親切カウンター

江藤ぴりか

親切カウンター

     親切カウンター


 今日、やさしくない人が街から消される。

 それでも俺は、こうして生きていけている。


「え、『親切カウンター』二十五なの? 再教育、待ったなしじゃん」

 友人キサは親切心で言ったのだろう。

 この街では三ヶ月前、この親切カウンターと呼ばれる腕時計が突如として配布された。

「僕なんて七十五だぞ。ニカもみんなにやさしくしないと、会えなくなるじゃんか」

 俺に見せる彼の腕時計は七十七を示したとこだ。

「だって、おかしいじゃん。親切を数値化するなんて」

 頭をかき、キサから目線を逸らす。

「便利じゃんか。カイ街でしかやってない画期的な制度ってのもポイント高いし」

 彼は鼻高々に言う。

「カイ街の人ってやさしい人多くて、素敵って会社の飲み会で可愛い子に言われたし」

 キサの顔は緩み、頬が赤い。


 実際、制度に反対する人はほとんどいなかった。

 食堂では国営放送の昼のニュースが、それを取り上げている。

 俺とキサも、モニターを注視する。


『親切カウンターというこの腕時計。カイ街に新たに導入された、人々のやさしさを測るものです。三ヶ月経った、街の声を聞いてみましょう』

『制度には満足していますか?』

 インタビュアーがある女性に声をかける。

『はい。住人がやさしくするのって、普通に良いことじゃないですか。それに――』

『ほら、私の数値はもうすぐ八十になるんです。家賃や住宅補助、医療費も五割負担。イイ仕事も優先して斡旋してもらえるんですよ』

 セミロングの小綺麗な女性が笑っている。


『カイ街では、八十から百のあいだの高スコア者は様々な面で優遇されるというのだ。では二十からゼロの低スコアの人はどうなるのか、専門家に聞いてみました』

『はい。二十から十の者は再教育対象となり、ゼロになると強制退去になります。やさしい街を掲げるカイ街の一大プロジェクトですね』

 俺は再教育一歩手前ということか。

 それって、やさしさの押しつけじゃないのか?


