あなたの夜は虹色だった(2/4)
加藤は自分の車に招待するため、停めている場所まで付いてきてもらう。車は疎らに停まっており、介護長専用の駐車場に車が停められたままだった。それらを通り過ぎ、青のミライースまで歩いてくる。
「えりちゃん乗りなよ」
「は、はい。おじゃまします」
助手席に後輩を乗せて、車のエンジンをかけた。スマホホルダーに自分のスマホを挿入、桂木の住所を聞いたあとに入力し、車を発進させる。出口を過ぎて道路に出た。共存園の山奥は街灯が少なくてゆかたちの顔をなでるように前から後ろに行く。その間も桂木は静かにしていた。ゆかとしては沈黙を気まずいと捉える人間だから、何か話題がないかと頭を使って切り出した。
「えりちゃんの自転車を見たことがあるよ」
「方向が同じなんですか?」
「途中まで見たことある」
「呼び止めてくださいよ」
「呼び止めるのは危ないでしょ」
「私は加藤さんだけ仲良いので」
「そんなことない。ほかの人と話したらいいよ」
「何話せばいいですかね。ユーチューブショートとか?」
「それは面白くないからやめたほうがいいね」
「私テクノロージアうまいですよ」
「どういうこと?」
「テクノロージア!」
「あははは。うわ本物だ」
桂木は加藤に人見知りを発動しない。
それが他の同僚から反感を買う。周りの空気は読めていない。だけど、虐められるほどじゃなかった。
桂木自身が話しかけにいけば解決する。
「そうなの? 加藤さんと仲良くしたい人とかいそうだけど」
「そうですかね……」
彼女と話していて、自分と彼女の境界線を忘れてしまっていた。彼女は正社員採用で、自身は派遣採用だ。それを飛び越えてしまうほど、2人には奇妙な関係が形成されている。
「加藤さんのこと聞いてもいいですか?」
「何が知りたいの?」
「どうして介護を始めたんですか?」
彼女の脳内に浮かんだのは、母親の病室だった。白く薄いカーテンが風に遊ばれて、お見舞い品のフルーツをいやらしく撫でる。やせ細っていく母は、自身の変化に耐えられず機嫌が悪くなっていく。その思い出が引き起こす不快感をつばと飲み込み、後輩の言葉に向き合った。
「うちの母親は病院に通っていた。そのときに介護のことを知って、志したかな」
半分は嘘だった。人に対しても自分を守るために嘘をつけるようになって、自分ですら騙しているんじゃないかと、ゆかは不安に襲われる。その気持ちすら封じようと早く酒を飲みたかった。
「私って理由がないからダメダメなんです。全然仕事がうまくいかない。入居者の方を吐かせてしまった」
「あれは吐き出したというより吹いたって感じだったよ」
彼は他の人にもわざとらしく吐いたことがある。もちろん手を抜くこともしないし、前回と同じように連絡を入れて確認を取った。
「こんど介護記録を読んでみて。一人ずつの関わり方がある。それに、あれは私の指示がミスしていた。えりちゃんだけじゃない」
「ありがとうございます」
そうするうちに彼女の目的地に着いた。
彼女の住んでいる場所は住宅街の角で、車が一つ通るだけど目立つ。
停車し、ライトを消してエンジンを止める。車の右手は目的地の家。
「ありがとうございます」
「また何かあったら教えて」
「……はい」
名残惜しいのか車から出ていかない。酒を飲みたい気持ちをぐっと堪えて、なんと伝えれば適切か頭を働かせる。
「やっぱり、一緒に飲みに行きませんか」
「……」
桂木の家を見る。加藤の家と同じ明かりがついたまま。
窓を開けて、耳を澄ませてみた。
人の叫び声がして、何かが割れる音がする。
人の家庭を想像してはいけないが、騒音が自分の過去を引きずり出してくる。
加藤は助手席の新人が、分かってしまった。
彼女は、家に帰るだけでも勇気が必要だ。
「えりちゃんと私は似てるみたいだね」
窓を閉めてから、車を発進させる。
車内は無言が独居して、気まずさは既に降りていた。桂木は夜のどこかに寄ろうとしている。
家に帰りたくないという幼稚な理由は、加藤の心越しでは真っ当な理由に映った。
赤信号でスマホをポケットに戻す。来た道を戻ったあとで自分の家まで帰った。
加藤ゆかは2階建てのマンションに一人暮らししている。契約している駐車場に自分の車を停めて、明かりを消した。必要な荷物を纏めたら、桂木から貴重品以外のものを渡してもらう。それを自分の部屋がある部屋まで行って、リビングに置いたら、車に座らせたままの桂木の下まで戻る。そうして、車から降ろすと、ここから歩くよと話した。
桂木は自分のなかにあった熱が冷めてきて、自分の傲慢さを俯瞰した。
「ごめんなさい。ワガママでしたね?」
「え、いいよ。ご飯食べに行くだけだよ」
「せめて奢らせてください」
「後輩に奢らせるわけないでしょ。それに、えりちゃんを連れていくって決めたのは私」
「でも、申し訳なくて」
「えりちゃん。ここはありがとうで良いの」
「ボーナスが出たら返します」
え、ボーナスが出るんだという驚きが先に来た。加藤は表情に出さないよう努めながら心にもなくそうしようと返事する。
二人で電車に乗車した。電車から流れる景色が徐々にビルが増していく。突き刺すようなビルの明かりが二人の顔に当たったとき、加藤は電車から降りる。
駅前は夜の人だかりであふれていた。
居酒屋に向かう若者や出来上がった中年の男性。騒がしい女性たちの横並び集団。人に当たらないように身を交わす加藤についていく桂木。そのこなし方は街の生命体として適応した姿だった。それだけで、ここに長く居着いているのが理解できる。
