不安の正体

森陰五十鈴

言葉にすれば、見えてくる

 手にした木剣がはじかれて、寒空に舞った。剣先が跳ねまわりながら色の抜けた芝の上に落ちたのを見て、クルロの顔に血が昇った。激昂するのは、打ち負かした相手にではない。いつまでも不甲斐ない、自分に対してだ。

 悪態をつきそうになるのを堪える。声を出し損ねた喉が、無様に鳴った。

 ふむ、と正面に立つ師が腕を組む。木剣は片方の手に握りしめたままに。剣先がぶらぶらと、よく磨かれたブーツの上で揺れていた。

「今日はここまでにしようか」

「どうして!」

 凛とした声の宣告に、銀の髪を激しく揺らし、クルロは声を荒らげた。

「君は今、冷静さを欠いている。そんな状態じゃあ、何も身につかないよ」

 また喉が鳴る。まるで、獲物を前に待てをくらった闘犬の唸り声のように。

「まずは、冷静になるすべを身に着ける必要がある。というわけで、君は今から精神統一に励むように」

「精神統一? 瞑想でもするんですか」

「それも一手段ではあるけどね」

 ふう、と深く息を吐いている。頭の後ろに片手をやっているのも、クルロの出来の悪さに呆れているからなのだろうか。

「その苛立ちの理由わけを、まずは言葉にしてみることだ。木や花に話しかけてみるのも良いかもね」

 しなやかな手先が周囲を示す。冬を迎えて眠りについた木は精彩を欠いている。庭の隅で咲く山茶花は、孤高を気取って素知らぬ顔をしていた。あれらがクルロを慰めてくれるだろうか。――いや、その前に、馬鹿にされているのだろうか。

義姉あね上!」

 それじゃあ、と素っ気なくワインレッドの背中を見せる師を、クルロは呼び止めた。艷やかな長い黒髪が翻る。

 十二歳のときに天涯孤独となったクルロを引き取った、領主グティエレスの一人娘。すらりとした身体に男の衣装を纏い、剣の扱いに長ける、凛々しくも一風変わった令嬢イネスこそ、クルロの義姉であり、剣の師であった。

 普段は飄々として、そのくせ気配りも利いて、何より色素がまるで異なるクルロを過剰なまでに愛でてくれる義姉だった。

 だからこそ、今の投げやりとしか思えない言動が、クルロの胸に突き刺さる。

 青の瞳が、冬の海のような冷たさでクルロの顔を映した。

「人の助言を素直に受けとめられないのは、それこそ冷静でない証拠だよ」

 頭から水を浴びせられたような衝撃がクルロを襲った。胸の奥が冷え切り、身体が震え出しそうだった。

 何も言えずに俯くクルロを置いて、イネスは行ってしまう。

 クルロは途方に暮れた。


「……で、本当に木に話しかけてるってわけか」

 気落ちしたクルロから経緯を聞いた、筋骨隆々とした男は、納得したとばかりに頷いた。褐色の肌。背も人一倍高く、羽織った黒の厚いコートの上からも体格の良さが分かる彼は、一目でその荒々しさが見て取れる。

 彼――ベルトランは、このグティエレスの家の縁があり、今日も何かしらの用があって訪問してきたところだった。用を済ませ帰ろうとしたところに、すっかり葉を落とした木をぼんやりと見上げていたクルロを気にかけて、声をかけてきたのだ。

「別に……そういうわけじゃ」

 気まずさに口を尖らせ、クルロは地面を靴先で掘った。木の周りだからなのか、この辺りは土が柔らかい。

「何を話していたんだ?」

「僕が何故弱いのか」

 クルロが剣を握ってから、一年が経つ。真剣に取り組んできたつもりだったが、それなのに自分の剣はあまりに無様だった。義姉に勝てるように、とまでは言わない。だが、もう少しまともになりたいとクルロは願っている。

「義姉上の動きは見えているんです、たぶん。でも、そこからどう動くべきかが、いつもうまく行かなくて。頭でこうと思っても、身体は全然別の行動をしてしまって……」

 横目でそっと窺い見れば、ベルトランは顎に手をやり肩を落としていた。

「そういうことじゃないんだよなぁ……」

 クルロは翠の目を瞠り、拳を固く握りしめた。耳の奥で金属音が聞こえるような気もした。

 ――僕は、義姉の意を汲むこともできてなかったのか。

「思った通りに動けない。それがお前の本当の不安か?」

「え?」

 クルロはベルトランを見上げた。彼は煮え切らない表情で、少年を見下ろしていた。

「だって」

「お前の訓練を見てるわけじゃないからな、その分析が正しいのか俺は判断できない。だが、そうだと思っているのなら、解決方法だってなんとなく分かるだろ?」

「それは、まあ」

 そんなことは、イネスに相談すればどうにかなる。彼女は、きっとその苦手を克服するための訓練内容を考えてくれることだろう。

 ――だけど。

「お前の不安は、本当にそこにあるのか?」

 言葉に詰まった。確かにクルロの目下の課題は、それだ。だけど、それが不安の正体かと言われると、どうにも適さない。

 だって、解決方法は目の前にあるのに。

「……僕は」

「きちんとそういうことを、木に聞いてもらえ。俺相手でも吐けねぇんだろ」

 言葉が詰まって出てこないということは、つまりベルトランにも本音を知られたくないということで。

 粗野な見た目をして実は気配りのできるその男は、クルロの背を叩いて、帰っていった。

 一人取り残されたクルロは、目の前の木にさえも顔向けできないような気がして、足下に視線を落とした。先程自分が掘り返した穴が目に入る。綺麗に均された地面の上で、そこだけ無様で、異質で。この家での自分のようだとクルロは感じた。

