未孵化

惟風

どっちにしてもおしまいです

 エッグ・シャークだ!

 それは卵のように白く丸い形のサメだ!


「でも胎生なんだよね」

「卵胎生とかでもなく?」

「なく。胎生」


 胎生とは、胎内で母体から胎児に栄養の補給を行いある程度発育した後に産むことである。

 卵胎生とは、卵を胎内で孵化させて子を産むことである。


「そこは卵生であってほしかったなあ」


 友人・茂雄はそう言って小さくため息をついた。まあ気持ちはわからなくもない。

 夕暮れの中、俺達は太平洋に浮かぶ無人島の岩場で震えていた。


 事の発端は、茂雄がギャンブルでデカい借金を拵えたことによる。幼馴染のよしみで軽い気持ちで連帯保証人なんかになるんじゃなかったと後悔してももう遅い。一人だけ飛んだりせずに「一緒に借金を返してくれ」と泣きついてくるだけ、まだ人情味があるというものだ。

 億を超える負債を返すのに、地道に働くのは無理があるしその辺の闇バイトもリスクしかない。内臓売ったところで大した額にならないだろうしなあ、と二人で悩んでいたところに債権者から唆されたのが密漁だった。


 とある島の岩陰にのみ貼り付いて生息する幻の食材ニジイロヤバカメノテを採取してこい、というのだ。何でも珍味中の珍味で、というか普通に幻覚作用のあるヤバいシロモノで、そんじょそこらの違法薬物なんか目じゃないくらい“至れる”ものだということだった。そしてべらぼうに美味いらしい。ついでに万病に効くしオマケに不老長寿にもなる。“ヤバ”の中身が豊富。

 その世界では片手一杯分もあれば人生を二十周はできるくらいの値段で取り引きされると言われている現代の秘宝。多分どの世界でもそう。


 今考えればおかしい話だった、そんなすごいモノをこんなしみったれた中年男二人組に粗末な船だけ用意して取りに行かせるなんてさ。何らかの障害とかリスクがあって普通には採取できないからに決まってんじゃん。

 貧すれば鈍する、当時の俺達は全く疑問に思わず「こんな楽に借金返せるなんてラッキー」としか考えなかった。後先考えずに賭場で金溶かして闇金から借金したり、よく考えずに連帯保証人になったりするような馬鹿共だから。


「ニジイロヤバカメノテを主食にしてる幻の生物なんだって。人間のことは別に食わないけど、見つけ次第襲うし銃火器にも無敵だって」

「銃火器にも無敵、一度は自称してみたいな」

「自称だけなら何度でもできると思うよ」


 俺はスマホで画像検索した情報を茂雄に教えてやる。無人島だけどWi-Fiは繋がる。ヤバい。


「何で俺らなら取れると思ったんだろな。船の貸し損じゃん」

「いや、多分俺達は囮なんだと思うよ」


 俺が指差した方を茂雄は目を細めて凝視する。少し離れたところに、隠れるように漁船が控えている。俺達がエッグ・シャークに襲われている間にあいつらがニジイロヤバカメノテを取る気なんだろう。


「絶体絶命ってこういう時に使う言葉なんだろな」


 茂雄がのんびりと呟く。こいつはいつも緊張感がない。多分脳みそから「危機感」が欠落しているんだろうと思う。だからホイホイ怪しいところから大金を借りたりするんだ。細身で長身でこざっぱりしてて、見た目はまともそうなのにな。

 危機感がないのはこんなとこまでついてくる俺も同じだが。


 目当ての岩場はすぐ先にあるのに、波間を暗い灰色の背鰭がいくつも見え隠れしている。巨大な白い卵のような胴体に、鮫らしい背鰭胸鰭尾鰭のついた独特なフォルム。見ようによっちゃ愛嬌があるかもしれない。獰猛な性質を知らなければ。

 捕食や襲撃の時にだけ、卵が割れるようにぱかりと大きな口を開くらしい。見た目からは想像できないくらいに凶暴な牙が並んでいる画像がネットの海に落ちていた。ここまで情報が拾えるならニジイロヤバカメノテのことも世間にもっと知られてるのでは?

 世の不条理にツッコミを入れてもしょうがない。

 見た目によらない正体を隠し持っているのは茂雄もそうだし、俺もそうだなと親友の横顔を見ながら思う。

 本当は、幼馴染だからハンコを押したんじゃない。

 この性別じゃなければ。この外見じゃなければ。お前とはもっと別の形の繋がりを持てたんだろうか。

 この“中身”を現したら、この心の卵を孵したら、さすがにお前は取り乱すだろうか。あの白い捕食者とどっちが怖い?


 薄暗くなっていく海上、鮫の身体がぼんやり白く輝く。

 鮫と俺の口のどちらが先に開くかのチキンレースを、卵のように白く光る月が見ている。



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未孵化 惟風 @ifuw

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