嫌な自分を、切り離さない。依存症治療で教わった「自己肯定」より「自己受容」の話。
梶井と夫
第1話
買い物依存症の治療も3年たって、
1日500円生活(過去記事参照)のおかげもあり、
買い物の仕方も大分落ち着いてきていたこの頃。
だったのですが!
先日、久しぶりに大スリップ。
※スリップ=依存症の人が回復の過程で依存対象を再使用してしまう、私の場合はむちゃな買い物をしてしまうこと。
買ったのは、2歳長男の育児用品。
夫に相談もなく、小物を色々9,000円分一気買い。
前回の記事で書いた「依存症者が概念買ってる説」に照らし合わせて、
スリップした後、自分の中で育児用品はどのような象徴的な意味を持っているのか、考えてみたところ……、
・「子どもを大事にしたい」気持ち
・「子どもに不自由させたくない」気持ち
・育児の辛さや手間を軽減してくれるもの
という意味があったことに気づいた。
依存症治療を始めた頃は、
自分の中で「ストレスを感じている→買い物する」の流れがあることを指摘されても「はて???」みたいな感じだったけど、
最近は「あー、買いたい、買いたいってことは今ストレス感じてる?何がストレス?あ、あのことだ!」みたいに、
自分の気持ちに買う前に気づけるようになってきていた。
しかし、今回の買い物中は、
バチバチになってる一番症状がひどい時(月20万、30万買ってた時)の
アドレナリン出てる時の感じと少し違う感じもあって。
それは、以前みたいな「買ってる!嬉しい!」って気持ちが
湧いてこなくて、
表層的には商品を見てるけど、
目の前の商品や自分の気持ちは遠くにあるような、
なんだか本当の感情は麻痺してるような感覚があったこと。
買ってしまって、夫に報告して、
「何かストレスがあるの?」と夫と話したけど、
全然今回はピンとこず。
そこで、考えたのは、
「あ、そういえば依存症の依存対象って『松葉杖』に例えられることあるな」
ってことです。
生きづらさを抱える依存症の人は、
アルコールや薬物、ギャンブル(私は買い物)などの依存対象物がなければ立っていられないほど、
その人の生活や精神状態が不安定になっているらしく。
依存症の人は自殺率が高いんだけど、急に杖を取られたら歩けなくなる=生きづらさに耐えられなくなる=自殺しちゃう、
なので、やみくもに杖を取る(禁止する)のは治療としては逆効果だよ、
ってことを言われるのですが。
この話を思い出して、
最近落ち着いてきていたのにスリップしちゃったってことは、
これまで感じて対処できるようになってきたストレス
(私の場合は、実家の人との家族関係の問題)より大きな、
今、私には、買い物という「松葉杖」がなければやっていけないくらい苦しい気持ちや大きなストレスがあるのでは?
と考えた。
え、やばいやん、自分が見ないようにしてる気持ちをちゃんと自覚しない限りは、またスリップしちゃうやん!
と思い。
日記帳を前にウンウン唸って少しでも気になることを書いてみたり、
「最近変わったことと言えば、退職したことと乳児院入所中の長男(2歳)が明日帰ってくることだけど…」
と夫に言われたので、退職に対しての気持ちや長男に対する気持ちも深堀したり。
そして、気づいた。
見ないようにしていた本当の辛い気持ちに。
それは、
・長女(8歳)と長男(2歳)が一緒に落ち着いて過ごせるか、外泊が不安。
※長女は感覚、とくに聴覚が過敏で、幼い子の泣き声があると荒れてしまう
・長男を早く迎えに行ってあげたいけど、いつになるか分からない。辛い。
・夫のうつや自分のうつの調子的に、今はまだ迎えに行くのは無理だ。絶望感。
・長女の対応ばかり優先して、長男はいつも割を食っているのではないか。
でもどうしようもできない。長男に申し訳ない。
・家族全員で暮らすのは今後も無理なのでは?不安と絶望感。
※長男以外のうちの家族は、長女(感覚過敏で不登校)と夫(うつ病)と私(うつ病と依存症)と義母(視聴覚障害)というハードメンバー
・経済的にも私が早く就職しなきゃいけないけど、まだ体調が整っていない。焦燥感。
・長女の育児は、一つ一つの対応に今まで必死で、長女育児が大変なことに今まで気づいてなったけど、最近気づき始めた。
・長男帰ってきたとして、夫がうつの療養中なので、仕事もしつつ、メインで育児もしていかなあかんのでは?というプレッシャー。
私も体調悪くて仕事やめたしどうすれば……
・昔Twitterでみた反出生主義の人のコメント
「子どもを幸せにできないなら、産むのは無責任」が頭に浮かんでた。
乳児院に入れる、家庭で保育できないから2人目を産んじゃいけなかったのか?
