土と縄と
hydr
第1話
その噂を知ったのは何本か動画を投稿したころだった。山間の小さな集落で昔、人が消えたらしい。そういう噂は特別珍しいわけではないが、妙な信憑性に心惹かれるものがあった。自分の目で確かめてみよう、篠宮澪はそう思い立ち現地を訪問することにした。
集落へと向かう道は途中から舗装が途切れ、車のナビはあまり当てにならなかった。携帯の電波も途切れ途切れになっている。集落が近づいたころ澪はカメラを回し始めた。
昼過ぎに辿り着いた集落はどこか拍子抜けするほど平凡なものだった。畑で汗を流す人がいれば、道端で会話に花を咲かせる人もいる。強いて気になるところを挙げれば、若者が少ないことくらいだろうか。いわゆる限界集落という言葉が頭をよぎる。
澪は車を降りて、道ゆく男性に声をかけることにした。
「こんにちは」
「おう、こんにちは。お嬢さん見ない顔だね」
「はい、大学の課題でフィールドワークに来ているんです」
澪は言い淀むこともなくそう嘘をついた。このほうが動画投稿者と言うよりも話が早いのだ。
「そうかい。と言ってもここには調べるようなこともないと思うけどね」
男性は澪の嘘を疑うこともなく受け入れたようだ。快く会話に応じてくれる。
「どなたか歴史にお詳しい方をご存知だったりしませんか?あと泊めてもらえるところか、車中泊をしても怒られない場所があると嬉しいんですけど」
「それならこの道をまっすぐ行ったところにお屋敷があるから、そこで尋ねると良いよ。地主の伊原さんが住んでらっしゃる。勉強熱心な学生さんなら喜んで受け入れてくれるはずだ」
男性は通り沿いに指を指すとそう答えた。
お礼を言って車に戻った澪は、マイクに声を吹き込む–––––「集落の人は特によそ者に厳しいこともなく、歓迎してくれているみたい。地主のお屋敷を紹介してくれました」
穏やかな田舎道沿いに車を少し走らせると、すぐにその屋敷は見えてきた。立派な日本家屋だ。昔からこの土地にある家なのだろうと思われた。屋敷の前に車を停めさせてもらい、澪はスマホの録音アプリを立ち上げると屋敷へと向かった。スマホの画面では録音中を示す波形が揺れていた。
「ごめんください」
玄関から声をかけると、屋敷の中から足音が聞こえてくる。足音に続いて出てきたのは、背丈はそれほどではないがどこか力強さを感じさせる男性だった。
「どちら様かな?」
「大学の課題でフィールドワークに来ているものです。伊原さんがこの辺りの歴史にお詳しいと聞いてお伺いしました」
「そうですか。確かに私が伊原です。こんなところで立ち話もなんですから、中にお上がりください」
車の中で考えておいたセリフを口にすると、伊原は一瞬考える素振りを見せたが、澪の言葉を受け入れたようだ。半身を傾けると中へ歓迎する言葉を口にした。澪はポケットに忍ばせたスマホの感触を確かめつつ、感謝を口にして家に上がった。
伊原の案内に従って進むと、応接室らしき部屋へと通された。飲み物を持ってくるという伊原の背を見送り、改めて部屋の中を見回すと、木彫りの置物や何と書いてあるのか分からない書が並んでいる。
「お待たせしました」
二人分の湯呑みを盆に乗せた伊原が部屋に戻ってきた。
「年寄りの一人暮らしなものでなかなか整理も行き届いていませんが、何か興味をお持ちになるものでもありましたか?」
「いえ、立派なものが並んでいるので感心して眺めさせていただいたところです」
「ありがとうございます。それで、このあたりの歴史についてお聞きになりたいとか?」
「はい、この辺りについては大学でも記録がなかなかないので、実際にお住まいの方にお伺いしたいんです」
澪がそう告げると、伊原は湯呑みを口元に運び、一口だけすすった。
「この辺りの歴史なぞ知っても役に立つとは思いませんが、知っていることはお話ししましょう」
そう言って再び湯呑みに口をつける伊原に、澪は少し背筋を正した。
「はっきりした記録はありませんが、このあたりには江戸の頃から人が住んでいたようです。山には囲まれていますが、比較的開けていて水も豊富なところですから」
語られる内容に集中しながら学生らしくメモを取っていく。伊原の話は、ごく一般的なものに思えた。どこにでもあるような開墾の話、人が増え、出ていくものもいたという話。
「戦後しばらくまでは、ここもそれなりに人が多くてね、学校もありました。今ではもう子供は数えるほどしかいません」
澪は時折相槌を打ちながら、メモを取る手を止めない。しかし頭の片隅では別のことを考えていた。この集落に来るきっかけとなった、人が消えたという噂話が出てこない。
終始静かな調子で伊原の語りは終えられた。窓から夕陽が差し込み始めていた。
「私がお話しできることはこんなところです。お役に立ちましたか?」
話し続けた喉の渇きを癒すように伊原は湯呑みをあおった。
「ありがとうございます。大変参考になりました」
メモから目を離し答える。噂につながる話は聞けなかったが、もともと出所も怪しい噂話だ、こんなところだろう。ペンを離し、メモを取るのに疲れた指先を揉む。
「明日以降も調べさせていただくために、どこか止めていただける場所か車で寝ても良いところをご存知でしたら教えていただけますか?」
「そういうことであれば、」
湯呑みを机に戻した伊原が答える。
「うちの客間に泊まっていただいて結構ですよ。何もおもてなしはできませんが、車で寝るよりは快適でしょう」
調えられた応接室を見るに、客間も立派であることが予想される。車中泊を覚悟していた澪にとってはこれ以上ない誘いだった。澪は感謝を告げ、前を行く井原の背についていった。湯呑みの中の茶はすっかり冷めていた。
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土と縄と hydr @hydr0919
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