エピローグ


 翌日。昨夜の猛吹雪が嘘のような、抜けるような快晴だった。

 陽光を跳ね返す雪原の白さが、ひどく眩しい。俺は東京へ戻る荷物を手早く整え、玄関で母と向き合った。


「本当にもう帰るのかい」

「ああ。仕事もあるし」


 本当はまだ、休暇は十分に残っていた。だが、もう行こうと思った。


「送らなくていいのかい?」

「いいよ。少し、歩いていきたいんだ」


 母は胸の前で手をぎゅっと握り、何かを言いかけ、それから穏やかに微笑んだ。


「……元気でね。辛かったら、いつでも帰ってくればいいんだわ」

「母さんも、元気で」


 交わした言葉に、かつての拒絶や焦燥はなかった。

 衝動のままに飛び出して向かった都会。今は自分の戻る場所でなく、行くべき場所だ。

 そのまま振り返る事もなく、玄関を出た。冷たく澄んだ空気が肺の奥まで清めていく。吐き出した白い息が青空へのぼり、やがて透明に溶けていった。


 歩き出してしばらくすると、山の方角から鈍く、重い音が響いてきた。

 巨大な鉄骨を何かが打ち砕くような、重機の咆哮。


 こんな雪の中だというのに、電波塔の解体作業が始まったのだ。

 止まれば雪に飲み込まれるこの大地で、休むことなく明日を切り拓こうとする。その力強い音が、開拓の歴史を持つこの町らしい逞しさに思えた。


 俺は足を止め、無意識に背後を振り向いた。赤錆びた電波塔は、まだ雪の向こうに朧げな輪郭を保っているが、その存在は今、確実に消滅の行程を刻んでいる。


「――さようなら、電波塔」


 静かにそう呟いた。声は、雪に吸い込まれるように消えた。

 かつて世界の果てだと思っていた塔が、今は冬の光の中で、静かに役目を終えようとしていた。


 俺は今度こそ振り返らず、一歩、また一歩と、新しい雪を踏みしめて歩き出す。


 まぶたの裏には、仏壇の傍らで電源を抜かれた、あの真空管の残光があった。

 あの橙色の余熱が胸にある限り、もう、俺を導く回路が途切れることはないだろう。



(了)

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さようなら、電波塔 神山 @kami_yama

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