(夫も昔は「うちは一人で十分だよ、二人目の余裕ない」と言っていた←今はそんなことない)
長男が乳児院入所してから半年、
こういう気持ちが渦巻いていて、
でもそれを意識したら、辛すぎて日常生活はやってけないし、
長女を責めちゃうのも違うけど、責めちゃう気持ちになりそうだし、
っていうのがあって。
長男のことは「安全で守ってくれる職員さんがいるから大丈夫」って思って、
とりあえず気持ちの上では一旦長男のことは『考えないBOX』に入れて、
半年前は長女大荒れだったので、
とにかく目の前の長女育児と仕事に注力する!ってやってました。
夫もうつ病治療で入院中だったし。
なんとか生き延びる、を目標に。
落ち着きたい気持ちと、
今買い物する喜び(心の松葉杖)がなくなったら、しんどいな、やっていけんな。もういいやん、みたいな気持ちも、
心の中に同居してるのにも気づいた。
あれー?私そんだけしんどかったんやー!あちゃー、って感じでした。
全然自分の気持ちにピンときてなかった。
受診後、ここまで書いたことを主治医に全部話した。
主治医は、全部ウンウンと頷きながら、いつも以上にやさしい瞳で傾聴してくれた。
以下主治医のお話↓
・前回の受診時の主治医コメント「すべては受け入れるしかないから」を、
私は「頑張って精一杯対処しての結果だから、これ以上はないし、今の状況を受け入れるしかない」と解釈していて、その話をしたら「受け入れるのは、状況もだけど、自分の気持ちだよ」と。
・「一番つらい気持ちは最後まで出てこないからね。そういうものだから」
・自分の気持ちはちゃんと理由があってでてきている。
「そう思うのはダメ」「そういうふうに思うのは良くないこと」とか思わずに「ああ、そういう気持ちが出てきたんだな」と受け止める練習をしよう。
・体調が悪くてできない時に、出来る時と比べて「できない自分はダメだ」とも思ってな
い?それは治療に良くない考え方
・長女と接する時もそう。「今はそういう気分なんだな」と受け止める。ひとつひとつに反応しすぎず「経過を見ることが大事」
先生は、1月の依存症家族勉強会の報告に「『自己肯定感』から受ける違和感」という文章も寄せていて。
少し長くなるけど、すごく良い文章だったので、その要旨を載せますね。
「自己肯定感」という言葉は
「ありのままの自分(長所も短所も、成功も失敗も)を受け入れ、『自分には価値がある』『自分はこのままでいい』と肯定的に捉える感覚」
という定義がある。
でも、それって、言葉の背景に
「人には長所・欠点がある」「成功・失敗がある」って見方があるよね?
「価値がある」っていう時の「価値」って何?
自分を肯定する/否定するって見方自体が有害じゃないか?
存在するのは、自分の特徴であり、ある側面やある経験があるだけ。
色んな側面がある中で気に入るものも気に入らないものもあるだろうが、
気に入らないからといって切り捨てるものではない。
全部含めた総体丸ごとが自分だから、肯定も否定も必要ないし、正誤も優劣もない。
「自己肯定感」ではなく、「自己受容感」と表現するのがいいのでは?
という内容でした。
受け止めるしかない、ってそういうことだったのかー
と、今回の受診と文章がぴったりきて。
依存症に限らず、この考え方をしていったら、みんな幸せになれるのでは!
と思ったり。
自分の感情を自分で勝手に評価して、もともと辛いのに余計辛くなってたんだ、私は、
と気づいた。
辛くなるのもまるっと私。
いつも建設的に、明るく正しく育児できるだけが正解の自分じゃない。
長女の育児、大変、しんどい、と思っても良いし、
長男いなくてさみしい、と思っても良い。
全部わたし。受け止めるしかない。
やってこう、と思ったのでした。
嫌な自分を、切り離さない。依存症治療で教わった「自己肯定」より「自己受容」の話。 梶井と夫 @kajii_to_otto
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