こっくりさんに、してやられた

御戸代天真

こっくりさんに、してやられた


「こっくりさん、こっくりさん、おいでください。おいでくださいましたら『はい』のほうへお進みください」


 薄闇が空を飲み込み始める放課後。古い校舎の教室は、少しカビ臭かった。

 窓際の席に座り、一枚のノートを破り中央に鳥居、両端に『はい』と『いいえ』を大きく書き込み、その下に五十音と数字を殴り書いた。錆びた十円玉を鳥居の近くに置いて、人差し指を添え、呪文を唱えて薄目で睨んだ。

 

 変化はない。

 

 怖いくらいの沈黙が、強張っていた体を重くした。

 そこへ忍び寄るようにやってくる、数ヶ月前からの囁き声。それが今も、私の耳を攻撃する――

 親の都合で転校した田舎の学校の、三年二組。

 私の真っ黒な瞳と髪は、周りのみんなと大して変わらなかった。それなのに、おかっぱ頭と『花子』という名前を一部の男子が妖怪のようだと言い出した。程なくして、クラス中から冷たい嘲笑の的になった。

「なんか、妖怪みたい」

「わー、花子がトイレから出てきたぞー」

 何度も恨んだ。でも、どれだけ隠そうとしても、染めても、鏡で見る黒々としたそれらが現実を突きつけた。本当に呪ってやろうかと、何度思ったことだろう。そして、誰もが知る『花子さん』と同じ名前であることも――

 

「あ〜あ」


 わざとらしくため息をついても、反応はない。

 帰ろうと指を離しかけた、その時だった。


 ガラガラガラッ!


 教室の扉が唐突に開いた。


「……へ?」


 そこに立っていたのは、息を呑むほどの輝く金髪と端正な顔立ちをしている、小学一年生くらいの子供だった。

 子供は教室を見渡し、私を見つけるとこちらへ駆けてきた。机を挟み、私の指に添えられた十円玉を、迷うことなく『はい』の方へずらした。

 何が起きたか分からず、子供を呆然と見つめる私。

 少年と目が合った。宝石のような綺麗な瞳に吸い込まれそうになった。

 瞬きも忘れて見つめ続けたら、子供は後ろへ振り向いた。そこに何もないこと確認すると、「ん? おかしいぞ?」とでも言いたげに、こてんと首を傾げた。

 私の方へ見直し、「もしかして、見えてる?」と、澄んだ声で聞いてきた。

 私は無言で二度、小さく頷いた。

 すると子供は、窓に映る自分を凝視した。まるで借り物の肉体を訝しむように、眉をひそめ、顔を奇妙に変えている。

 しばらくして得心がいったのか、子供は途端に真顔に戻った。

 そして、姿勢を正すと


「やっちまったーーーーーー!!!!」

 先ほどの子供の声とは全く別の、野太く低い声が、教室ごと震わせるように私の鼓膜を劈いた。

「うっわ! やっちまった、やらかしたわマジで。久しぶりだったからなー。まっじで、何してんだよ!」

 子供は狂ったように床を叩き、机に頭を打ち付け、やがて糸が切れた人形のように固まった。


「あの……大丈夫? どうしたの?」

 豹変に驚きつつ、私は恐る恐る尋ねた。

「ああ、大丈夫ですよお嬢さん。ご心配おかけしました。もういい年なのに、まるで駄々を捏ねる子供みたいですね」

(いや、子供ですけど?)心の中で即座に突っ込んだ。

 

 教室は暗く、時計は六時を回っていた。

「いけない、そろそろ帰らなきゃ」

 カバンを掴み立ち上がったが、幼子を一人にできない。私は子供の前にしゃがみ込み、「あの……おうちはどこですか? わ、私……送って行くので」と聞いた。 

 子供は、まるで紳士のように微笑んで答えた。「ははは、ご心配なく。子供じゃありませんので」

(いや、だから子供だろ)また心の中で突っ込んだ。

 その時、子供が何か閃いたかのように、目を輝かせた。

「あ、そうだ。何ならお嬢さんをお送りしましょうか?」 

 子供は躊躇なく窓を開け、ひらりとベランダに出た。危ないと思って手を伸ばした瞬間、子供の体が眩い閃光に包まれ、みるみるうちに膨張した。

 私が次に目を開けた時、その光景に、自分の目を疑った。 


 そこには見上げるほど大きく成長した、精悍な顔立ちの男性が立っていた。その頭部からは二本の狐の耳がピンと立ち、腰からはふさふさとした、九つの尻尾が揺れている。 

「さあ! 行くよ」

 そう言うと、私は引っ張られるように窓から飛び出した。落ちると覚悟した私は、恐怖のあまりぎゅっと目を瞑った。

 数秒後、体に妙な浮遊感を覚えた。 

「どうだい? 中々楽しいもんだろう」

 そう言われ、恐る恐る目を開けると、私の体は宙を浮いていた。正確にはこの男性に抱え上げられ、夜空を滑るように飛んでいた。 

「心配いらないよ。君の目に映るのは、君が心地よく感じるよう私が創り出した幻だ。壁を抜けるだけの、面白みのない光景では興ざめだろう?」続けて、「最近はみんな、こっくりさんなんてやらないのになぁ。あれは危ないんだぞ。悪い霊が来たりするからな」

