堅物な若き女士官の部下はからかい上手なぐーたら天才少年くんですっ!

リヒト

第1話

「ふぅ……」


 火薬の硝煙が立ち上る曇り空に、一人の妙齢の女性の口より吐かれた煙も登っていく。


「辛い、ものだな」


 僅かにぬかるんだ塹壕の中。

 土壁に背をつける女性士官が心の底より漏れ出るような言葉を口にすると共に、再び煙草の煙を吐く。

 かつて、士官学校で男女ともに瞳を奪った腰まで伸びていたその黒く艶やかな髪は今や肩の長さで雑に揃えられ、土と埃に汚されている。

 ルビーのように輝いたその赤い瞳は今や濁り、クマに覆われている。


「……幸運だな、私も」


 だが、これでも彼女は幸運なのだ。

 クリスマスまでには帰れる───そう、言われていたのは一体何時の話か。あまりに長く続いてしまったこの戦争に参戦し、四肢が今に至るまで無事である。

 それだけで幸運なのだ。

 自分が手塩にかけて育てていた部下。その二階級特進の栄誉を聞かされたのがつい、先ほどのこと。優秀な者。未来あった、若者。

 それが一瞬にして奪われるこの戦地は何処までも苦々しい。女性は下唇を噛む。


「おっやぁぁぁぁあああ?」


 失われてしまった大切な部下を思い、女性が一人、天を見上げていた中で、この暗い戦場に似つかわしくない明るげな声が木霊する。


「上官殿ぉ、こんなところで何をしているのですかぁ?」


 女性の前に現れるのは一人の小柄な少年だった。

 本当に、この硝煙と土煙に支配された塹壕に立っているのか。

 目の前の光景を本物であると、そう思えなくなるほどに女性の前に立つ少年は浮世離れしていた。

 その、絹のように白い肌と髪は一切の穢れを知らず美しく、その身は過酷な戦場で生きていけるのか。そう疑問に思わせるほど細くありながらも、何処か目を惹かれてしまう芸術性を兼ね備えていた。

 体を覆い隠す軍服は泥にまみれながらも皺ひとつなく、美しさを感じさせる。


「僕にぃ、ちゃんと仕事するように言っておきながら、自分はおさぼりですかぁ?」

 

 その少年は神が利き手で描いたような、端麗な顔立ちをいたずらっ子のように歪ませて女性へと近づいていく。


「うるさいぞ、愚か者っ」


 そんな少年を女性は軽く一蹴する。


「常にだらけてばかりのお前が何を言っているんだ。ぐーたらばかりして過ごしやがって……ここを、何処だと思っているんだ」


「へへっ」


 上官である女性から睨みつけられてもなお、少年は調子を崩さず、彼女の隣に腰を下ろす。


「上官殿がサボっているなら、僕もサボっていいですよねっ」


「……はぁー、勝手にサボっている扱いしてくれるなよ」


「事実じゃないですかぁ。塹壕の中を見てくださぁい?色々頑張っている人がいる中で、何もせずに座っているんですからぁ」


「士官である私とただの一兵卒であるお前を比べてくれるな。さっさとお前も働け。軍人であるのなら、上の命令に従い、その職務を果たすのだ。上官である私にちょっかいをかけてくるなど、言語道断であるぞ?」


「とはいえ、僕は上官殿から何の指示も受けていないですしぃ?」


「はぁ……?お前に、……は……そう、か」


「唯一いた先輩も亡くなってしまったらしいですからねぇ」


「……っ」


 女性が指揮していた部下は自身含めてたったの三人しかいなかった。

 時間が経つにつれ、失った人員の補充がされることはなくなっていた。当初は十八人からなる中隊であったはずが、もう小隊の人数ですらない。

 その、三人ばかりの小隊から更に人が減った。今ではもう隣に座る少年と己の二人だけだ。


「まぁ、あの人も弱かったですし、こうなるのは時間の問題であるような気はしていましたけどねぇ」


「おまっ!」


 自分の隊の副長として、つい最近までそばを支えてくれた。

 隣の少年にとっても上官である殉職者を愚弄した少年を女性は咄嗟ににらみつける。


「大丈夫ですよぉー……僕は死なないですから」


 そんな、女性と視線を合わせる少年は力強い視線を返す。


「僕は上官殿についていけますよ?」


「ほざけ、餓鬼」


「あひんっ」


 何処か、魅入られるその視線からすぐ目を逸らした女性は代わりに少年の頭を小突く。


「……気でも使っているつもりか?私の、作戦が無茶ばかり、だと」


「いや?気なんて使ってないですよぉ?皮肉として堂々と非難してあげたのです。貴方についていけるのなんて僕くらいですよぉ。毎度の作戦で無茶し過ぎですぅ」


「上が無茶なのだっ!」


「ムキになってますねぇ?」


「くっ……!相変わらずお前は上官である私を何だと思っているのだ!」


「へへっ」


 苛立つ女性の言葉を少年は笑顔で流す。


「というか、僕も煙草吸いますぅー。火ぃ、分けてください」


「……駄目だろ。年齢を考えろ。年齢を」


 女性の隣に座る少年の年齢はまだ十二歳。

 自分よりも一回り幼い。

 そんな子が煙草を吸おうなどと、許せるはずもない。


「今更ですぅ」


 そんな当たり前と言える女性の言葉を少年はサラリと無視し、一つの煙草の箱を取り出す。

 その、煙草の箱に女性は見覚えがあった。


「……あいつのか」


「えぇ、あの人のですぅ。この隊の副長に僕がなったようでしてぇ、上の人からあの人の備品を貰ったんですぅ」


「はぁ……ったく。ほら、……火、貸してやるよ」


 少年が来るまで吸っていた煙草を再び加えた女性は彼の方にその煙草の先を向ける。


「んっ」


 煙草をくわえた少年がその煙草と、女性の煙草を合わせ、その火をもらう。


「ふぅー」


 そして、おそらくははじめてであろう煙草の煙を口から吐く。


「どうですぅ?あの人みたいですかぁ?」

 

「ほざけ、まず性別が違うだろ」


「ひひっ……にしても、普通にまずいですね。体にも有害な感じがします。普通に魔法で弾きましょうか」


「何のために吸っているんだ」


「へへっ」


 少年は呆れたような女性の言葉に笑顔で返しながら、……小さく、言葉を漏らす。


「……一緒が、良いじゃないですかぁ」


「ん?何か言ったか?」


「何でもぉ」


「そうか……ふぅー」


 誤魔化すような少年に対し、女性は深掘りするようなことはせず、煙草の煙を吐く。


「……ちっ。何時までもゆっくりしていられないみたいだ。仕事だ。行くぞ」


 だが、すぐにその煙草を地面に落として舌打ちと共に立ち上がる。


「えぇ……」


 そんな女性に対し、少年は不満げな声をあげる。


「うるさい!行くぞ!」


「ぶぇ……任務なんて嫌ですよぉ」


 魔導第一中隊隊長ソフィー・シュヴァルツ。

 魔導第一中隊副長アルベルト・クライン。

 中隊の名を冠しながら、ただ二人だけで女性と少年は魔法を発動させ、戦場の空へと駆けていった。

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2025年12月28日 18:00

堅物な若き女士官の部下はからかい上手なぐーたら天才少年くんですっ! リヒト @ninnjyasuraimu

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