導火線

箱感望歩

第1話

導火線

 黒墨刹那はキャンバスに筆を叩きつける。塗るでも描くでもなく、ただ叩きつける。描きたいものはない。描かなければいけないものもない。

 ただ身体を揺さぶる今の衝動をキャンバスに乗せる。荒々しい線が描かれ、筆の先についた絵の具が掠れていく。パレットに出してある絵の具に筆を何も考えずに付けて、キャンバスを荒らしていく。

 色はごちゃ混ぜ、線に秩序はない。絵というよりは落書きだし、落書きというには力がこもりすぎている。

 白の上に色がドンドン重なっていく。なんとなくサンドバッグってこういうのかもしれないな、誰も殴ったことない手で筆を握りながら思った。


 気がつくとキャンバスには絵の具が無秩序に叩きつけられており、床にも絵の具が散乱していた。

 少し冷静になると外を走る車の音や室外機の音など耳からも情報が入ってくる。

 部屋の様子を茫然と見渡す。前にもこうなることがあった。

 その時も『お腹の中のぐちゃぐちゃ』が痛くて嫌で邪魔で、子どもの癇癪のように筆を叩きつけた。

 その後に残るのは汚くなった部屋、服、そして自分の手。そしてふと惨状が目に入り、また派手にやったな。そろそろ片付けないと、そんなことを他人事のように思う。

 片付け始める頃には『お腹の中のぐちゃぐちゃ』も身を潜めていた。


 部屋の片付けがひと段落した頃、スマホの着信音が鳴った。ディスプレイには久世の名前が表示されていた。

「よぉ、元気か」

「なんだよこんな時間に……」

 壁にかかった時計を見るともう少しで9時に回ろうとしていた。

「あはは元気じゃなさそうだな。聞いたよ佐久間との話。選考会でアイツに負けたんだろ」

「……そうだよ。なに?文句でもあんの?」

 図星を突かれて口から出た言葉には棘があった。しかし久世は何も気にしていないように言葉を続ける。

「ナイナイ。どーせいつもは隠してる衝動を持て余してんだろ?そういう時には何をすればいいか分かるか?」

「……」

「酒だよ酒!アレほど気分が良くなるものはない。というわけで送ったurlのところに来るように。今日は勝ったんだ。奢ってやるよ」


 久世と話すのは少し疲れるが奢りの言葉に釣られた刹那は、久世から指定された居酒屋へと向かった。一人暮らしをしている美大生である刹那は、万年金欠のため人の金でご飯が食べれるなら進んで食べたい。店員に案内され久世のいる卓に着く。

「しけた顔をしてんな」

「そういうお前は飲み過ぎだろ」

 一体これまで似た何杯飲んだというのか。顔が赤くなっていた。

「飲まなきゃ損損。おっとそれとも心配してくれてる?俺は赤くなるだけで酔わないし吐かないよ」

「まさか。久世は財布の心配でもしてろ。空にしてやる」

「ははは残念。今回はチェーン店でなくなるほどの勝ちじゃない」

「どれくらい」

 久世は自身の整った顔の前に指を5本立てた。

「五万?」

「チッチッチッ」

 人差し指を横に振る姿に少しの苛立ちを覚えながら聞く。

「は?じゃあ五十万?」

 今度は指で丸を作りながらうんうんと久世は頷いた。

「マジかよ。2ヶ月は余裕で暮らせるぞ」

「そういうわけで心が海よりも広い俺は奢ってあげるってわけ」

「じゃあ唐揚げ角煮だし巻き刺身天ぷら……もつ鍋も頼もう」

「相変わらずめちゃくちゃ食べること……まあいいけどな。今日はいくら使っても」

「何かまた企んでんの?」

「ひでぇ言い草だな。別に。俺は面白いものが見たい」

 久世は急に真剣な目つきになってはっきり言った。

「その点選考会で出した水彩はダメだな。面白くない。真面目すぎる。この前の綾瀬の絵にでも感化されたか?あの方向性も悪くはないと思うが、時間を掛けてきた綾瀬には追いつけないだろ?実際佐久間にも選考会で負けたんだろ?」

「……」

 反論の余地もない刹那は黙り込む。

「ははっ!図星だったか。まあいい。今日は答えを出さなくてもいい、パッーと行こう」

 久世はそう言ってグラスを傾けた。


「食べすぎた……」

「そんだけ食えるんなら元気じゃねえの」

 居酒屋から出た刹那と久世は駅へと向かっていた。もう少しで終電の時間となる。少し歩いたところで男の声が聞こえた。

「おねーさん達こんな時間歩いてるんだからこのあと暇でしょ?いいとこ行こうよ。……ねぇ?聞いてるー?」

 酔っ払いの集団が二人の女性に絡んでいた。女性たちは男たちの誘いを無視して逃げようとしていたが、男たちは逃げられないように立ち塞がった。

 それを見てムカムカしてきた刹那は、女性の肩に触れる男の手を取った。

「おい何してんだよ」

「ヒュー、色男だねぇ」

 刹那の行動に久世は口笛を吹いて彼らに近づく。

「あ?見て分かんない?今からデートなんだけど」

「振られてるのも分かんねえのか?」

「テメェ」

 酔っ払いの男が拳を上げた。その拳は刹那の頬にあたり大きな音を立てた。

「……正当防衛って知ってるか?」

 刹那は頬に手を添えながら、重苦しい声で言った。

「お嬢さんたち、気にせず走れよ」

 久世の楽しそうな声の後に、殴り合いが始まった。



「ダハハ、男前じゃねえか!」

 殴られた刹那の顔は大きく腫れている。久世は鼻歌を歌いながら刹那の前を歩いていた。

「なんで久世は無傷なんだ、う」

「場数が違うんだよ……ん?

「おえ゛っ」

 刹那の胃から居酒屋で食べたものたちが消化されかけで出てきた。

「ゲロかよ!勝利の雄叫びにしては汚ねえな」

「うるせえ」

 刹那はうるさい久世の足を蹴る。目に入るのは自分が吐き出したぐちゃぐちゃだ。

 それにしても一瞬ゲロが反射で虹色に見えなかったか?こんな汚い虹があるかよ、刹那は呆れて笑った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

導火線 箱感望歩 @hakokan_mofu_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画