「僕は……弱い」

 拾われて二年。剣を持つようになって一年。この家に来てからの成長を、クルロは感じていなかった。いつまでも剣を振るさまは不格好なまま。教えられた型も全然身についてはいない。

 ――強くならなければいけないのに。

 孤児であるクルロをグティエレスが拾ったのは、理由あってのことだ。グティエレスのある目的を果たすのに、クルロが最も適していた。だからグティエレスは、クルロに害が及ばぬよう邸で匿い、来たるべき日に備えてクルロを教育している。

 それなのに、クルロには進歩がない。

 このままでは、果たすべきことが果たせない。誓いを守れない。――期待に応えられない。この家には、身寄りのない自分を生かしてもらっている恩があるというのに。

「僕は、僕がみんなを裏切ってしまいそうで、怖い」

 それを判断するのが、イネスであるような気がしている。

 グティエレスの正当なる後継者で、クルロに一番身近な教育者。

「見捨てられたくない。なのに、どうしてあんな愚かな真似を……」

 先程の自分の態度が、ただの子どもの駄々であったことにようやく気づき、クルロは両手で自らの顔を覆った。


 寒風に晒され頭はすっかりと冷えて、クルロはふらりと邸の中に入った。冷え切った身体に、屋内の暖かさが胸に沁みた。

 クルロは使用人に尋ね、義姉がくつろぐサンルームに向かった。イネスはワインレッドのジャケット姿のまま、一人紅茶を飲んでいた。白い円卓に頬杖を付いて、ガラスの向こうの景色を眺めている。冬枯れた景色の向こうに、山茶花の濃いピンクがぽつぽつと見えた。

「少しは落ち着いた?」

 イネスはクルロを振り返る。部屋に入ったクルロは、気持ちテーブルから距離を置いたところで立ち止まった。

 おずおずと抱えていた想いを吐き出す。

「……義姉上は、もし僕が弱いままだったらどうしますか?」

「え? 私が守るよ?」

 さも当然とばかりに即答されて、クルロは面食らった。

 イネスはしばらく不思議そうに首を傾げていたが、やがてクルロの悩みに察しがついたらしく、そっと柔らかい笑みを溢した。

 イネスは椅子から立つ。そして、クルロの前まで来ると、騎士のように跪き、クルロの右手を両手で包む。

「我らが王子さま。私は君に英傑になってもらうために、剣を教えているわけではないよ」

 クルロに教え込んでいるのは、ただ身を守る術を身に着けて欲しいがため、とイネスは語る。それは義姉だけでない、養父養母――グティエレスみなの望みであるのだ、と。

「まあ……本当のことを言うとね……。君が剣を握る必要はないんだ! 全部私が露払いするから! ……って言いたいくらいなんだけど」

 それはむしろクルロの想像とは逆で――いかに自分がこの義姉に溺愛されているかを、改めて知った。

「君は、君のままでいい」

 剣が苦手でも構わないのだ、と義姉は言った。

「とはいえ、だ」

 イネスは立ち上がる。甘ささえ感じられる雰囲気は消え、男装姿にふさわしい凛々しい女性へと変わった。

「私が君の剣の指導を任されているからには、手加減はしない。君の実力を判断し、君にあった戦い方を指導する」

 君を完成させるのは私だ、とイネスは宣言する。

 クルロを見捨てることは絶対にない、とイネスはクルロに誓ってくれた。

「だから、君は存分に私の胸を借りてくれたまえ! 君の悩みはすべて引き受け、害虫はすべて排除し、君が豊かな土壌で成長できるように――」

「はいはい、そこまでな」

 前のめりになって迫ってきたイネスの首根っこが掴まれて、後ろに引き戻された。止めたのは、筋骨隆々とした男。帰ったとばかり思っていたベルトランだ。

「残って正解だったな。案の定だ」

 気落ちし悩んでいたクルロの様子からイネスの暴走の気配を察知し、急遽引き返してきたのだという。――助かった、と少し思ったので、あとでお礼を言おうと思う。

「だいたい、悩みひきうけてねーじゃねぇか。木や花に向かって話して来いと突き放したのは誰だ」

「突き放してなんかいないよ! あれは、私の不安解消法の一つで、思考整理に役立ってだね」

「お前が花に向かって話しかけてたのかよ。妙なところで令嬢っぽいことしてんな」

「馬鹿にしているのかい?」

「いや、ギャップ萌えで人気取りに使える。存分にやれ」

 二人がなんだかよく分からない口論をし始めたところで、気が抜けた。

 使用人がクルロとベルトランの分のお茶を運んできて、二人してお茶に誘われて。


「……それでも僕は、強くなります」

 そうやってクルロを受け入れてくれる人たちだからこそ、その人たちのために強くなりたい、と強く願った。

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不安の正体 森陰五十鈴 @morisuzu

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