姉との00.1mmの距離

3月、あの日の夜から俺は、自己嫌悪と性欲の間で未だに戦っていた。

 すでに雪音さんは大学合格が決まり、荷造りを進めている。

 結局この半年で、雪音さんと俺の間の関係に、目に見える変化はなかった。

 一方的に、俺が意識していただけだ。


 俺は学校があったが、雪音さんは自由登校。

 その間、彼女は部屋の下見や、トランクルームに預けていた荷物の回収など、精力的に動き回っていた。

 そんなある日。3月も半ば、明日から春休みという日。

 雪音さんが「一緒に出かけない?」と誘ってきた。


 俺は目を丸くしたが、二つ返事で了承した。

 特に、断る理由もない。

 次の日。普通に買い物をして、飯を食って、カラオケに行って帰ってくる。

 楽しかった。何を話したかも覚えていない。

 ただ、楽しかった。


 その日から毎日、俺たちは色んな所へ出かけた。まるで恋人のようなデートに、俺はただ舞い上がっていた。

 彼女の真意も解らない不安には、目を瞑る。

 そして、雪音さんが引っ越す前日の深夜。

 俺たちは、最後にカーテン越しに語り合うのだった。


「ごめんね? いままでまともに構わなくてさ」


 最初の言葉は、謝罪だった。


「別に良いよ。勉強忙しそうだったし。仕方ない」


「私は諦めてたからさ。修くんも諦めてると勝手に思ってたんだ。だから、君が寂しそうにしてるの、ずっと無視してた。私が寂しくて逃げ出すためにね」


「そんな……」


「まぁ、ごめんね。辛くなったら言いなよ? 泊まりに来ても良いからさ!」


「なんか急にお姉ちゃんらしいね。ははは」


 ここ数日は、彼女なりの罪滅ぼしだったのだろう。俺一人をこの家に置いて行くことへの。

 急な態度の変化に、思わず笑ってしまう。


「あのさ。私、正直、中学生男子と一緒に生活なんてどうかと思ってたんだよね」


「それは俺だって、女と相部屋なんて……」


「ねぇ?  ありえないよね!」


「ほんと、それな」


 そう、俺たちは姉弟(きょうだい)なのだ。

 同じ両親に振り回される被害者。

 俺が感じていた憤りは、これだったのだろう。

 現状を分かち合いたかった。それがやっと果たされたことで、俺に取り憑いていた性欲の悪魔は、やっと落ち着いた気がした。


 だが、雪音さんは俺を最後まで困らせるのが好きらしい。


「修くんさ。私のこと、襲おうとしたでしょ?」


「んな訳!  家族だぞ?」


「カラオケから帰った日。お風呂も入ってない日。あーあ、あの時は私も覚悟したね。ゴム買っておいて良かったって思ったもん」


「へ? ゴム?」


「ほい!」


 そう言って、雪音さんは箱をカーテン越しに投げてきた。

 空中でキャッチしたその箱の正体は、「極薄0.01mm」。

 俺は「――!?」 、声にならない声を上げる。


「ははは! そりゃ中学生男子だもんね。我慢できなくなったら、しょうがないじゃん?」


「……」


 図星で、黙り込むしかなかった。

 そのまま項垂れていると、突然、雪音さんが電気を消した。

 暗闇の中、彼女はカーテンを入り口の方へと纏(まと)め始める。


「顔を上げて?」


 気がつくと、雪音さんの顔が目の前にあった。

 そのまま、彼女は唇を押し当ててくる。

 舌を絡ませ、彼女は俺の口腔からすべてを支配した。

 押し倒された俺の目に、月明かりを反射して濡れる雪音さんの唇が映る。

 きらきらと輝いて、幻想的で、美しかった――。


 俺の意識は彼女の体温に溶けていく。

 そのまま、まだ肌寒い春先の夜の闇に深く、より深く、沈んで消えていった。


 ―――。


 次の日。朝から雪音さんは、引っ越し先へと向かっていった。

 家族三人で見送ると、親父たちもなんとなく寂しげだった。

 そんな雪音さんが、少し羨ましく感じた。

 俺も彼女と同じように、大学に入る時は家を出るだろう。

 その時は、同じように悲しんでもらえるだろうか。

 いや、そのために何かを成そうとするのは辞めよう。


 ひたむきに「今」を変えるために勉強に打ち込んでいた雪音さんの姿を思い出し、気合を入れる。

 走り去るトラックの後ろ姿に、俺は白い息とともに叫ぶ。


「姉さん! 元気でね!」


 この時初めて、俺は彼女を「姉さん」と呼んだ。


――――――――――――――――――――――


という訳で修くんの、受難の日々は終わりを迎えました。

カクヨムコン短編のお題 「未知」で書いた作品となります。

甘酸っぱさとほろ苦さの王道青春ストーリーを、そのままストレートにぶん投げましたが皆様に届きましたでしょうか?

星やフォロー、感想を頂けたら嬉しいです!

それではお付き合い頂きありがとうございました!

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子供部屋、カーテンの先の未知 羽柴56 @hashiba56

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