歩いていった先に、焼き鳥屋が前に立ちはだかった。先頭の加藤は躊躇なく開けた。店員に2名と伝えたら空いている席を紹介してくれる。桂木は大人たちの楽しげなやり取りに気後れする。「行くよ」という声に手をひかれ、店員に誘導された。
2人が来たのは個室。襖のような立て付けが両脇にあり、気配はあるけど覗かれる心配の内積だった。運よく個室に入ることができた。
「えりちゃんってビールを一度も飲んだことないの?」
「飲んだことないから試してみたいです」
「アルコールも飲んだことない?」
「はい」
「だったらコークハイにしよ。あ、コーラは飲める?」
「大好きです」
席について店員が数分もせず注文を取りに来る。豚バラ塩と砂肝と、ビール瓶にコップ二つ注文した。あと、コークハイ。
飲み物から先に登場し、お通しで大根の漬物がくる。
「じゃあ、1週間お疲れ様」
「飲んでみます。……おいしいです! 変な味のコーラ!」
「あははははは。そうね」
2人で酒を飲んだ。注文した豚バラ塩を勧めて食べさせる。桂木は口を豪快に開けて二口で噛んだ。子どものように頬張らせて、時間をかけて飲み込む。よほどおなかが空いていたようだ。
「え、美味しい!」
「まさか外食もしたことないの?」
「ありますよ。でも、基本はお婆ちゃんが作ってくれました」
「お婆ちゃんが家族と一緒に住んでいたの?」
「母のかわりに家事をしてくれました」
桂木家の喧嘩は中年男女の声がした。2人は当時何していたのか気になるけど、好奇心で突っ込めるほど酔っていない。
「お婆ちゃんが私に勉強を教えてました。近くにピアスさえ開けてなければ入れる高校があって、そこで出席日数ギリギリで卒業しました」
「へー、格好いい生き方してるね」
「格好いいですか?」
「格好いいよ」
加藤は自分の結んでいた髪をほどいた。跡のついた髪が丸まりを保とうとしているけれど、指を櫛にして広げていくから、先の丸まったボブみたいになる。
「あ……」
「ん?」
「か、加藤さんは?」
「子供の頃は勉強も頑張ってたんだよ。大人になってから酒のんで寝る生活の連続だけど」
「でも、仕事と生活を切り分けてて尊敬します。私は引きずっちゃうので」
彼女はコークハイを飲みきった。店員さんを自分で呼び、同じ物を注文する。そのまま、串に手を付けお腹を満たしていた。
「って仕事の話はやめよう! 楽しくない!」
「え、わかりました」
「今日はえりちゃんを大人にする日です。お酒とクラブに連れ回します」
彼女を潰さないように配慮する。大人として当然の義務は負っている。彼女はストレス発散のはけ口を一つだけ教えようとしていた。家に帰れない彼女に共感したから。
「か、かかってこいです!」
「えりちゃん。言ったね」
次のお酒を注文した。二人は好き好きに酒を飲んでは食事を重ねる。酒の回りが早くならないように食事も進めた。桂木の顔色は変わらず、想像よりも酒は強い。
「加藤さんの学生時代が気になります」
「もうずっと勉強した」
「恋人とか作りました?」
「いなかったー。あ、働き出して何人かいる」
「今は恋人います?」
仲山の顔がよぎる。そこに付随した感情が不愉快で舌打ちした。
「今はフリー。えりちゃんは?」
「私は一人だけ付き合ったことがあります」
「え、聞いていい?」
「はい。えっと近所の幼馴染です。向こうから付き合おうって言われて試したんですけど、自然消滅しました」
「今は好きなの?」
「いや全く好きじゃないです」
「そんな強く否定しなくても。あははははは」
「か、加藤さんはどうなんですか! 初カレは!」
「ん? あー、束縛強くて別れた。まあ、連絡は取ってるけどね。今は友達」
仲山のことだ。
正確には男じゃない。けど、その訂正をしたら彼女が混乱するだけだ。どうせ距離を取られるなら、都合よく解釈されてほしい。
「それ、相手も友達と思ってますか」
「おとなですから。思ってますよ」
「え、格好いい……」
「私もなかなかだけど、えりちゃんも変わってるね」
「えへへ」
コップ内の氷が店内の空気で溶けていくように、二人の仲は進展していく。雑談が広がり、恋人の価値観も話す。
「加藤さんって束縛されたら嫌そう」
「うん、めっちゃ嫌! 遊び回りたいもん」
加藤はふと時計を確認した。そろそろ2件目に行くかと話の終わりどころを探る。
「私は束縛ほどじゃないけど、一番に思われたいです」
「それ束縛するやつが言うやつー」
「違いますー! でも、大事にされたいですよ」
「じゃあ、私みたいな人とは付き合わないことだね」
つい口を滑らせてしまった。ゆかは冷や汗でお避けの熱が抜ける。笑われたら彼女の心は傷つくし、深刻に捉えられたら解散しやすくなる。どちらも地獄だと深呼吸し、彼女の目から真意を見抜く。
「だったらやりあうしかないですよ」
「え?!?」
「もう殴り合いですよ!」
「殴ったらダメじゃない?」
「殴ったら殴り返して欲しいです! それが愛だと思いませんか?」
いつの間にか彼女は胸元の第一ボタンを開けていた。紫に近い肌があった。肩と胸は色が違う。
彼女の右目だけ灰色だった。
「二軒目行きましょうよ」
加藤は既視感を覚える。とても大切な思い出の方にいた気がするけど、無神経な彼女は深く考えなかった。
それが彼女の哲学だ。
次の更新予定
あなたの夜は虹色だった 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou
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