垂れ伸べ掴む

かなぶん

垂れ伸べ掴む

「そういや、聞いたことある? ウチの学校にある逸話」

「え? 何々?」

 昼下がり。「何か面白いことないかなー」と何気なく口にしたなら、友人の一人から意味ありげな笑い顔と共にもたらされた、思わせぶりな言葉。

 興味を惹かれる私に、友人は笑みを深めた。

「ほら、校舎裏の丘、あるでしょ? あの、目立つ木」

「ああ、あの目立たないヤツね」

 正反対の評価だが、私と友人が言っているのは同じ場所だ。

 緩やかな丘、その一番高いところに一本だけ生えている木。

 誰かが向かえば絶対に目立つけれど、気にするのは新入生か新任の先生くらいで、それも一ヶ月も経たない内に風景として意識外に片付けられてしまうのだから、あとはもう、誰が向かおうがあまり視覚情報として入っては来ない。

 かといって、やっぱり目立つ気がするからか、サボり癖のある生徒でさえ、好んで近寄ることはない、絶妙な場所でもある。

 そんな場所にどんな逸話があるというのか。

 続く言葉を待つ私に、友人は言う。

「実はあの木の下で告白すると――」

「すると?」

「その告白は永遠に叶わないんだって」

「……は?」

 そこは普通、叶う、では?

 お約束をすり抜ける逸話に、肩透かしを食らった気分を味わえば、友人は更に笑みを深めてきた。

「えー、何その反応? もしかして、好きなヤツでもいんの?」

 なるほど。そういう方向で話を持っていくつもりですか。

 友人の知られざる恋。それを興味本位に炙り出すための嘘かと白い目を向けたなら、私の視線が冷た過ぎたのか、慌てた友人は逸話があるのは本当だよ、とよく分からないフォローをし出した。



 まあ、どの道そんな逸話、知ったところで関係ないけど。

 そう思っていたのに、校舎裏の丘の木を指定してきたのは担任だった。

 とはいえ、別に担任から思わせぶりな告白を匂わされた訳ではない。

 ただ、日直という名の雑用係であることを理由に、サボりの生徒を探すよう命じ――頼まれ、膝の悪い担任に代わって丘の上までいく羽目になったのだ。

 好んで近寄りはしないだけで、時たまサボりに行くヤツはいるから、と。

 果たして、辿り着いた丘の上の木の下に、サボりの姿はない。

 ただ……。

(……何、あの手)

 生い茂る葉の中から、木の実のように垂れる手があった。

 木陰の中にあって、やけに白い手。

 それこそがサボっているヤツの手だと決めつけても良かったはずだが、何故か私の足は同じ影に入るのを拒み、立ち尽くすのみ。

(なんか、怖いんですけど……)

 逸話を聞いたからではない。

 ただ、漠然とした違和感に恐怖が滲んでくる。

 近づいてはいけない。

 でも、もしもコレが探しているヤツだったとしたら。

 屈めば分かるかも、と覗くが、見えるのは手首までで、持ち主は葉に紛れてしまっている。

(どうしよう)

 意を決し、近づくしかないか。

 そんな風に思っていれば、遠くで担任の絶叫が聞こえてきた。

 怒気混じりのソレが聞き覚えのある名前を呼んでいることに気づいたなら、弾かれた勢いで丘を下る。

 校舎にいたのかよ、とか、じゃああの手の持ち主は、とか、どうでもいい。

 ただただ、この場所から離れたかった。



 ――はずなのに。

(なんでここに来ちゃったんだか)

 翌日、私の気持ちを写し取ったような曇天の丘の上、昨日は立ち入らなかった木陰の中で私はうずくまっていた。

 理由は、やはり昨日の白い手が原因だった。

 逸話を教えてきた友人に白い手の話をしたら、青筋を立てて怒られたのだ。

 そんなでたらめ聞かせて楽しい!?、と。

 どうやらあんな逸話を聞かせてきたくせに、友人はその手の、特に幽霊的な話が大の苦手だったらしい。

 ちょっとした話として「幻覚でも見たのかなー」で終わらせるつもりだったのに、友人があまりに激昂してくれたせいで、話は変に大きく膨れてしまった。

 しまいには、私が友人をいじめていた、みたいな流れにまでなって。

 誤解はすぐに解けたけど、そもそもの話の流れを説明したら、それはそれで笑われたりなんだり。

 後に残ったのは気まずい空気。

 そうして私はここに来たのだ。

 あの白い手があったなら、お前のせいで大変な目に遭った、と言いたくて。

 それなのに、昨日アレだけ怖かった手はどこにもなかった。

(……やっぱ、人間、だったのかな)

