聖餐
胤田一成
聖餐
一、
「こんな死体、見たことあるか?」鑑識班がカメラのシャッターを狂ったように切っている。刑事部捜査一課に所属するカジハラ・トキオ警部補の青白い顔がフラッシュの
カワサキ・シティはお世辞にも治安の良い街とは言い難い。
とは言えども、この巡査は疑いようもない功労者でもある。彼は現場に到着するなり、辺りに漂う異様な臭気が死臭であることを察した。
巡査の行動は
「欠損したオロクは珍しくないが、パーツが冷蔵庫と台所で見つかったとなれば話が別だ。鑑識班の見解では高度な医療処置が
「状況を
死体は笑っていた。この上なく幸せそうに。想像を絶する痛みに
「オーケー。現段階で判明している事実を整理してみよう」カジハラはポケットからキャメルを一本取り出して指で
「すると、この住宅も被害者の所有ですか?」
「いいや、違うな。この家屋を
「この地区を
「現在、捜査中だ。現場には
カジハラが楽観しているのに反して、アマリは事件が難航するだろうと直感していた。死体が笑っている理由に関して、カジハラは無意識に言及をさけようとしているらしい。臭いものに
「組織的な犯罪である可能性も捨て切れません。死体は外科治療を
カジハラは
「医者、医学生、落第した医大生。
カジハラの見解は苦しいものがある。が、アマリは
さて、そろそろ現場を後にしようと二人の警部補が話し合っている
《十二月二十四日、午後十時四十分。ヤナグラ・リョウの身柄を確保しました。コートのポケットに茹でた心臓を隠していました。はい、何度も言わせないでくださいよ。茹でた心臓です。糞ったれが!》
二、
ヤナグラ・リョウの経歴は判然としない。少なくとも、県警本部の
捜査当局は前時代的な方法――事情聴取や現場検証など――によってヤナグラの経歴を洗い出そうと努めた。が、ある程度まで確信に迫ると何かしらの
現在、警察が把握している事実は
交友関係は狭く、
拘留中のヤナグラは容疑を否認せず、黙秘を続けている。その意味深長な態度が犯行を逆説的に
カジハラ警部補は強弁な
ヤナグラの黙秘は
「アマリ警部補、ミシュランで食事するつもりはないか?」本部会議室で束の間のコーヒーブレイクを
途端、アマリの額が
「正直に言うと思わしくないです。本来ならば、もっと一緒にいてやるべきなんでしょうが――自分は良い父親にはなれそうにないです。ならば、せめて良い警官でありたいと思います。さあ、ヤナグラの取り調べを始めましょう。これがラスト・チャンスです」
事件発覚後、十日が経とうとしている。報道陣も痺れを切らしている
なぜ、死体は笑っていたのか――アマリにはどうしても
三、
被疑者と二人きりにしてほしい――という申し出をカジハラは初めこそ認めようとしなかった。が、アマリは食い下がった。
ヤナグラは肥満していた。それもでっぷりと。身の丈はアマリと大差ないのだが、恐らく体重は倍以上あるだろう。
「やあ、君のことは知っている。あの幽霊みたいな刑事から聞いた」
アマリは内心で舌打ちした。カジハラが何を話したかは知らないが、彼の粘性気質が捜査の
「まあね、令嬢を殺したのは君か?」椅子を引きながらアマリが問い掛けた。
「それはダメだ。君達の都合など知らないし、僕は自身の信念に従って発言する。時間がないなら質問の内容をよく
「――これまでの取り調べで不快な思いをさせてしまったのなら謝る。が、これは君のためでもあるんだ。真実を話すべきだ」
「何が自分のためになるか。
「オーケー、君の意志を尊重しよう」これは厄介なことになった、とアマリ警部補は
「無論だ。僕達は愛し合っていた。僕に足りないものを彼女は持っていたし、彼女に欠けていたものは僕が備えていた」
「じゃあ、どうしてあんなことを……恋人を食べようとしたんだ?」
「それは逆だよ。愛し合っていたからこそ食べたんだ。
脳髄を痺れさせるような
「令嬢の肉体から薬物は検出されなかった。どうやったら、あんな死体は作れるんだ?」
「愛による営みには常に
「スタンリー・キューブリックの
ヤナグラは手錠の掛けられた腕を上げた。
「僕をここから解放してくれないか。そうしたら秘術の仕組みを教えてあげよう」
四、
「ここは県警本部だぜ。逃げ切れるとは思えない」アマリ警部補は声を低くして言う。全く正気の
「――君、人間の霊魂は肉体のどこに宿ると思う?」
ヤナグラの
「古くさい考え方だと思うが、僕は《
「何が言いたいのかさっぱり見当が付かないのだが、どうしたらいいんだ?」
「簡単な話だ。この手錠と腰縄を外してくれ。その後のことは一切心配してくれなくていい。僕は彼女の心臓を食べ
「だが、君を解放すれば僕は全てを失うことになる。警察官としては致命的だ」
「あの幽霊じみた刑事が言っていた。君は彼女が笑いながら死んだことに執心しているらしいね。僕の無茶な要求を
この男は心の隙間に
「私には娘が一人いる。彼女は
カジハラ警部補が後十五分も経てば
「彼女の遺体から薬類が投与された痕跡は見つからなかったと言っていたが、それは君達が
その薬は視神経を経由して視床下部にまで至り、ドーパミンに作用するA10神経系に浸透するようになっている。刑事、薬品の正体は点眼液なんだよ。『時計じかけのオレンジ』で言及されたルドピコ療法と同じ原理だ。A10神経系を刺激することで脳内報酬を
《
令嬢の
「ありがとう、刑事。何度も言うが心配は無用だ。僕は彼女の心臓さえ食べられたら満足なのだ。あの
ヤナグラは手首に食い込んでいた電子錠を外すと皮肉を込めて礼を言った。アマリ・ユウジは
「いいか、一度しか言わない。彼女の父親が経営している会社の
アマリは
警察署の外では初雪が舞っていた。年が明けたばかりで、街を行き交う
アマリは身に
これを吸い終えたら、息が
アマリの心臓は
(了)
聖餐 胤田一成 @gonchunagon
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