第3話 夜通しの魔法デバック作業

 深夜二時。

 唯一の使用人であるハンスさんも眠りに落ち、世界が静寂に包まれる時間。

 前世の私なら、ようやく意識が朦朧としてきて「あー、誰か代わりにこのコード書いてくれないかな……」と現実逃避を始める頃合いだ。


 けれど、今の私は違う。


「……ふぅ。フルチャージ完了。やっぱり横になって三時間寝るって最高だわ」


 私はベッドの上で跳ねるように起き上がった。

 女神様が授けてくれた『ショートスリーパー』の特性は、私の想像以上にチートだった。


 ただ短時間で目が覚めるだけじゃない。三時間の睡眠で、脳の疲れも、魔法回路の熱も、肉体の倦怠感も、すべてが「出荷直後の新品」のようにリセットされているのだ。


「さて。今日のToDoリスト一番目。魔法回路の『負荷テスト』と『コード最適化』ね」


 私は窓から差し込む月明かりを頼りに、自分の手のひらを見つめた。

 この世界の人々にとって、魔法とは『祈り』や『才能』の産物だ。

 けれど私にとっては違う。魔法は『記述』であり『演算』だ。


 私は再び、初級魔法『ライト』の構築を開始した。

 

 一般的な詠唱を使えば、私の細い回路には負荷がかかりすぎる。

 だから私は、極限まで無駄を削ぎ落とした「マシン語」に近い独自の魔法式を組む。


(対象:空気中のマナ。変換効率:〇・〇一%。出力形式:可視光。座標:指先から三センチ――実行)


 パッ、と小さな光が灯る。

 同時に、指先の血管を細い針が通るような、鋭い痛みが走る。

 魔力回路が「そんな急激な負荷には耐えられません!」とエラーを吐いている証拠だ。


「……っ。リトライ。次は変換効率を〇・〇〇五%に下げて、その分、回転数を上げるわ」


 パッ。……パッ。……パッ。


 一度発動するたびに、激痛で呼吸が止まりそうになる。

 普通の八歳の女の子なら、一回で泣き叫んで二度と魔法なんて触らないだろう。

 けれど、私は元社畜だ。


「たった一回のバグで諦めてたら、納期は守れないのよ」


 百回、二百回と繰り返す。

 痛みで指が震え、冷や汗が流れる。

 それでも私は止めない。

 前世で、終わりの見えないデバッグ作業を延々と繰り返したあの「虚無の耐性」が、今、最強の武器になっていた。


 一時間を過ぎた頃。

 変化が起きた。


「……あ。痛みが、少しだけマイルドになった?」


 それは慣れではない。

 酷使され、傷ついた魔法回路が、ショートスリーパーの異常な回復力で治癒する際、ほんのわずかに「太く」書き換えられていたのだ。

 

 筋トレと同じだ。

 破壊と再生。それを一晩のうちに、普通の人間が数ヶ月かけて行う回数分、叩き込む。

 

「なるほどね。これが『実績解除』の感覚か。……面白いじゃない。残業代は出ないけど、自分のスペックが上がるのが目に見えるなんて、前世の会社よりよっぽど健全だわ」


 私は笑った。

 指先から流れる魔力の「帯」が、少しずつ広がっていくのがわかる。

 今まで「光る」だけで精一杯だった回路に、余裕が生まれ始めていた。


 よし、次は応用だ。

 

「変数追加。指向性を持たせて……収束。出力比率、〇・一%まで上昇」


 今まで「ボワッ」と周囲を照らすだけだった光が、スッと細く、鋭く凝縮される。

 それはまるで、レーザーポインターのような一筋の光の矢となった。


「これなら暗闇を照らすだけじゃなくて、目潰しや、出力を上げれば熱源にもなるわ」


 気づけば、窓の外が白み始めていた。

 時計はないけれど、私の体内時計が「朝六時(前世での定時)」を告げている。


 数百回に及ぶ反復練習。

 普通の魔導師が何日もかけて行うような基礎訓練を、私はこの一晩に凝縮して叩き込んだ。

 結果、私の魔法回路は、昨日までの「錆びついた細い針金」から、「磨き上げられた細い銅線」へと進化していた。


 コンコン、と控えめなノックの音が響く。


「リリア様、お目覚めでしょうか。……おや?」


 部屋に入ってきたハンスさんが、目を丸くして固まった。

 

「リリア様……。なんだか、昨日よりもお顔の色がよろしいような。それに、お部屋の空気が……清々しい気がいたします」


 それはそうだろう。

 一晩中マナを循環させ、魔法を使い続けた結果、部屋の中に溜まっていた湿気や澱みがすべて浄化されているのだ。


「おはよう、ハンスさん。三時間もしっかり寝たから、とっても気分がいいの」

「さ、三時間……? リリア様、子供は十時間は寝ないと……。ああ、やはり無理をしておられる。私が不甲斐ないばかりに、リリア様の心にまで負担を……っ」


 ハンスさんが目尻を拭いながら、また勘違いの涙を流し始める。

 違うんです、ハンスさん。私は本当に、三時間でフルチャージされちゃう体質なんです。


「いいのよ、ハンスさん。それより、今日から本格的に領地の立て直しを始めるわ。まずは……」


 私は鏡を見て、自分の顔をチェックした。

 肌はツヤツヤ。瞳はキラキラ。

 一晩中、魔法回路をいじり回したおかげで、体内の魔力循環が良くなり、健康状態がブーストされているらしい。


(……これ、美容にもいいんじゃない?)


 私は満足げに頷くと、八歳の小さな体で力強く一歩を踏み出した。


「まずは、門前で騒いでいる『ノイズ』――借金取りたちを整理しに行きましょうか」


「リ、リリア様!? 行けません、あのような荒事(あらごと)に、令嬢であるリリア様が出ていかれるなんて!」


「大丈夫。ちょっとした『仕様変更』を伝えに行くだけだから」


 私は指先で、昨夜一万回近く繰り返した魔法の残滓を弄ぶ。

 コツコツと積み上げた努力は、裏切らない。

 

 前世の社畜が、異世界の理を力技で上書きする。


 その最初の犠牲者が誰になるのか、私は楽しみに思いながら、玄関へと向かった。

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転生令嬢、もふもふと前世の社畜スキルで領地改革〜没落領地の立て直しなんてホワイトすぎて余裕です!〜 やこう @nhh70270

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