第3話 年を越えて

01 年を越えて(完)

【彼女たちがまだ出会っていない頃の、とある年明け――】


 窓にかかった無地の掛け布をそっとめくって外を見ると、細かい雪が舞い出していた。


「あー、降り出してるっす」


 イストは振り返って報告する。

 カーセスタ王国北西部、調律院ラズト支部の食堂では、年越しを待つ支部員たちが集まっていた。家庭のあるマグリタを除いて、六名だ。


「年越しに雪が降ること、しばらくなかったけどなあ。〈雪の三姉妹キャラーラ・ルー〉がお怒りかな」


 寒い地域では、豪雪を「〈雪の三姉妹〉への供物が足りず、彼女らが怒っている」などと言い慣わした。古くは神官や神女たちが本格的に祈りを捧げていたと言うが、いまは各家庭で形式的に聖句を述べるくらいのことしか行われない。


「そうか、そう言えばこっちには〈冬至祭フィロンド〉もなかったな」


 ジェズルは半月型の式盤を手にしながら、窓の外を見通すように目線を送った。


「あれはほとんど雪が降らない地域でのお祭りっすよ。冬季に町を挙げての行事なんて無理っすから」


 苦笑いでイストは返す。


 神殿で行われる祈りがやがて発展し、町じゅうで「この冬は暴れないでください」と三姉妹に願い、ついでに飲めや歌えやと騒ぐのが王都など穏やかな地域で行われる〈冬至祭〉だ。しかしイストの言う通り、積雪のなかで催し物を行うのは現実的ではない。ラズトの町はそれほど雪深い訳ではないが、それでも収穫祭のようなことを行うのは無理があった。


「んで、副理術士殿は何してんだ?」


 レオニスがジェズルの式盤に目を止めて尋ねた。


「仕事はもう納めたろ」

「融雪の構文が動くか確認してるだけだよ。主要道路の設置型に仕込んであるやつを少し改良したから」

「仕事は忘れろと言いたいが、そればっかりは仕方ないか。でもすぐ切り上げろよ、ハイム爺さんみたいに改造にハマるなよ」

「俺には無理だよ。よくも悪くも」


 レオニスの付け加えた一言にジェズルは肩をすくめた。


 現在、ここラズト支部の首位である統理官は、不在だ。

 長年勤め上げたハイムの引退後、一時的にゾラン副統理官が兼任しているので書類上は存在するが、実質的には空席ということになる。


「老先生、お元気かな」


 ぽつりと言ったのはウィントンだ。いつもは資料塔に籠りきりの彼だが、この年越しの場には引っ張り出された。もちろん嫌々の参加ではなく、彼なりに楽しそうにしていた。


「きっとお元気でいらっしゃいますわ」


 セフィーヌが笑みを浮かべた。


「もしかしたら、ハイムさんも郷里で、ジェズルさんと同じように融雪の構文を考えておいでかもしれません」

「ありそう」


 その様子を思い浮かべてウィントンも笑った。


「ハイム殿の故郷は存じ上げないが、王都から遠く、ラズトと似た雰囲気だと仰っていたことがあった」


 ゾランが思い出したように顎に手を当てた。


「引退後の式盤はほとんど用をなさないと言うが、ハイム殿なら何かしらやってしまいそうではあるな」


 にやりとして長年ハイムと働いていた男は言い、支部員たちも「考えられることだ」と思った。


「さてそろそろ年越しだ。みな、杯の用意はいいか?」


 上級連衛官兼副統理官、兼統理官は手を叩いて若者たちの注意を引き、彼らは急いで杯を手にした。


「では、ゆく年を讃え、新たな年を迎えよう。今年は新しい統理官もやってくるはずだ」


 その言葉に支部員たちは少し引き締まった表情を見せた。一体どんな人物が、ハイムのあとを継いでこの国境支部の統理官となるのか。


「新しい物事に。――乾杯」


 副統理官の一言に、彼らは前向きな気持ちで杯を掲げた。


―*―


 ミアンナはすっと顔を上げた。


「日が変わった」

「ええ!? 早くない?」


 慌てたように言うのはミアンナと同じ専理術士のネネティノだ。調律院の人間はあまり身を飾らないことが多いが、彼女は長い銀髪に玉状の飾りを編み込み、爪を明るく塗っている。今日は橙色だ。


