第2話:こたつのコード

 こたつには、人間も犬も猫も集まります。

 こたつは温かいのに、さらに温かい生き物が集まるものだから、その結果、さらにぬくぬくして、ぬくぬくが止まりません。


***


 大掃除はおととい終わらせた。だから、大晦日というのは、案外暇になるものだ。母はおせち料理作りにてんてこまいで、姉は買い出しの手伝いという口実で外に出ている。暇なのは私だけで、そのせいで余計に暇であることを自覚してしまい、居心地が悪くなる。

 ってなわけで、私も私でやることがあるんですって体裁を取るために、祖父の盗品を持ち主に返しに行くことにする。

 昭和の大泥棒として、一時は週刊誌を賑わせた祖父。その祖父の置き土産の大風呂敷。パンパンに詰まったガラクタたち。すなわち盗品たち。大きいものから小さいものまで、千差万別。

 つい先月、私は家族の後始末をするために、盗品返しを始めたのである。


「あら、星乃ほしのも出かけるの?」


 煮物を作っている母が火を止めて私を見る。台所からは、出汁の匂いが漂ってくる。上出来が期待できる。


「うん、ちょっと」


 曖昧な返事をするのは、盗品を返しに行くことは言わない方が良さそうだからだ。

 年末の忙しい時期、しかも大晦日に他所様の家に突撃するなんて非常識だと、きっと怒られる。私の家は、祖父以外はみんなモラルがあって常識的なのだ。

 だとすると、私だけが祖父の非常識さを受け継いでいるのかもって思って、不安になる。ちょっと濃いめの眉とか、祖父の血を濃く受け継いでいる気がしなくもない。


「あ、じゃあさ、青のり買ってきてくれる?」


 母からおつかいをお願いされる。私はぴんとくる。お雑煮用の青のりだ。うちでは、元日の朝に食べるのだ。なんだかすでに年を越した気分になって、頭がふわふわする。


「わかった、もじゃっとしている方ね」

「そうそう、粉じゃないやつ」


 私はスニーカーを履いて家を出る。結局、私も姉と同じくお使いの口実で外に出た。似たもの同士なのかもしれない。っていうか、お使いを頼まれたんだから、暇ではなくなったわけで、盗品を返しに行く必要ないのでは? ってちょっと思うけど、今年の汚れ今年のうちに、と言うし、祖父の罪を少しは清算しておいたほうが、我が家の運勢がよくなる気がする。


 京王線に乗って目的地に向かう。目的の駅までは十五分ほどか。紅白の事前番組までには帰りたいから、持ち主が近場に住んでいる盗品を選んだ。

 大晦日の電車は空いていて、みんなの表情もいつもとは違って穏やかで、今年もお疲れ様でしたって気持ちになる。窓に映る私も私で、通勤しているときの顔とは、まるで違う。

 でも実は表情は変わっていなくて、心の余裕がそう見せているのかもしれない。だとしたら、普段から電車内をこういう見え方をしている人だっているのかもしれなくて、それはすごく希望だ。


 そんなこんなで調布駅で下りて、バスに乗る。免許更新以来だな、とか思いつつ、バスの外を流れる家々を眺める。十分くらいで下りて、住所の場所を目指して歩く。

 住宅地はどことなくにぎやかで、どこかの家から油の匂いがして、年越しそばを想像する。


 目的の家に着く。表札には「水瀬」。

 築四十年は経っていそうな、瓦屋根のお家だ。小さな庭には植木があって、その植木はきれいに剪定されている。

 今回の盗品に貼られたメモには「水瀬伸二」と書かれていた。この家のご主人だろうか。


 インターホンを押す。この瞬間は、いつも緊張する。まあ、まだ四軒目だから、緊張するのは当然なのだけれど。


 チャイムが鳴るが、中から返事はない。留守だろうか。そのパターンもありえるし、それならそれでささっと帰ればいっか、とか考えていると、玄関が開く。厚手のセーターを着た六十代くらいの女性が顔を出した。銀縁の眼鏡がチャーミングだ。


「はじめまして、東雲と言います。水瀬伸二さんはご在宅でしょうか」

「……うちの主人がどうかしましたか」と女性は眉をひそめる。水瀬伸二さんの奥さんのようだ。私は警戒されないように笑顔を作る。

「今日は祖父が盗んだこちらを返しに伺いまして」


 言いながら、バッグから盗品を出す。

 ここまでの三軒で気づいたが、いきなり盗品を見せた方が話が早そうなのだ。お話よろしいでしょうか? と一度許可を取るのではなく、いきなり本題に入る。営業の先輩も、そんなテクニックを前に話していた。


 が、盗品を出そうとして、もたつく。なぜなら、それはにょろにょろしていて、トートバッグ内で粘っているからだ。一度バッグを置いて、にょろにょろの先端を掴んで強引に引っ張り出す。

 姿を見せたのは、こたつのコード。昔ながらの分厚いコードで、スイッチ部分に少し焦げがある。


 こんなコードをなぜ祖父は盗んだのか。一見ただのガラクタだ。目利きだけは優れていた祖父は、どこに価値を見出したのか。きっと祖父なりの理屈はあるだろうけど、私には想像できない。だから、持ち主に返して、盗品にまつわるエピソードを聞いて、祖父の視点を追体験したい。


 奥さんはこたつのコードを見つめて、首をかしげる。ピンときていないようだ。無理もない。昔盗まれたガラクタが、突然返ってきたところで、すぐに記憶と結びつきはしない。これまでがスムーズすぎたのだ。


 お互いどうしていいかわからず、妙に気まずい沈黙が続いていると、ちょっと待っていてね、と奥さんが優しく言う。それから一度家に入って、年配の男性、おそらく伸二さんと一緒に戻ってきた。伸二さんはこたつのコードを見ると、わっと声を上げた。


