ラーメンに浮かんだ油をくっつける天才シマヅ

坂水

第1話

 その日曜、シマヅはテスト勉強と称して、親が留守だった俺の家にやってきていた。昼過ぎシマヅは腹が減ったと言い出し(といっても奴がやってきたのはAM11:23)、俺たちは台所の戸棚を漁り、インスタントラーメンを見つけた。ノンフライじゃないやつだ。

 当然腹がくちくなると、とろんと目蓋が下りてきて勉強どころじゃない。けれど大っぴらに眠るのは気が引ける。

 だから、だらだら無意味な会話を垂れ流し、まったく面白くない日曜午後のテレビを眺め、テーブルの隅に置いてあったとっくに読み飽きたファミ通をぱらぱら捲りながら、汁だけになったどんぶりに視線を落として丸く浮かんだ油と油を箸の先で突っつき、くっつけ、大きくしていった。まあ、誰もが経験あるだろう、この遊びとも暇つぶしともいえない、なんか。

 小一時間ほどしてまだどんぶりに向かうシマヅに何しに来たんだよと己を棚上げして口を開こうとして驚いた。シマヅのどんぶりの油は、ほとんどどんぶりの大きさと同じの一つの円となっていた。


「おまえ、すげえな」


 素直に称賛すれば、シマヅは少し照れたように昔からくっつけるのが得意なのだと答えた。

 週明けのテストはさんざんなものだったが、打ち上げはやる。クラスの同程度に冴えないメンツで俺たちは、そのうち一人の兄貴の行きつけだという安くて古くて汚いラーメン屋を訪れた。

 食べ始める前に、シマヅは俺に割り箸を差し出してきた。

 くっつけるのは得意だけど、割るのは駄目なんだよと。変な奴だなと思いつつ、他の誰かじゃなく俺を頼ってくるのが嬉しくないわけではなく、割って渡してやると奴はサンキュウと小さく言った。

 シマヅは喝采を浴びた。シマヅにかかれば、ラーメンの油はみるみる成長し、どんぶりにひとつの大きな黄金色の湖を浮かび上がらせる。


「全国大会とか出れるんじゃねえの」


 中二の言葉を真に受け、安くて古くて汚いラーメン屋の主人は、〝ラーメンに浮かんだ油をくっつける大会〟にシマヅを勝手にエントリーさせた。

 ギャルもコックも栄養士もフードファイターもシマヅの敵ではなかった。シマヅは地方大会を勝ち上がり、東京の全国大会に出場し、見事優勝を果たした。

 TV中継された決勝戦、どんぶりをはみ出し巨大な油膜を織り上げ、金色のマントのようにひるがえして姿はなんというかある種の神々しさを感じさせた(あとでべとべとになってホテルのシャワー室が大変なことになったらしい)。

 地元に戻ってくると、シマヅは熱烈歓迎され、学校の窓からは垂れ幕が下がる。

 なんとはなしにシマヅが遠くに行ってしまい寂しい気もしたが、シマヅはいつものシマヅで「お前が割ってくれた割り箸大量に持ってといて良かったわ」と笑った。


 日常に戻り、俺たちはだらだら田舎の中学生という時期を過ごした。

 放課後、油色に暮れなずんだ教室でファミ通を読みまわす。部活帰り、アイスを舐めながら青々とした稲田に囲まれた道をケッタマシーンで走る。ところでシマヅは60円のダブルソーダアイスをよく食べていたが、うまく割れないとかで、股のように棒が二本突き出たまま気持ち悪く齧っていた。半分くれよ、と思わないでもなかった。

 ある日、転機が訪れる。


「あんたラーメンの油くっつけられるなら、テニス部の三宅くんとあたしをくっつけられるでしょう」


 三年ジョバレのちょっとヤンキー入った近藤さんだ。いやいやそれは無理でしょう。だって、三宅先輩の周りは前髪をムースで固めてパステルカラータオルハンカチを常に握っているジョテニの面々が固めている。

 詰め寄られて、シマヅは力は尽くしてみますと意外にも受けた。

 そして、二人をくっつけた。

 それからは校内縁結びの依頼が殺到し、片っ端からくっつけた。その中にはシマヅ意中の図書委員の伊藤さんもいたけれど、シマヅは過去に授業中にニキビを潰してその匂いを嗅いでいる姿を彼女に見られていたので、その恋は諦めるしかなかったのだった。


 同好会を合わせて部活への昇格も取り持ったし、近所のお見合い仲介おばさんからも呼ばれ、その縁で結婚相談所からも依頼された。

 折しも平成の大合併、進まない話にシマヅが同席し、まとめた例は枚挙に暇ない。Mergers and Acquisitions、ボンド総合メーカー『コヒガシ』新製品開発、戦争の和平交渉、ありとあらゆる〝くっつけ〟仕事が舞い込んだ。


 ニキビを潰して匂いを嗅いじゃうシマヅ。

 鼻くそを机の裏に塗り込むシマヅ。

 ファミ通でゲーム帝国と町内会読んでうひうひ笑うシマヅ。

 パソコン雑誌の18禁エロゲの攻略を読んで前かがみになるシマヅ。


 そんな奴のくっつけスキルは高まり、大学卒業後は就職せずくっつけ自営業者として依頼を受けていくとのことだった。


「すげえ、さすが天才だな」


 就職活動がうまくいっていない俺はやっかみ半分さみしさ半分で言った。


「くっついたものを分けられないのだから、半端だよ」


 だから頼むと言われ、俺は割り箸を割る係として雇われた。

 仕事は順調だった。けれど世界はひっくり返る。巨大隕石が衝突して地球滅亡というニュースがもたらされたのだ。

 何度も使い古されたネタで申し訳ないが、こればっかりはしょうがなく、避けようもない。

 その時、某宇宙開発連邦機関から依頼がきた。巨大隕石を衝突ではなく、くっつけることはできないかと――

 さすがにムチャぶりに過ぎると割り箸係として断固断ろうとするが、シマヅは受けた。


 ――後は知っての通り。


 十二月というのに汗みずくになって俺たちは密林となった元稲田を歩く。

 見事、地球と巨大隕石はさしたる被害もなく(宇宙規模で見れば)くっついた。なんだかよくわからないけどくっついた。

 ただし地軸の傾きがおかしくなり、地球の気象や環境は滅茶苦茶、シマヅはくっつけスキルを逆恨みしたあるいは利用しようとする各国際・政府機関、共同体、環境・宗教団体、エトセトラに追われることとなった。

 アイス喰いたいなと言えば、頬にひやりとしたものが当てられて俺は飛び跳ねる。やわらかな琥珀色、パピコだ。

 さっき、廃コンビニから失敬してきたんだと、シマヅはさっそくパピコは咥えている。俺も受け取って、先を引き千切り咥えて……あれ、と思う。パピコはそれぞれ一本。

 見つめたシマヅは素知らぬ顔で最後味が薄まるだろうにチューチューパピコを吸っていた。

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