生まれたサイレン、止まぬサイレン
ベアりんぐ
第1話
もうすぐ生まれる。私は現在身籠っている。妊娠十ヶ月といったところで、もうすぐ出会える私と彼の子どもに対し、いまだかつてない感動を覚えていた。
彼との出会いはまさに運命的で、私も彼も、互いが出会うためにこれまで生きてきたのだと錯覚するほど、よく合っていた。
これがもし運命的でないとするなら、きっとこの世は嘘だと言えるほど。その末に生まれてくるこの子は、私たちの出会いを結論づけ、そしてこれから始まる家族の物語を始めさせる大事なだいじな、私たちの子どもだ。
そんな幸福の最中送りつけられた封筒は、私の手の中にある。真っ白な封筒には宛名や住所がすべて手書きであり、よく整えられている封筒である。しかし肝心の、送った人物の名前がない。いったい誰からの手紙か、私には判然としなかった。
封筒は彼がポストから出したものだ。出勤前の朝ということもあってすぐに出て行ってしまった。なぜ私に差し出されたのか? 宛名が私の旧名であったからだ。ということは私宛の手紙である。
しかしこの時代に、わざわざ手紙を書いて封書し送ってくる友人は、私にはいない。だいたいメッセージアプリを介してお祝いの言葉はもう貰ったのだ。
私の中に不気味さがひょっこり顔を出していたが、こうしてウジウジと考えてもいられない。かといって無下に捨ててしまうのも、なにか後味が悪い。
封筒をザザと開けた。
中にはいくつかの紙を折りたたんだものがあった。薄っすらと透ける文字列……私は、誰かからの手紙であることを知った。パラパラと開けばそこには、すべて手書きの文字。例外なく黒色でまとめられている。
目を滑らせたが、筆跡に思い浮かぶ顔はなかった。奇妙な不安感情が湧いてきた私は、やはり手紙をくしゃくしゃにし、捨ててしまおうとした。
が、私ではない身震いにそそのかされた気がした。お腹の子が、蠢いているのだ。漏れる笑みと同時に愛おしさを巡らせたのだが、私の子がこのタイミングで身震いしている、それがすこし怖かった。
言葉にならない、もっと本能的で記号外のものを激しく掻き立たせたのだ。その手紙を読まなければならない、と。脅迫的、素直さに満ち満ちた悪意を持って。
揺れが静まると同時に、私は手紙の一行目を見始めた。
「拝啓
最も緑と青の生える季節、木々につく蝉の盛りに生命の勇気を感じることと思います。あなたとその子に、そんな夏の祝福があらんことを願うばかりです。
まずは結婚、並びにご懐妊おめでとうございます。そして……私を覚えていますでしょうか? 恐らく覚えていないでしょう。私はただの同級生に過ぎませんから。
私です、キイチです、
……思い出した、キイチだ。何度か会話はしたが、なぜ手紙を送ってきたのかはまったくわからない。それに彼は……成人式の前に死んだと噂されていたはずだ。死んではいなかったのか?
「あの頃の思い出話でも書こうか、と思っていたのですが、やはりやめておきましょう。それよりあなたが知りたいのは、なぜ自分にこんな手紙が届いたのか、ということでしょうから。
私があなたに告白したことは覚えていますか? 覚えていなくても無理はないでしょう。あれは世間一般で告白と呼ぶには、あまりにも稚拙であり思慮に欠けたものでしたから、やはり覚えていないと思います。」
告白? ……そうだ、思い出した。偶然二人になったことがある。どんな状況でそんな場面が生み出されたのかは覚えていないが、彼がそれらしいことを言った、ということは欠片として記憶に存在している。
いったい彼がどんなことを言ったのか、私がどう反応しどのような言葉をかけたか、そこがわからない。正確には覚えていないのだ。
不快と僅かな怒りが渦巻く。ただのお祝いであればまだマシだと思っていたが、まさかそんな、覚えていなくとも良いような過去を手紙に書く、キイチの真意が不可解だ。
「あなたはあのとき、言葉と身振りで私の告白を断った。当然です、無理もありません。しかし私は本気だった。あのときの私がどれほど傷ついたか! いえ、同情などいりませんし、私としても、もし過去に戻れるなら殴ってでも止めていたでしょう。
不躾な手紙に加えて、そんな過去をつらつらと綴っている私を不快に思うでしょう。しかし待ってください、まだ手紙を閉じないでください。ここからが、あなたに本当にお伝えしたいことなのです。」
一握りの善意により、私は手紙を読み続けた。