 少しは浮かんでいた可能性に、抱えた膝へ頭をくっつける。

 何が悪かったのかと考え、あの白い手、と答えかけた頭を振った。

 誰が悪い、と言い切れる話ではない。

 ただ、友人の様子に気づかなかった私と、そんな私の話を最後まで聞きもしない友人と、居合わせたクラスメイトの考えと、色んなものが織り交ぜになって、こうなってしまっただけだ。

(だけ、だったとしても……なんで私が)

 どれだけ整理出来ても、理不尽だと友人を詰る気持ちが止まらない。

 それが苦しくて、いつしか視界が歪んでくる。

 隠すように縮こまれば、不意に何かが髪に触れた。

 何が――。

 一度二度なら気にしないところを、何度も微かに触れるソレに顔を上げたなら、

「っ!?」

 昨日の手が、視線の先にあった。

 思いもしない再会に固まっていれば、伸べられた手がふわふわと頭を撫でる。

 その優しい動きが傷ついた気持ちには何よりも効いた。

「っ、うぅ……」

 いつしか涙に変わっていったなら、手は労るように頭を撫で続ける。

 その時にはもう、その手が何者なのか、考える気持ちはなくなっていた。



 ――卒業式。

 相変わらず、手はそこに垂れている。

 代わり映えしないいつもの姿に私の頬は緩み、次いで切なくなった。

 あの涙の後、友人とは仲直りしたが、それとは別に、私はよくここへ来るようになっていた。

 手は不在の時の方が多かったが、そこに在ったところで、私が近づくことはなかった。最初に感じた恐怖はすでになかったが、なんとなく、邪魔をしてはいけない気がしたのだ。

 だから、手が在った時には、在ったことだけを確認して去るを繰り返していた。

 時には、そんな私の行動を友人が案じたこともあったが、正直、気に留めることはなかった。

 何せ相手はそういう話の否定派なのだ。否定するのに、行かない方が良いというのは、理屈として通らないだろう。

 心底不思議に思ってそう告げる私に、友人はその後も何度か言ってきたが、認識の違い程度の話は平行線のまま、今日という日を迎えても交わることはなかった。

 まあ、どうせ、今日でこの学校とはお別れなのだ。

 それはつまり、この丘、この木、この手とも今日でお別れということ。

 寂しい気持ちは特にない。

 そこそこ通っていたとはいえ、そこまでの感傷に浸れるほど、私は豊かな感性を持ち合わせていないのだろう。

 ……でも、今日で最後だというのなら。

 深い考えもなく、木陰の中に立ち入る。

 垂れる手の前まで歩み寄り、

「じゃあ、元気でね」

 さすがに握手する気はないため、ソレへ向かい、手を振った。

 ――と。

「!!?」

 急にその手を掴まれた。

 ゾッとするほど冷たいソレに慌てて振り払おうとする。

 でも、その前に重力がなくなった。

(落ちる!)

 咄嗟にそう思ったものの、そんな感覚はなかった。

 浮遊感がある訳でもない。

 ただ、急に放られた宙で静止している。

 尋常ではない感覚に焦っていれば、周囲が白い花びらで埋め尽くされていく。

 慄きに振り向いたなら、そこには短く刈り込まれた草の大地があった。

 知らない内に、木の葉の中に身体を引きずり込まれていたらしい。

 では、この白い花びらは、木の葉っぱなのか――と考える暇もなく、

「出して! ここから出して!」

 逆さになった身体で、片手を草へと伸ばす。

 その内に、人影が通るのに合せて何度も呼びかけ、立ち止まる姿に手を伸ばす。

 だが、届かない。

 声も聞こえていないらしい。

(そんな!)

 絶望に打ちひしがれる最中、不意に、誰かの温かな手が触れる。

 はっとして顔をそちらへ向け、縋るようにその手を掴み――。

(ああ、そうか……)

 引き寄せた顔が恐怖に歪み、白い花に埋め尽くされているのを見て、気づく。


 ――私は、「私」じゃないんだ。

 私はあの手で、私が今まで持っていた記憶は私に呑み込まれた「私」の記憶。

 私が私と思い出せるのは、私が次の「私」を取り込みきる前のこの僅かな時。

 私に取り込まれてしまったら「私」はもう存在しないモノになる。

 ――ごめんなさい。

 白い花に塗れながら涙を流す相手に、謝罪した私は――……。


「ここから出せよ!」

 明日は念願の大会なのに。

 あの手の急な心変わりに、俺は絶叫した。

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