「あの凍える大晦日の犯人、あんただったのか!」


 伸二さんが言うと、奥さんも「あっ」と声を上げる。私もつられて「ひっ」と言う。

 どうやら祖父は「凍える大晦日」なる、トンデモ事件を起こしていたらしい。


「まあまあ、ちょっと家に上がんなさい」


 お二人に促されて、おずおずと家に入る。廊下はひんやりしていたが、通されたお茶の間は懐かしい匂いがした。畳と線香と、みかんの匂い。

 部屋の中央には、大きなこたつが置かれていた。こたつ布団には毛玉が所々にあって、壁画っぽいデザインの動物が描かれている。

 正座をして、膝だけ入れる。じんわりあたたかい。


 伸二さんは対面に座って、こたつに足を入れた。


「うちの祖父が大変ご迷惑をかけたようで……その、凍える大晦日という」


 恐る恐る謝罪を口にすると、怒鳴られるかと思いきや、伸二さんは「アッハッハ」と豪快に笑った。喉の湿り気のないカラッとした笑い声だ。


「いやあ、あのときは参ったよ。さあみんなで紅白を観ようと思ったら、足元が冷たくてなあ。スイッチ入ってなかったか、と思ってコードを探したら見当たらない。布団をめくっても、コードがない。こたつは真っ暗で、いつものぼやあっとしたオレンジ色がない」

「神隠しかと思ったわよねえ」


 奥さんがみかんとお茶を出してくれながら、相槌を打つ。私は小さくおじぎをしてから、お茶を啜る。濃いめのお茶が、冷えた体に染みる。


「それで、どうされたんですか?」

「どうするもこうするも、うちはエアコンが苦手でね。暖房器具はこたつと、古い石油ストーブしかなかった。しかも、大晦日の夜だろ? わざわざコードだけ買いに出かけるってのもおかしな話だ。で、部屋はどんどん冷えていく」


 そこで伸二さんは遠い目をして、みかんの皮を剥き始めた。


「あの年は、息子と娘も帰ってきていて、久しぶりに家族全員が揃っていたんだ。でも、揃っていたのは体だけで」


 伸二さんの指が止まる。当時の光景が指先に蘇っているようだった。


「息子は仕事のメールばかり気にしているし、娘はスマホに夢中だし。せっかく集まったのに、会話なんてろくにない。一応みんなでこたつに入っちゃいるが、ただそれだけ」


 私はその光景を想像する。それぞれがそれぞれの小さな世界を眺めている。それはそれで悪くないが、確かに孤独感があるのかもしれない。久しぶりに集まった家族だとしたら、尚更だろう。


「でも、こたつが死んだ」


 伸二さんが鼻を鳴らす。


「寒くて寒くて、とてもじゃないが、スマホなんていじっていられない。ストーブだけじゃ、寒さを凌げない。で、どうしたと思う?」

「……どうされたんですか?」

「遭難ごっこだよ」


 遭難ごっこ。ごっこ遊びとしては、いささか不穏な響きだ。しかし伸二さんはニッと笑って言う。


「家にある毛布や布団を全部引っ張り出してきて、こたつの上に山のように掛けたんだ。それで、家族全員でその中に潜り込んだ」

「ぎゅうぎゅう詰めでしたよ」と奥さんが笑う。「お父さんの足が大きいだの、お兄ちゃんがちょっと太っただの、妹のネイルの爪が鋭すぎるだの、文句を言いながら」

「だけど文句を言っているうちに、だんだんおかしくなってきてなあ。誰かのお腹が鳴ったのをきっかけで、みんなで大笑い。あれ、お前の腹の音か?」

「ふふ、どうでしょうね」

「あんなに大笑いしたのは、あいつらが子どものとき以来だもんなあ」


 伸二さんと奥さんは、二人揃ってみかんを口に放り込む。私も真似して、みかんを口に入れる。甘酸っぱい香りが弾ける。子どもの頃は、緑色の、酸っぱいみかんが好きだったけど、今は甘いみかんの良さも知っている。私は私で、少し大人になっているのかもしれない。


「一番寒くて、一番温かい大晦日だったよ」


 そう言って、伸二さんは目を細める。

 祖父は古いコードを盗んで、家族らしいぬくぬくを届けたのだろうか。どうなんだろう。あの大泥棒にそんな高尚な意図があったとは思えないけど。結果オーライってやつか。


「あの、これ、お返しします」


 私は改めてバッグからコードを引っ張り出して、テーブルに置く。伸二さんはそれを手に取り、スイッチの焦げた部分を親指で撫でた。


「懐かしいな、この焦げ跡。何だっけ、俺がタバコを落としたんだっけ」

「違うわよ、みんなでトランプしていたとき、マッチ棒を点棒代わりにしていて、焼いたのよ。私が一人勝ちして、つい舞い上がっちゃって」


 やはり奥さんはいつだって、家の正しい歴史を記憶しているのだ。


***


「ありがとうございました。良いお年を」

「東雲さんも、良いお年を」


 水瀬さん夫婦に見送られて、バス停に向かう。空はすっかり暗くなって、冷たい風が頬を刺す。紅白の前番組は始まっている。本番までにはどうにか間に合うだろうか。

 コード一本分軽くなったトートバッグを揺らしてみる。青のりを入れるのは、ちょっと軽くなりすぎたかもしれない。


 まあ、こういうときは、とりあえず、おしるこを買ってみる。

 大晦日のおしるこはやっぱり甘くて、あと数時間後には除夜の鐘が鳴るんだろうなって思うと、何だか世界がこっそり優しくなった気がした。


 来年も、よい一年になりますように。

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オイラーの風呂敷 彗星愛 @susei-ai

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