「あの告白こそが元凶なのです。あれから私はしくじってしまった。今はもう、後戻りのできない過去を悔やむしかなくなってしまった。
私はあれから、どうしてもあなたと一つになりたかった。そのためならなんだってした。結果、なんだってしてしまった。もう時間がありません、率直に申し上げます。
今すぐに子どもを殺してください。可能ならば生まれる前に。それは私です、私なのです。姿形がどれだけあなたたちに似ようと、その子どもは私の魂を転写したものに過ぎません。私はまたしくじった! あのとき……(ここから先は判読できない、どす黒いシミや文字の揺れがある)
とにかく殺してください。でなければあなたたちが殺されてしまう。加えて、これから子どもは作ってはなりません、それも私の魂を転写したものだ。
転写……と書きましたが、正確にはおこなわれません。洗濯をしたタオルが元に戻らないのと同じ、黒縄に絞められた魂は元に戻らないのです。
もしも生まれてしまったなら……必ず絞殺してください。黒い紐でなければなりません、紐であれば良いのです。結びは摩擦、または形です。ならば逆のことをしなければならない。私は解いてしまった……なら、結べば良いのです。
もう一度書きます、絞殺してください。生まれる前に殺せるのなら、それが最善です。もしも生まれてしまったのなら、です。猶予は三日です。ああそうだ、だから(またも判読不可)……これが抜けてはダメです、やるなら手抜かりなく……
方法を、記します。白い部屋でおこなってください、南向きの窓から陽光が燦々降り注ぎ、心地良い風の入る場所で。窓を横に、正面には姿見を置いて。言葉はいりません、ただ子どもを姿見の前で絞殺してください。強く強く、結ぶように。
たったこれだけです。あなたの子どもと思わず、感情の伴わない屠殺と思ってください。死骸は、三重県――――――――(なんらかの住所)に。そこにいる人物に「
言葉もありません、ただあなたの人生によからぬものを結んでしまった。私は(消されている)、解いて、(こちらも消されている)を結んでしまった。本当にごめんなさい、ごめんなさい。私がしくじったばかりに巻き込んでしまった、ごめんなさい。
私はこれから、なるべく結びに行きます。すこしでもあなたへの影響を消すために。これが届く頃には結び終わって、自身も結ぶでしょう。本当にごめんなさい、では。
敬具」
なにもわからなかった。ただただ気味が悪かった。手紙を破り捨ててしまおうとした……が、やめた。する必要がないと思った。一体なんだというのだ、キイチは、なぜこんな手紙を?
チャイムが鳴った。
二人分の体を動かし、玄関に立った。なにやら配達員のようで、特段不審な点はなかった。扉を開くと、そこにはブルーの作業服を着た配達員。手にはなにやら封筒があった。
「すみません、S様でお間違いないですか?」
「はい、そうですけど」
配達員は安堵しつつも、釈然としない様子で眉を下げていた。
「えっと、先ほど、S様の知り合いだ、という人がこれを渡してくれってんで……もしあれなら、こちらで処分しましょうか? 中身は見てないんですけど、ちょっと怪しげで……」
封筒は、先ほど開けたようなものだった。まったく同じものと言われても気がつかないほど。血の気が引いたと同時に、軽い吐き気がして、玄関でへたり込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「い、いえ……大丈夫です。その、受け取ります。わざわざありがとうございます」
配達員は心配する素振りを見せつつ、眼前の道路に止まっているトラックに戻っていった。私は扉を閉め、座り込んだまま封筒を開けた。……やはり手紙だった。筆跡は先ほどと同じで、またもキイチの手紙が届いたのだと思うと、さらなる吐き気がした。
ただ、なにか読まなければならない気がした。私は震える手を玄関タイルに押し付けながら、なんとか手紙を開き、読んだ。
「キイチです、続けざまの手紙でごめんなさい。僕はさきほど大変物騒で恐ろしい手紙をあなたに読ませてしまいましたが、心配はありません。たった今、そんな不安はさらさらとなくなったのです。どうかそのまま、お二人の子供を産んでください。それでは……もう二度と会うこともないでしょう 敬具」
わけがわからなかった。先ほどは殺してくれと頼んでおいて、今度はなんの心配もない? コイツはいったいなんなのだ。
