浪漫。

「龍の首に光る五色の珠を。私が求める品は其れだけです。」


 御簾越しに放たれた赫奕姫の冷徹な旋律は、未だに大伴御行の耳奥で硬質な熱を持っていた。


「首の宝珠を得るには、龍殺しを為せと。ふん。軟い女らしい考えよ。余程、物語の英雄譚に毒されていると見える。」


 大伴御行は、屋敷内に作らせた池を浮かぶ小舟にて、揺らめく水面を睨み、独り呟く。


「まあ良い。名門大伴の武威を示すには、此れ以上ない舞台だ。大伴が詩を詠むだけの腑抜けた家系ではない事を、天下に知らしめてくれよう。」


 大伴御行は、京中の勇猛な武芸者や荒くれ者達を集め、自らの私兵を徹底的に磨き上げ、軍船を建造した。数多の兵、研ぎ澄まされた剛弓、そして龍の肉を断つべく鍛え上げられた巨大な銛。日を重ね、着々と暴力という名の牙は研ぎ澄まされていった。


 大伴御行の号令一下、難波の港から数十隻に及ぶ巨大な船団が大海原へと漕ぎ出した。旗印には大伴の家紋が誇らしげに翻り、船上の戦士達は自身の得物を陽光に反射させ、凱旋を確信した様な気勢を上げていた。大伴御行も同じく弓を掲げ、舳先に立つと、荒れ狂う波濤の先を睨むのだった。


 沖合へと進むに連れ、紺碧であった海面は墨を流した様な漆黒へと変じ、風は獣の咆哮を真似て帆を裂かんとする。鉛色の雲が裂け、海面が山の如く盛り上がる。

 爆発的な飛沫の中から姿を見せるは、猛き水神。蒼黒き鱗が並ぶ巨躯は、幾つもの急流が束ねられた如き脈動で空間に圧迫していた。そして、其の首元には、赫奕姫が求めた宝珠が、嵐の闇を嘲笑うかの如く燦然と輝いている。


「……見ろ!!あれが龍だ!!」

「怯むな!!矢を番えろ!!山を射抜くと思え!!」


 誰もが須佐之男命の如き英雄に成れると信じ、狂熱に瞳を輝かせた。豪雨によって冷えた身体を自覚させない程には、其の熱に冒されていたのだ。


「者共!!相手は神と言えど獣に過ぎぬ。鱗の一枚、角の一本に至るまで、全てが金に変わると思え!!」

「構えいッ!!」

「龍神を討つのだ!!京、いや倭国の末代まで語り継がれようぞ!!」


 大伴御行と其の補佐たる男達は、一斉に殺意を解き放った。命令に従い、数千の矢と巨大な銛が雨霰と龍神へ注がれる。しかし、其れらは龍神の強靭な鱗に触れた瞬間、パキッと乾いた音を立てて海中へと吸い込まれていった。


 龍神は、其の瑠璃色の巨大な眼球に、船上の人間共を映した。其処には、自身を敬う念も、畏怖する心も無い。自らの名を上げる為の討伐対象として、或いは切り刻み、売り払うべき素材としてしか自身を見ない、浅ましき者達が蠢いていた。


――


 龍神は極度の嫌悪を以て、天を仰いだ。天地を呑み込むかの如く開かれた顎から放たれた咆哮が、全ての合図と成った。暴風が帆を裂き、雷鳴が戦士達の鼓膜を破りながら轟く。海水は天へと巻き上がり、船団は玩具の様に弄ばれ、次々と波の底へと叩き付けられた。


「……神罰だ!!神罰が下るぞ!!」


 逃げ場を失った男達の絶叫は、荒れ狂う潮騒に掻き消された。一筋の巨大な稲妻が闇を切り裂いた瞬間、旗船は真ん中から無残に折れた。大伴の誇りは、容易く塵芥へと変えられたのだ。


「……あ、ああ……」


 大伴御行は海に投げ出され、意識を失いかけながら沈んでゆく。冷たい水が肺を侵し、視界が闇に染まりゆく中で、悟った。自身が挑んでいたのは決して獣などではない。人智の及ばぬ存在。星の怒りの具現であった事を。


 数日後、淡路の国の鄙びた浜辺に、一人の男が漂着した。村人達に発見された其の男は、嘗ての威厳を完全に失い、砂と海藻に塗れていた。呼吸は浅く、指先は死人の如く硬質化していた。

 嵐の中で船の残骸か、或るいは龍神の呪詛に触れたのか。両眼は異様に膨張し、内側から血を湛えていた。其れは皮肉にも、追い求めた『龍首の宝珠』の如く不気味な輝きを放ち、或いは熟れ切って腐り落ちる寸前の李の如く、赤黒く腫れ上がっていた。


「宝珠……龍の、珠……」


 淡路の貧しき漁村。身元も知れぬ乞食の如き姿で、大納言大伴御行はひっそりと息を引き取った。最期に見た景色は、京の栄華ではなく、永遠に止む事の無い波の音と、自身の痛みが生み出す赤い幻覚だけであった。

 村民の中には男を老人と見做した者すら居た。其れ程に、として支払った生命の摩耗は激しかったのだ。


 竹林の屋敷にて、赫奕姫は、風の噂に其の死を聴いた。手に持っていた竹細工の籠を置き、遠く鳴り響く雷鳴の方向を見詰める。


「龍神は御怒りです。無謀と知り、屋敷で詩歌を詠んでいれば、斯様な無残な死を迎えずに済んだのに。」


 奇しくも赫奕姫の瑠璃色の瞳は、龍神と同じく人の浅ましき野心を冷徹に透かしていた。

 そして優しい波の様な音が竹林に響くのだった。

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私説;竹取物語 蒼花河馬寸 @tatibanayuuki

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