広告塔衛星の悲劇、あるいはハッピーエンド(短編・全4話)

天野橋立

第1話 磁気嵐、宇宙輸送艇の故障、木星圏名物の私有基地

 非常事態だった。

 宇宙輸送艇のコクピット、その運航を支援する航法システムのディスプレイが、あろうことか予備の二画面を含めた三画面全て、完全に動作異常に陥ってしまったのだった。

 各種の数値や船の姿が表示されるはずのその場所には、カラフルなノイズの帯がただ空しく流れていくばかりだった。

「くそ、宇宙気象局の役立たずどもが! こんな嵐が来るなんて聞いてないぞ!」

 艇長キャプテン・ロックハット・フレイザーが、操縦席で頭を掻きむしった。「艇長」とはいうものの、この艇に彼以外の乗員はなく、補助ロボットさえ搭載されていない。

 ついさっき、まともに巻き込まれてしまった極めて強力な磁気嵐、それがこの故障の原因なのは間違いなかった。もちろん機器類はシールドされているのだが、この年代物の輸送艇では耐えきれなかったのだろう。このような事態を避けるために、木星管区宇宙気象局の磁気嵐予報をしっかり確認して航路を取っていたはずなのに、大外れではないか。


 とりあえず、慣性イナーシャキャンセラーを作動させて、ふねの漂流だけは止めた。うっかり木星の重力圏にまともに落ちてしまったりしたら、まず助からない。

 不幸中の幸いだったのは、パイロットスーツのポケットに入れていたハンディコミュニケータが、故障を免れていたことだった。限られた性能のこの機械も、一応は航法システムの自律AIへのアクセスが可能なのだった。

 その小さな画面に向かって、ロックハットは質問を投げかける。

「エミリー。この宙域に、一時避難が可能な宇宙ステーションはあるか?」

「あなた、ついてるわよ、ロックハット」

 自律AIの「エミリー」は、予想もしない答えを返してきた。

「わたしのおかしクレイジーな画面じゃなく、窓の向こうをごらんなさいな。しっかりと、目を凝らしてね」

 何だって? と不審に思いながらロックハットはフロント・ウインドウの彼方に目を遣った。そして、あっと叫んだ。

 漆黒の宇宙空間のただ中に、が小さく瞬いていた。その文字は、こう読める。「太陽系のどこでも……コーヒーなら、USSコーヒー」

「おい、ありゃ『広告塔衛星』じゃないか!」

「ラッキーでしょ? こんな漂流状態で、目視距離内に宇宙ステーションが見つかるなんて。数億分の一の確率よ」

 そう、そこにあったのは、私有プライヴェート宇宙基地、木星圏名物の「広告塔衛星」だった。きわめて珍しい個人経営の基地で、運営費の一部を賄うためにスポンサーを募って、商品の広告をその外壁に表示している。

 その名の通り、木星の衛星軌道上を数日単位の周期で公転しているこの宇宙基地だったが、全長数百メートルの規模を有するとは言っても、広大な宇宙空間にあっては一粒の塵に等しい。エミリーの言う通り、偶然にたどり着けました、などということが起きる確率はごくごく低かったのだ。


 厳重にカバーされた非常レバーを引いて、ロックハットはオートパイロットを解除し、自ら操縦桿を握った。訓練は受けているとはいえ、この現代において、こうして手動で宇宙船の操縦を行う機会はまれである。懸命に操縦桿とスロットルペダルを操作して推進装置を制御しながら、彼は輸送艇を「広告塔衛星」へと接近させた。

 そのぎこちない動きを感知した「広告塔衛星」の管制AIが警戒モードを発動させたらしく、強力なサーチライトがふいにこちらを照らし出した。しかも、障害物排除レーザー砲の赤いレンズまでがこちらを狙っている。

 レーザーで蒸発させられたりしてはたまらない。あわてたロックハットはエミリーに頼んで、「広告塔衛星」の管制AIに連絡を取ってもらった。

「緊急寄港、了解しました。修理ドックに空きがありますので、南極側ゲートから入渠されたい」

 管制AIからは、すぐに許可が帰ってきた。ただし、相手は私有プライヴェートの基地である。示された寄港料は決して安いものではなかった。しかし、背に腹は代えられない。


 大汗をかきながらも、ロックハットはどうにか艇体を壁面にぶつけることもなく、手動操縦での入渠を完了させた。

 ドック側のマニュピレータで艇を固定してもらい、ほっと息をつきながら外へ出た彼を出迎えてくれたのは、基地のクルーらしい二人の男女だった。

「ようこそ艇長キャプテン、『ダーリントン・ワン』へ。ここの責任者、クリフ・ローレンスです」

 髭をたくわえた初老の紳士が、ロックハットに右手を差し出す。「ダーリントン・ワン」というのは「広告塔衛星」の正式名で、クリフはそのオーナーとして知られる名物男だった。

 オーナー直々の出迎えに恐縮しつつ、ロックハットは握手を交わす。しかし、彼の視線が吸い寄せられていたのは、クリフの隣に立つ女性だった。

 透き通るように白い肌と、明るいライトグリーンの美しい髪。宇宙そらに上がってきて以来、こんな美女に出会ったことはない。


「おや、失礼。美しきわが妻の挨拶がまだでしたな。キャシー、自己紹介を」

 そんなロックハットの様子をどこか面白がるような調子でクリフは言って、彼女の髪を軽くなでて見せた。まるで、お気に入りの人形にするように。来客の前であることなど、気にする様子もなく。

「キャサリン・ローレンスです。お会いできて光栄ですわ、艇長キャプテン。どうかゆっくりとお過ごしください」

 その灰色がかった緑色の瞳を思わず見つめてしまったロックハットは、その奥で可変瞳孔機構アイリスが作動していることに気づいた。

 クリフ氏の妻と名乗るこの女性は、人間ではない。きわめて精密に作られた、アンドロイドなのだった。


(2「キャサリン夫人の甘い香り、クリフ氏の怪しげな瞳」に続く)

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広告塔衛星の悲劇、あるいはハッピーエンド(短編・全4話) 天野橋立 @hashidateamano

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