未完の魂

@tanpopopo1945

未完の魂

 わしは、一人の書家であった。世に作品を残すことは望まなかったため、世に知られることはなかった。そして、人に語ることもなかったが、真に人の魂のこもった物を作りたい思っていた。そのために、筆、紙、硯は当然、環境にも気を使った。時に何日も水と木の皮のみを食い、飢えに堪え忍びながら。時にただ己の腹のみを満たす貴族どものような暮らしをしながら赴くままに書作をしたこともあった。だが、どんなこと環境に身を置いても良いものを作ることはできなかった。

 わしは、特異な環境だけでは良いものにならないと気がついた。そのため、より一層道具にこだわるようになった。珍しい獣の毛を使った筆、色、艶の違う大量の紙、中華の聖地で取れた石で作られた硯。そのどれもを揃えたところで人の魂が宿っておるようには感じられなかった。

 だが、道具にこだわるというのは確かに良い手段であるように思えた。ただ、材料が適していないのだと感じた。人の魂を込めるのなら当然人を使ったもので製作しなくてはならないと考えるようになったのだ。

 そう気がついてからのはじめての作品は町民たちの生気に溢れた様子を表すような物を作ることにした。道具の材料にはわしの作業場の隣に住んでいる陽気で騒がしい若者を使った。髪をむしり、皮をなめし、骨を取りだし、血を搾り取る工程に、恐怖を覚えなかったといえば嘘になろう。だが、それ以上に高揚する心が恐怖を押さえつけた。ここまでして、ようやくわしは、人の魂を込められたような気がした。

 次の作品は日々を貧しく生き、自然の中に楽しみを見いだす農民の字を書くことにした。工程に変わりはなかったが、わしの心持ちは大きく変わった。僅かばかり感じていた恐怖は消え、作品への期待と高揚感にわしの心は満ちた。

 それからわしは多くの作品を書いてきた。子供を表す字、恋する乙女を表す字、人生に絶望し身投げでもしそうな人間を表す字、村から出稼ぎに出て遊女に身を落とした娘を表す字……。その中でも特に力作と言える物はわしの娘を表す字であったろう。流石のわしも、自らの子を使うのは気が引けた。いくら人の道を踏み外したわしといえど、ここだけは踏み込んではいけないように見えたのだ。しかし、夢を見た。この程度で踏みとどまっていては本当に書きたいものは書けずに、ただわしの人生は犬死するのみと。寝耳に水のお告げであった。わしはこれまで、人の魂を込め、字を連綿と描いてきたと思っていたが、お告げに言わせてみればそうではないと言うのだ。

 心が決まってからは早かった。泣きわめき、抵抗する娘を加工するのに躊躇はなかった。むしろ、わしの手は生き生きと動いた。何も食わずに字を書いた。出来上がった作品を見たときにはこの世の何よりも素晴らしいものを見たような感じがした。

 次にわしは、わし自らを表す作品を作ろうと思った。気がついたのだ。わしは人の魂を宿すものを書き続けてきたが、わし自信の作品は描けていないのだと。故に、わしは最期にわしを描いて死ぬのだ。出来上がった作品を眺めながら、恍惚とした気持ちで死ぬのだ。あぁ、楽しみで仕方がない…………。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

未完の魂 @tanpopopo1945

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画