今年の空と一緒に終わらせようと思うんだ

海空丸

第1話

もうすぐ今年が終わる。

一年前と同じ街で、僕だけが取り残されている気がした。


また新しい一年を頑張ろうと

この街の人はみんな新しい自分を見つけにいくんだろう。


毎年人のことを見て羨んできた。


今年はもう羨む気持ちすら湧かなかった。

笑う人々の中で、僕だけは静かに死ぬことを決めている。



いつの間にか三十五歳の僕の周りには誰もいなくなっていた。


最後の職場も三ヶ月でクビになった。

「君は要領が悪い」と言われた日、僕は笑って帰った。

笑いながら手の震えは止まらなかった。


そんな僕には結婚も決めていた世界で一番大事な人もいた。


彼女とは六年という長い時間を一緒に過ごしてきた。


「いつも笑顔で明るいあなたが好き」


そう口癖のように言ってくれていた君と僕との六年という時間は終わり、

僕の手を握り、病気の彼女は息を引き取った。


最後に彼女が言った言葉は、

「私の人生は本当に幸せだった。

ずっとあなたの事を守るから」


僕は枯らすことがもうできない声で叫び続けた。


一緒に笑って過ごして僕のろくでもない人生を明るくしてくれた彼女はもういない。



彼女が旅立ったのは今年の一月。

肌は透き通るように真っ白で、

少し青みがかったような黒く長い髪の毛。


寒いくせに、外に出るといつも手袋を忘れる人だった。

僕が貸すと「ありがとう」と言いながら左右逆につけて笑っていた。


冬がすごく似合うあの不器用な笑顔まで消えてしまった。


僕の大切な六年間を失った。


僕は、元々人生なんて上手くいってなかった。

彼女が居なくなってから気づいたんだ。


今日まで彼女がいたから、生きてたような命だ。

何度死んでやろう。そう願ってきた。


神様は僕に彼女をくれた。

そんな僕にはもう何もない。

死ぬのが先延ばしになっただけだね。



今年が終わる最後の空を見上げながら、ひとり屋上に立っていた。


僕の一番好きだった場所。

彼女との思い出の場所。


嫌なことがあると、気づけばここに座っていた。

ビルの隙間を抜ける風、誰かの人生がこの下で流れていく。

その光を見るだけで、少しだけ息ができた。


僕だけじゃないんだと思わせてくれる場所。

田舎でもない、都会でもない。


皆、胸を痛めながら行きたくもない仕事や学校に向かっていく姿を僕はここから眺めていた。


前まではそれだけで、少し生きる理由になっていたから。



六年前、僕がどうしても死にたくて眠れなかったあの夜。

彼女とここで出会った。


僕は、高い屋上から空だけを見ながらこのまま飛んでしまえたら、

そうフェンス越しに立っていた。


「ねえ、死のうとしてる?」


初めて彼女が言った言葉は、強いのに

それでも消えそうなどこか寂しい声をしていた。


「いやべつにそんな事ないですよ!」


僕は笑いながらいつものように誤魔化した。


「笑ってるけど、どうしてそんなに悲しそうなの?」


その一言で、時が止まった。


ずっとどんな時でも笑って誤魔化してきた。

本当の自分を初めて見つけてくれたのは彼女だった。


「あなたもこんな夜中にここに居てどうしたんですか」


「別に私は、、ここが好きだから」


彼女も笑った。笑いながら悲しそうだった。

僕と同じだったから彼女は気づいてくれたんだね。





彼女と出会ったあの日を思い出しながら、

冷たい大晦日の明るさと静けさに包まれた空を見上げ、屋上のフェンスを超えていた。


君がいない世界で息をしている僕に、意味なんてあるんだろうか。


最後に、空に向かって笑顔を贈り

ゆっくりと顔を下に向け、足を前に踏み出そうとした。


片足が中に浮いた。

風の音だけが耳を刺していた。

落ちる寸前、白い紙が風に揺れた。


その紙の角の止め方が、彼女の癖に似ていた。

どうしようもなく心臓が掴まれた。


白い一枚が、僕にだけ呼吸をしているように見えた。


宙に滑り出していた片足を、我に返るように戻し、手を伸ばしてしまっている僕がいた。

震える指でそっと紙を掴んだ。



フェンスに腰をかけ、ゆっくりと開いた。



「ゆうくんへ。

あなたが、悲しいのに無理して笑っていること。

あなたが今、人生を辞めようとしていること。

全部知ってるよ。


今あなたがこの場所で、このフェンスを超えて空を見てたことも。

私の病気が治らなかった。

本当に悲しませてしまったこと、ごめんなさい。


私がゆうくんの立場だったら生きるのを辞めるを選んでいると思う。

けど私はゆうくんと出会って、幸せを沢山貰いました。

私が居なくなったことで死を選ばないで欲しい。


私の分までずっと生きてなんて簡単なことは言わない。

だけどもう少しだけ、生きてみてほしい。


これが私の最後のお願いです。

ずっと愛してます。

私があなたを守る。」



涙が、顔に張り付いたまま落ちてくれなかった。

冷たい風が流れた涙をもっと冷たくする。


「明けましておめでとう。

見守ってるから、今年も生きてね」


屋上の下から街の人たちのハッピーニューイヤーという声と同時にその中で微かに、彼女の声が聞こえた気がした。


頬を伝う涙が冷えて、冬の風に溶けていく。


涙で手紙の文字はもう見えないのに、

想いだけは確かに僕に残っていた。

生きていいと、言われた気がした。




僕は新しい年が始まった空を見上げ、

彼女に伝えた。


「また、守ってくれてありがとう」



今はまだ、あと少しでいい。生きてみよう。

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