そうだ、そもそもコイツはなんの関係もない。私の過去からちらりと覗いただけの、ただの他人だ。そんなものの手紙に恐怖したり怒りを抱いたりするのは、馬鹿らしいわ。
背を丸めてギュッとする。確かな子どもの、生命の情動を感じる。これほど温かなものが、一個人の不可解な手紙で脅かされてはならないのだ。私が守り育てなければならない。
そんな決意に反応するように、お腹が揺れた。どうも笑っているようだった。だから私も、これからの明るい未来表明として微笑んだ。もうすぐ、生まれる。
◎ ◎ ◎
公園のベンチに座り込むスーツ姿の男性が、空を仰いだ。ため息の出るような空は、あまりに雲が少なすぎる気がした。男性の脳裏によぎるのは、ある更生計画であった。
「頼まれた通りに、渡してきましたよ」
男性が顔を上げる。ある配達員が、眉根を下げながら水の入ったペットボトルを差し出した。そういえばなにも口にしていなかった……と思い、男性は礼を言って受け取った。
「なにもこんなことしなくても……
「君は黙っていろキイチ。あれも
宮下……と呼ばれたスーツの男性は、どこかうんざりしている。なにか意見されるのが嫌だったのだろうが、それにしては手が震えている。作業服のキイチには、その真意がわからない。
「サユリさん、あそこまで入れ込んじゃってるんですね。
「やめてくれ」
宮下の怒気が流れる。キイチはそれっきり話をやめたが、これだけはどうしても訊かなければならない、と再度口を開いた。今度は、先ほどよりも丁寧に。
「……宮下さん、あなたがどういう経緯で僕のことを見つけたか知りませんが、サユリさんはもう、ただの同級生です。あんまり危ない橋は渡らせないでくださいよ。これ以上計画があるのなら、ですけど」
宮下の返事はなかった。ただ、遠くからサイレンが鳴り始めたことを、キイチは聴いた。特徴的な音が閑静なはずの住宅街に近づく。どうやらこちらに救急車が向かってきているらしい。
キイチはサイレンに負けぬよう、声を張って話した。張ったせいか、仄かに語気が強かった。
「ともかく! あなたもサユリさんも、きちんと病院に行ったほうがいい。家柄や仕事柄とか関係なく……もしあなた、宮下さんが彼女を大切に想うなら」
「こっちだ」
宮下からまったく関係のない言葉が、関心の向いていない返事が返ってきたキイチは、寸刻目を閉じて自身を落ち着けた。その間に宮下はゆっくりと立ち上がり、一、二歩進んでサイレンの方を見ていた。
「計画は……成功だ!」
刹那、公園の前を救急車が過ぎ去った。キイチの耳には、特徴的なサイレンの音が下がり、悲劇的な響きだけが残った。それは、わんわん……と反芻、まるで自分たちが閉じられた箱の中にいるようで。キイチは身震いした。
「成功だ、成功だっ!」
宮下は過ぎていった救急車を追いかけるように歩いていった。キイチはというと、病んだ二人とそこに割り込む救急車に、やはり憐れみを感じざるを得なかった。
「いっそ本当に……」
そこでキイチはハッとし、言葉をやめた。彼らをどうこう言うのは、それこそおかしい気がしたのだ。
子どもが生まれると思い込んでいるサユリさん、おかしくなってしまった妻を治そうとする宮下さん、通報を受けて駆けつける救急車、そして僕。そこに役割はあれど、差はないはずなのだ。
僕はサユリさんや宮下さんを見て、よかったと思った。救急車を見て、よかったと思った。大丈夫そうに空のお腹をさするサユリさんを、よかったと思った。自身の書いた一枚目の手紙を僕に見せる宮下さんを見て、よかったと思った。サイレンが通り過ぎて、よかったと思った。
なにもよくない、なにもよくなくない。サユリさんは治るのだろうか? 宮下さんは治るのだろうか? 救急車は治せるのだろうか? 僕にはなにも、わからなかった。
ただ怖いとだけ思った。ほんの些細な……もちろん当事者にとってそれらは些細なことではないのだけれど、細かなことで壊れてしまう人間がこの世界には大勢いるのだ、ということが恐ろしかった。
僕もその一人だ、ということが堪らなかった。
せめて二人の崩壊を、関わってしまった手前しっかと見つめていようと、キイチは思った。すでに公園から消えてしまった宮下さんを追うように、彼は歩き出した。
サイレンは止まっていた。しかし、彼ら三者からは、僅かなサイレンが聴こえてくるようであった。
生まれたサイレン、止まぬサイレン ベアりんぐ @BearRinG
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