃ俺の口座はゼロになる。


「……地獄で謝るよ、上の奴らには」


九条はデバイスを亀裂の前に設置した。タイマーは20秒。


全速力で坑道を引き返す。背後から、ピッ、ピッ、ピッ、という電子音が追いかけてくる。


00:00:00

爆発は、思ったより静かだった。


ドン、という鈍い音。続いて、足元を突き上げるような振動。坑道の奥から、ゴゴゴゴ……という地鳴りが響き、やがて静まった。


九条は端末を確認した。水位センサーのグラフが、急激に下降している。


「……止まった」


浸水が止まった。銀色線は無事だ。


九条はその場にしゃがみ込み、大きく息を吐いた。全身が汗でびっしょりだ。42歳の体には、こういう仕事はもうきつい。あと3年で定年。そしたら、こんな真似ともおさらばだ。


端末が震えた。レヴィアサンからの通知。


『予測的中率:98.7% / フェーズ1完了 / 推定崩壊開始:NOW』


「……は?」


九条は画面を凝視した。フェーズ1? 崩壊?


次の瞬間、端末に別の映像が表示された。定点カメラだ。場所は――渋谷。渋谷大交差点。


画面の中で、交差点の中心部が、ゆっくりと沈んでいた。


音はない。爆発もない。ただ、直径50メートルの円形の地面が、豆腐を押し込むように、下の世界へと落ちていく。信号機が傾く。横断歩道の白線が歪む。数千人の歩行者を乗せたまま、アスファルトが深淵へと吸い込まれていく。


世界で最も騒がしい交差点が、わずか数秒で、完全な無音の穴に変わった。


九条の手から、端末が滑り落ちそうになった。


画面が切り替わる。新しいデータが流れ込んだ。


東京都内、18箇所の地点で「浸水検知」。過去72時間以内に発生。うち、九条が対処したのは1箇所のみ。


残り17箇所は、今も進行中。


画面に、カウントダウンが表示される。


池袋駅地下:崩壊まで 02:14:32

品川駅周辺:崩壊まで 06:47:19

新宿三丁目:崩壊まで 04:02:51

六本木中心部:崩壊まで 08:12:04

東都駅八重洲口:崩壊まで 03:33:17

湾岸空港第2ターミナル:崩壊まで 09:41:52

リストは続く。止まらない。


九条の呼吸が荒くなった。全身から血の気が引いていく。


18箇所。全部救うのは物理的に不可能だ。移動時間だけで間に合わない。人手も足りない。資材も足りない。


どこを救う? どこを捨てる?


端末の画面に、最後の一行が表示された。


『最適解を選びますか? それとも、全てを見捨てますか?』


九条は、画面を見つめたまま動けなくなった。


そして、画面が暗転した。


(第1話 終)

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2026年1月20日 22:00
2026年1月21日 22:00

デッドライン・ジャンクション ―東京沈没まであと300秒、救えるのは3箇所だけ― ソコニ @mi33x

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