「ほら、ニカもうかうかしてられないぜ? 僕はお前が心配なんだよ」

 キサの表情はなく、カウンターの表示が七十八になった。

 俺たちは街の食堂をあとに、会社に戻ろうとした。


 オフィス街に似つかわしくない子ども連れがすぐ前にいる。

 子どもは突如走り出し、転んでしまった。

 すると、キサを含めた通行人が子どもに駆け寄り、膝をつく。

「わぁ、大丈夫? 立てるかい?」

「痛くないからね。今度はママの手を掴もうね」

 みな、表情はなく、声色を調整しているような印象だ。

 母親はありがとうございますと何度も頭を下げた。

「いいえ、当然のことをしたまでですから」

 キサの声に感情はなく、カウンターの数値が三ポイント上昇していた。


「うお、見ろよ! もう八十一だ!」

 キサ、お前はそれで満足なのか。その親切は、誰のためなんだ。

 俺は子どもが転けた瞬間、とっさに動けなかった。痛みをこらえるあの子の表情が、俺にはつらく苦しく思えたからだ。


 俺はこの街にとってやさしくない人間だ。



 昼食後の会議にひとり、来られなくなった。

「あれ? ゲンさんは?」

 準備をお願いした社員に尋ねる。

「あー、連絡が取れなくて。上に確認したら、再配置だって言ってました」

 ゲンさんは確か八十五だったはずなのに、なぜ? 再配置なら俺が対象になるはずなのに。

「ニカ、ゲンさんって確か……」

「ああ、特に問題ない人だったと思うけど」

 キサの足が震えている。自分よりスコアが高かった人の再配置だなんて聞いたことがない。

 俺は思わず彼に声をかけた。

「……俺は数値が低いけど、お前と働けてるだろ。シャンとしろ」

 背中をポンと叩くと、彼はため息をつき、息を整える。

 足の震えも治まったようだ。

「うん。ちょっと安心したよ。ニカの数値、上がってるんじゃない?」

 カウンターを見ても二十五のままだった。

「僕には最高のやさしさだったんだけどなぁ」

 彼はボールペンをくるりと回し、資料にメモする。

『ゲンさん再配置のため、欠席』


 会議は滞りなく進んでいった。

 キサの様子もいつも通りだ。

「再配置、か。次は僕なのかもしれない」

 デスクに戻ると、彼がつぶやいた。

「アレだよ、ここよりいいとこに再配置かもしれないじゃん。あんま、気に病むなよ」

 しかし、それなら「配置替え」と呼ぶだろう。俺は軽率なことを言ってしまった。

「そうだな。聞き間違いかもしれないし、わからないよな」

 空虚な慰めで、本当に彼を元気づけられるのだろうか。

 胸が苦しくなった。

 俺の数値は二十五のまま。


 キサはその後も上の空だった。

 ゲンさんの再配置、それでも仕事は通常通り進んでいく。

 急なことがあっても、仕事がまわるのは良いことだが、あのしゃがれた声を聞くことは叶わない。

「お、キサくんは仕事が早いねぇ! 上司として鼻が高いよ」

 そう言って励ましてくれる人がいなくなったのだ。


「……さん、ニカさん!」

「あ、えっと。なにかな?」

 部下のソノさんが、書類を手にしている。

「もう、今日はキサさんだけじゃなく、ニカさんも変ですよ。見積書ができたので、ダブルチェックお願いします」

 彼女の腕時計には六十三の文字が見えていた。

 なんだ、俺もゲンさんの存在が大きかったのか。

 見積書に目を通し、ソノさんにOKを出すと、彼女は自分の席に戻っていった。


 残業もなく今日も仕事が終われた。

 職場のみんなが優秀な証拠だろう。

 俺はキサを居酒屋に誘った。


 あたたかな光と客の話し声。席に通されるとおしぼりを受け取った。

「なんにしますか?」

「ビール二つとだし巻き卵で」

「あいよー。ビール二丁、だし巻き一丁!」

「よろこんで!」

 店員も客も親切カウンターをしている。

 キサが意を決したかのように、声を出す。

「僕さ、人にもっともっと、やさしくしようと思う」

 真剣な眼差しだった。

「ゲンさんを超えて、……カンストまでいかなくても九十は目指したいんだ」

 あとひとつ、親切をするだけで叶うだろう。

「そうじゃないと僕も再配置されるかもしれない。今の会社は正直、居心地いいし、同期で入ったニカともこうして友だちになれた。だから……」

「ビールとたまご、おまちー!」

 店員が割って入る。

「お兄さん、いつもありがとね」

 キサが無機質にお礼を言う。――瞬間、キサのカウンターはちょうど九十になったのだった。


 俺たちは静かに乾杯をした。ゲンさん、ありがとう。キサ、おめでとう。

 店員たちの営業スマイルも、店の喧騒もすべてが酒のつまみだった。



「はぁー、呑んだなぁ」

「俺は店の雰囲気でも酔えるわ」

 ガヤガヤした店内、アルコールのにおい。それだけで十分酔えるのだ。

「ニカは酒に弱いもんな。明日も仕事、頑張れそうだ。ありがとな」

 キサのカウンターが一ポイント上がる。

「いいよ。俺だって今日は仕事が手につかなかったし」

 ゲンさんが再配置と聞いた時、俺は先輩の心情を想像してた。


 おじさんと言って差し支えないゲンさんが、突如再配置を言い渡される。

 青ざめたベテランに待ち受けるのは、窓際で再就職先を探すこと。

 部下たちも自分のようになってくれるなと、ため息をつく。


 そんな光景が頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。

 あの人のやさしさは、どこにも記録されていない。ゲンさんがやさしいのは相手のためを思って出た自然な行動なのに。

「人の痛みが分かるやつが、本当のやさしさなんじゃないのか」

 疑問は夜空に消えていった。


 数日後、ゲンさんが転居したことを知らされる。

 キサの表情は読めない。

「僕は今まで通り、人にやさしくしていくだけだよ」

 彼のカウンターはもうすぐ百に届きそうだった。

 俺の数値は二十五のままだ。

「そういえば、面談があるんだった。またあとでな」

 キサは吹っ切れているようだったが、どこか危うかった。

 無表情で親切に声をかける時は声色を調整している。職場のみんなも同じような感じだ。


 仕事終わり、キサから呑みの誘いがあった。

「……いいけど、面談の話か?」

「そうだ。ちょっと相談に乗ってほしいんだ」

 やはり彼の表情はない。


 いつもの店でいつものメニューを頼む。

「それで、相談って?」

「僕、処理班に配置替えが決まりそうなんだ。だから――」

 ビールを一気に流し込んだ彼が、こちらを見つめる。

「上にかけ合うからさ、僕についてきてほしいんだ」

 嫌な予感は当たってしまった。

「まずは、おめでとう。でも俺はキサについていかない」

「なんで――」

「俺はスコア二十五のままだし、ついていっても足手まといになるだけだ」

 正直な気持ちを話した。だが、キサは納得がいっていない様子。

「なら、ニカも数値をあげよう? そうすれば僕と……」

「やめてくれないか。俺だってプライドがある。お前の腰巾着じゃなくて、実力でお前と同じ立場になりたいんだ」

 お通夜状態の飲み会は、一時間で解散となった。



 キサはもう職場にはいない。

 配置替え先で仕事をしているのだろう。

 報道ではカイ街の親切カウンターの平均値は右肩上がりなのだとか。


 しかし、俺の手首には二十五の数字が表示されていた。

 俺は今日もやさしくない。

 だから、まだここにいる。


 ――そう思った、その瞬間だった。

 腕に巻いた親切カウンターが、かすかに震えた。

 二十五だった表示が、ゆっくりと切り替わる。

 二十六。理由は分かっていた。

 今朝、駅前で転んだ老人に、俺は声をかけなかった。

 代わりに、群がる人々を押しのけ、腕を掴んで立たせ、

「大丈夫だ」とだけ言って、すぐ背を向けた。

 やさしくもなかったし、評価される行為でもないはずだった。それでも、数値は上がった。


 俺は立ち止まり、街を見渡す。

 無表情で親切な声を出す人々。

 丁寧な言葉と、空っぽの目。

 ――この街は、もう「やさしさ」なんて測っていない。

 測っているのは、秩序に従った行動だけだ。

 親切カウンターの表示は、静かに二十六を保っている。

 俺は、はじめてその数字を信用しなかった。

 そして、だからこそ――。


 今日もこの街で、生きていけると思った。

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