 その言葉に、私はずっと聞きたかった質問を、震える声で絞り出した。 

「あの、あなたは……?」

「ん、私か? 私は……そうだな。俗に言う、お狐様というところだ」

 お狐様は続けた。 

「お嬢さんの強い、しかし歪んだ願いを感じてね。いやはや、この退屈な現世で、まさかこっくりさんをするものがいるとは。少し懐かしかったよ。まあ子供に化けて遊んでいたから、間違ってあの姿で向かってしまったがね」

 お狐様は、そう言って高笑いをした。

「さて、私も少し聞いていいかな?」

 不意に、その声色が重くなった。夜の帳が、さらりとその声を包む。 

「なぜ君は、そんなにも自分を隠そうとしているのかな?」

 その言葉に、心臓がドキリと跳ねた。見透かされている感覚に、無意識に体が強張る。

「前髪を下ろしているのは、目の色を見られたくないからか? 髪をバレない程度に茶色く染めているのは、本当の黒髪を見られたくないからかな?」 

 意味がないと分かっていながら、私は頭を覆った。体の奥で心臓が暴れる。 

「私は神の一人だ。こうやって指を丸くすれば、君の考えや悩みも見通せるんだよ」 

 お狐様は丸くした指を私に向け、まるで私の魂を直接覗き込むかのように、全てを見通した。逃げ場はどこにもない。私は観念し、隠しようのない自分を晒した。

 

 少し経った後、お狐様は、ふぅっと大きなため息をついた。その吐息には呆れと、どこか深い落胆が混じっていた。 

「ああ、まったく。お前さんが心の奥底に隠す秘密とは、その程度のものだったのか。

 黒い瞳に、濡れ羽色の髪。そして『花子』というありふれた名前。それの一体どこに隠す価値があるのだ? たかだか数度、どこぞの妖怪に似ていると囁かれた程度でな。本物と比べれば、お前さんは絶世の美女に匹敵するというのに。今の人間の悩みは、たいしたことがないな。滑稽なほどに」 

 私の顔から、サッと血の気が引いた。

 秘密を暴かれた恐怖よりも、それがたいしたことないと断言された、屈辱の方が大きかった。

「まったくもって、つまらん。私を呼んだ理由が、お前さんを嘲る童達への、ちょっとした仕返しというのもな。どうせなら、呪いの一つでもかけてほしいと思えばいいものを。優しさを通り越して、もはやお人好しだな」

 お狐様は、期待はずれだとでも言いたげに、大きく首を振った。

 そして、「いや、待てよ。歴史に残るの美女も確か……ふむ、これもまた一興か」と、何か思いついたかのように、ニヤリと口角を上げた。

「せっかく来たんだ。手ぶらで帰すのもあれだからな、いいことを思い付いたぞ。

 その実が表す言葉に準えて、お前さんにこれからずっと、朝起きたら枕元にちょっと酸っぱい、小粒なミカンが一つ置かれている呪いをかけてやる」

 

「は……ミカン?」

 私は固まったまま、混乱した。あまりに拍子抜けする呪いに、理解が追いつかなかった。

「あの、それって……何の意味があるんですか?」

 私の質問に、お狐様は満足げに尻尾を揺らした。

「意味、だと? フフフ……。ささやかなものこそ、一番厄介な呪いというものだろう。せいぜい美しい女になるんだな」

 私が悩み、苦しんでいた秘密をあっさりと暴かれ、その代わりに与えられるのは、毎朝のミカンという呪い……どういうこと?!

「さあ、行くがいい花子。そして毎朝ミカンを食べるがいい」

 

 気が付いた時には、私はすでに家の前に立っていた。夕日は完全に沈み、あたりはもう真っ暗だった。

 私は手と脳裏に、ミカンのねっとりとした皮の感触と、酸っぱい香りを想像した。

 

 翌朝、目覚めると枕元には、本当に小粒でいかにも酸っぱそうなミカンが、ちょこんと置かれていた。

 私はそれを呆然と見つめ、思わずゴミ箱に放り込もうとした。しかし、なぜか手が止まる。結局捨てきれずに、諦念混じりのため息をついて、皮を剥いた。食べた瞬間、口に広がるキュッと絞るような酸味に、顔をしかめた。


 そして数日後、私のあだ名は『ミカンちゃん』になっていた。

 ある日、朝食べ損ねたミカンを教室で食べていた時「え、花子ミカン食べてる!」

「うわ、ほんとだ。ミカンちゃんじゃん!」と、まるで未知の生物を発見したかのように、私を囃し立てたのだ。

 その日以来、私は学校に行く度「ミカンちゃん、今日もミカン食べてるの?」と、面白そうにニコニコされるようになった。

 

 まったくもって、してやられた。

 お狐様は、私に『毎朝のミカン』と『ミカンちゃん』という、奇妙な呪いを残していった。そして、お狐様が言っていたミカンの花言葉を調べたら、一番上に出てきた『美しさ』という単語。この嫌がらせのような連鎖に悶絶する私を見て、どうせあいつは笑っている。その顔面に思い切りこのミカンを投げつけてやりたかった。……はぁ。呆れしか出ないはずなのに、私は今日もまた、ちょっと酸っぱいミカンの皮を剥く。

 

  

 あれから一年。いつの間にか忌み嫌うことも忘れ、当然のようにミカンの皮を剥いている自分に気づく。

 私は今日も、見る人全てに綺麗と賞賛される、真っ黒な瞳と髪をなびかせ歩き、『ミカンちゃん』として、その名の如くミカンを食べる。

 いつしか『花子』という名前すら、遠い日のことのように感じる奇妙な違和感に、静かに首を傾げるのだった。

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