息白し

藤泉都理

息白し






 白い息が羨ましい。

 いつかの雪女の私の言葉を、あなたはまだ覚えているのでしょうか。






 人間と妖怪が共に学ぶ小中高一貫の学校で、私はあなたと出逢いました。

 外で遊ぶのが大好きで、一年中半ズボンと半袖を譲らないやんちゃ坊主のたまき、あなたと。


 おまえが読んでいる本を読み聞かせてくれよ。


 本を読んでばかりの私にあなたはよくせがみましたね。


 文字を読むのは苦手だけど、新しい事を知るのは好きなんだ。


 満面の笑顔のあなたに私は私が読んでいた本を読み聞かせしました。

 あなたがあまりにもしつこかったので、仕方なく。

 あなたはよく質問し、よく自分の考えを口にして、私の考えを求めました。

 物語に没頭したい私は物語を遮るあなたに苛立って、読み聞かせをしないと怒ってよく席を立っていました。

 あなたは慌てて私を追いかけて、もう話さないと口に強く両手を押し付けましたが、読み聞かせを始めるとその両手はすぐに役に立たなくなりました。

 もうどれだけ私があなたを氷漬けにしようと考えた事かは、あなたは知っているでしょうが。

 いいえ、思考に留める事ができず。

 実際にあなたを氷漬けにして、先生に叱られた事は数知れず。

 私は納得できませんでしたが、謝りました。一応。

 あなたがいつも先に謝るからです。

 読み聞かせを遮ってごめんなさい。

 そう、謝るので、私も謝らざるを得ないと言いますか。

 一年生から六年生までずっとこの関係は変わらないまま。

 中学生になっても高校生になってももしかしたらこのまま。なんて。

 まさかあなたが転校するなんて思いもしなかったのです。


 あなたは言いましたね。

 二十歳の集いでこの学校でまた会おう。

 私は返事をしました。

 はい。二十歳になったらこの学校でまた会いましょう。

 そう、約束したのに。


 地上は物騒だから行ってはいけない。

 冬以外の季節は異空間に留まっている雪女と雪男の両親に止められて、二十歳の集いに参加する事はできなかった私に、一枚の手紙が届きました。

 あなたからの手紙です。


 私に連れて行ってほしい。


 あなたの手紙にはこう、書かれていました。


 決して溶けない記憶が眠る、凍てついた湖に連れて行ってほしい。


 読みづらいほど震えている文字をすべて読み終えた時。

 私は両親の制止を振り解いて、動き出した手紙を追って地上へと飛翔していました。


 地上は牡丹雪が降り注いでいました。

 物騒だからという両親の言葉は信じられないほどに、静寂に包まれていました。

 純白の雪に包まれていました。

 光を反射しそうなほどの純白であるのに、実際には光を吸収する純白の雪。

 煌めきはなく、白いのに黒味のある雪。

 囚われる。

 馴染みのある雪でしたのに。

 馴染みのある黒でしたのに。

 私たちは雪と黒から生まれた存在なのに、何故か恐怖を抱いてしまいました。

 囚われては、逃れられない。

 逃れられず、私が消滅する。


 人間であったならば。

 いえ、熱を持った生物であったのならば、雲かと見紛うほどの白い息がこの身から吐き出されていた事でしょう。

 けれど、私は雪女。

 雪と変わらない冷たさしかない私から、白い息が生み出される事は決してありません。

 このように必死に逃げ回ってもなお、




 逃げて、

 逃げて、

 逃げて。

 追いかけて。

 追いかけて、

 追いかけて、




 手紙が胸に張り付いた空っぽのあなたを見つけては抱えた私は飛翔し続けました。

 決して溶けない記憶が眠る凍てついた湖の在り処など聞いた事もないのに、私は真っ直ぐ学校へと向かっていました。

 二年ぶりの学校の校庭には見慣れない湖がありました。

 校庭を覆い尽くさないばかりの、大きな大きな湖でした。

 凍てついている湖には不思議と、雪が降り注ぐ事はありませんでした。




「あなたの望み通り連れて来ましたよ。環」


 空っぽの環だけれどきっと感じているのだろうと、私は環を抱えたまま凍てついた湖の上にそっと腰を下ろしました。


「囚われてしまったのですか。あの雪に。囚われて、逃げられず、あなたをなくしてしまったのですか?」


 白い息が恋しくなりました。

 とても、

 私は熱を持つ生物が生み出す白い息を見るのが好きだったようです。

 特に、


「白い息をまた、見せてくれませんか? 雲よりも大きく勢いのある、あなたの白い息を」


 空っぽのあなただけれど、熱はある。

 熱のあるあなただけれど、白い息を吐き出す事はない。


「お互いに約束を破ってしまいましたけど。遅れてしまいましたけど。二十歳の集いを始めましょう。また、私の読み聞かせを遮って、私に氷漬けされて、先生に一緒に、叱られましょうよ」


 言い終わった瞬間、私は私の身体が冷たくなっていくのをまざまざと感じました。

 凍てついた湖が私も環も凍らせ始めたのです。

 瞬く間の事でした。

 雪女である私すら凍らせてしまうほどの冷寒。

 いいか。

 私は抵抗しませんでした。

 雪に消されてしまうよりも、このまま溶けない記憶として凍てつく湖の中で保存された方がうんといい。

 永遠ならばなおさら、

 私は微笑んで両の腕に抱えるあなたを見つめました。




 もしかしてこれを望んで私に連れて行ってほしいと願ったのですか。





















 なんて、あなたが望んでいるはずがありませんよね。



















希雪のぞみ。ありがとう」

「お互いに約束を破ってしまいましたね」

「ごめんなさい」

「私も。ごめんなさい。約束も。今回も。ほんの少しだけ。あなたとならば、この凍てついた湖の中で永遠に凍っていてもいいのではないかと魔が差してしまいました」

「あ~~~。うん。あ。うん。あの。俺も。ちょっと。うん。あの手紙を書いている時に。ほんのちょっと。ちょびっとだけ。希雪と凍てついた湖の中で。永遠があるなら。それもいっかなあって。いやすぐに思い直したけどな。だって。昔の記憶の中だけじゃなくて。今も、その次の今も、その次の次の今も。一緒に生きていたい。二十歳になっただろ。俺。大学には行かないで、高校を卒業したらすぐに師匠のところで働き始めたんだ。大工の師匠。まだ二年だし。叱られてばっかだけど。いつか独り立ちして、心地いい家を作って、最後までその家と、家に住む人と付き合い続ける大工になる。だから俺と結婚してください」

「………ごめんなさい」

「え゛っ!?」

「いえ。あの。お断りのごめんなさいではなくて。その。思いもしない流れだったので。気付けなくてごめんなさいのごめんなさいでした」

「ああ。ああ~~~。なるほど」

「あの」

「はい」

「あの。正直、あなたと夫婦になりたいのかどうか、今はまだ決められないので、とりあえずお付き合いからでよろしいでしょうか?」

「………うん。うんうんっ!」


 顔立ちも身体つきも洗練され引き締まって、大人の殿方と言って差し支えなかったのですが、笑顔は変わらずまんまるのあなた。

 吐き出される白い息も勢いがあり大きく温かく。

 漸くあなたに再会できたと実感できた私は目を細めて、安堵の息をそっと吐き出したのでした。











(2026.1.14)



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息白し 藤泉都理 @fujitori

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