「早くはない。時間通り」


 淡々とミアンナは答えた。


「それはそうよねー」


 ネネティノはうんうんとうなずく。彼女はミアンナより十歳は年上で「お姉さん」を気取るが、このやり取りからするとまるで逆さまである。


 王都カーセステス調律院本部の一室でもまた、新年を迎えていた。

 彼女たちは駆け込みの仕事を片付け、城下街に繰り出して年越しをしようという計画を立てていた――立てていたのはもちろんネネティノで、ミアンナは引っ張っていかれるところだった――が、少々手こずった結果として本部内で年を越してしまったところだ。


「ばたばただったねえ、ごめんねミアンナ。いつもこれほどじゃないよ、今年はたまたま」

「何故?」


 ミアンナは首をかしげた。謝罪の意味が判らなかったのだ。


「ネネティノが仕事を持ってきた訳ではない」

「それはそうだけど。新人の専理術士にさせる仕事じゃないよねーって話」

「新人でも熟練でも、目の前にやることがあればやるべき」

「うーん、若い」


 ネネティノは少し笑ってそんな感想を洩らした。


「ま、今夜はどうせ明け方までみんな騒いでるから、いまからでも全然間に合うね! さっさとここ閉めて、行こう行こう」

「今日は私を帰そうとしないのか?」


 いつもは遅い時間になると、ネネティノをはじめ、理報官のティアも「早く帰って寝なさい」とまるでミアンナを幼子と思っているかのような指示をする。

 と言っても、それはまだ十代半ばで成長途上である彼女の身体を気遣ってのことだとは理解しており、ミアンナに不満はなかった。


「早く寝かせたいけどね、年明け初日は一年に一度しかないから」

「当たり前では?」

「もー、ミアンナちゃんさあ」


 純粋に聞き返したミアンナをネネティノは苦笑で迎えた。


「ラズトへの赴任が決まれば、来年、じゃない、今年の年末はもう本部にいないでしょ。そしたら十年は戻ってこないかもしれない。『また来年ね』ができないでしょうが」

「つまり、私と王都で過ごす機会を作ってくれているのか」


 話をまとめてミアンナは確認した。


「そういうこと」


 ネネティノはバチンとウインクを決めると、文字通り引っ張るべく、ミアンナの手を取った。


―*―


 カーセスタ王国東部は、温暖な王国にしては天候の荒れやすい地域だ。

 豪雪とまでは行かないものの、吹雪くことは珍しくなく、そうでなくともごく寒い。年越しの祭りはもとより、親戚一同で集まるようなことも避けられ、たいていは家族だけで過ごす。


 それはここ、ミルフ村のフロウド家でも同様だ。リーネは両親と共に、新たな一年を静かに迎えた。


「……リーネが理報官になったら、こんな年明けはもう最後か」


 ぼそりと父が言った。母とリーネははっとする。


「そうね! リーネはきっと合格するものね! ああ、それならもっとお祝いの御膳を用意するんだったわ」


 母は目を輝かせ、ぱちんと手を鳴らした。


「えっ、あっ、合格したかはまだ判らないよ!?」


 寂しさと誇らしさの両方に突然挟まれてリーネは奇妙な表情になった。


「通知はまだ、あと半月後くらいだもん……うう、緊張してきた……」

「早いな」

「早いわね」

「落ちてたらどうしよう!」


 リーネは両手で頭を抱えた。


「まさか! 有り得ん! リーネはあんなに一生懸命勉強したし、役人さんも知識を褒めていたじゃないか!」


「もし駄目だったらまた次の機会に受ければいいじゃない。あなたにはまだまだいくらでも時間があるわよ」

「うう、父さんも母さんも有難う……」


 両親の愛を一身に受けて育った少女は、どちらにも同じだけ感謝をした。


「理術士様のところへは行きたいけど、ここから離れちゃうのも寂しいな。いつか理術士様と一緒に里帰り!……なんて、ちょっと夢見すぎだった、へへ」

「いいじゃないか」

「楽しみね!」


 にこにこと両親は娘の妄想を受け入れた。


「でも本当にわたし、どこで次の年越しを迎えるんだろう。ここか王都か……想像できないなあ、王都の新年なんて」


 呟くように言ってリーネは窓の外に目をやった。昨夜――昨年から降っていた雪は止み、厳しい寒さと美しい星空が広がっている。

 このときのリーネはまだ、次に年を越す土地が故郷の村でも王都でもないことなど、かけらも知らずにいた。


 ――この年の秋口、ラズト支部には新たな統理官と理報補官が着任する。


―了―


2026年1月1日

昨年中は大変お世話になりました。

本年もどうぞ「理術士の天秤」をよろしくお願いいたします。

一枝 唯


本編「理術士の天秤」

https://kakuyomu.jp/works/16818792436960446957

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調律片譚―短編集― 一枝 唯 @y_ichieda

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