終話 星降る夜に眠る灯台
仄かに冷たい夜風が頬を撫でた瞬間、反響するような歌声とともに大きなクジラが空高くジャンプするのが見えた。
「あ……」
月のない夜にも関わらず、弧を描く姿はハッキリとしている。クジラはあんなに高く跳ねるのかと。殆ど見上げるような形でそれを見つめていた。
クジラの輪郭をかたどり、流星群のように降り注ぐ青い光。歌声は深い海に響き渡り、不思議と胸が締め付けられた。
やがて一頭だけだったクジラに数頭のクジラが交ざり、次々と辺りに星を降らせていく。光自体は一瞬で落ちるはずなのに、まるでスローモーションを見ているようだ。
確かにこれはどんな宝石を集めたって、今この瞬間には敵わない。
「──此処ら辺はさ、物理刺激で青く光るプランクトンがいるんだ」
塔守が空を見上げながら、独り言のように呟く。顔に
「灯台の明かりに寄ってきた魚がプランクトンに触れて青白く発光するんだけど、その魚を食べるためにクジラが寄ってくるんだ。ジャンプするのは色々理由があるみたいだけど、僕は遊びやコミュニケーションをとる為って聞いたな」
人間よりよっぽどコミュニケーションが
物理刺激によって発光するプランクトンか。
たしかにそんな事実を知らない昔なら、星が降ったと言われてもおかしくはない。幻想的で、とても現実とは思えないのだから。
ばーちゃんは昔を思い出しながら、少女のように目を輝かせている。本当に、本当に良かった。
「……閉業したのって百年近く前だっけ。何で閉業したんだよ」
若干踏み込んだ質問になってしまったが、何故だか知っておきたかった。相手をちらり、と見やると、向こうもこちらを横目で見ていた。
「理由はいっぱいだよ。隣町の端に新しい灯台ができたとか、まあ色々。一番の理由は密漁する人間が出てきたからなんだけど」
「灯台の明かりが目印になったのか……」
「そういうこと。新月以外も物理刺激があればプランクトンは光るんだけどさ、何故かクジラは新月にしか跳ねないんだ。だから危なくない時を狙って密漁に来てさ」
そう呟く声が微かに湿り気を帯び始めた。「この明かりは人の為になっても、海の為にはならなかったんだ」そんな悲しい言葉が、ずしりと体に伸し掛かる。
何と返せばいいか分からなかった。だが、少しずつクジラのジャンプが落ち着き始めた頃、ばーちゃんがゆっくりと塔守に向き直る。
「アキラちゃん、今日は誘うてくれてありがとね。ヒロちゃん──、お祖父様が憶えていたことも嬉しかったし、本当に素敵な夜だったよ」
「お日乃さんが喜ぶと祖父さんが喜びますから」
「ふふっ……。そういえば、アキラちゃんにはやりたいことがあるんだってねえ。ヒロちゃんが自慢気に話しとったよ。ばーちゃんも応援しとるからね」
やりたいことなんて初耳なんだが。そんな視線を感じとった塔守は、気まずそうに視線をずらした。別に何でも言う必要はないけど、言われないのはそれはそれで寂しい。
自分でも面倒くさいことこの上ないが、うーんと悩んだ塔守は「本当はもう少し纏まってから話そうと思ってたんだよ」と、自信なさげに話し始めた。
「実は少し前からまた不審船や不法投棄者が出てきてさ。取り締まりはしてくれてるんだけど、自分でも出来ることがしたかったんだ。だから今、設備とか整えて此処を監視小屋として運用しようって親父や市の人間と話してるんだ。その過程で、一緒に勉強しててさ」
「なんだよ、普通に凄えじゃん。まあ、あんま根詰めすぎんなよ」
「やっぱり」
「なんだよ、やっぱりって」
頬をぽりぽりと掻きながら笑う塔守は、此方がそう返すと分かっていたようだった。
「ナナセくんはいつも僕を尊重してくれるんだ。昔話だって絶対バカにしないし」
「当たり前だろ」
海は少しずつ元の静けさに戻ろうとしていた。相変わらず仄かな明かりが灯台から照らされているものの、あれが夢と言われても不思議ではない。
塔守がゆっくりと立ち上がって灯台の中に入ると、少ししてから照射灯の明かりが消えた。クジラの面影を残すように、青い光が点々と水面を揺蕩っている。
泡沫のような時間だった。
「私情で明かりつけてちゃ、説得力に欠けるかもしれないけどさ」
此方の明かりと自分で照らしたライトを頼りに戻ってくると、今度はしっかりとした声で言った。
「いつか。いつかこの場所が、人の為にも海の為にもなるよう繋げていきたいんだよ」
ざあっ、と寄せては返す波音が一定の間隔で繰り返されている。
明かりとしての灯台は、今日を最後に再び長い眠りにつくのかもしれない。でも、今はそれでいいと思う。星降る夜にこの灯台は眠らせてあげるんだ。
いつか。いつか、海の為にも人の為にもなる、その時にまで。
【完結】星降る夜に眠る灯台 片霧 晴 @__hal07
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