メイド・オブ・ウェットワーク

西園寺兼続

メイド・イン・ウェットワークス

 職場に向かう道すがら、グレースはある噂をそこかしこで耳にした。

 とある海洋保険詐欺師フレッシュウォーター・マリナーズ一族の、お家騒動の噂である。


「クロウリー家の当主な、北アフリカでバルバリアの残党に襲われたらしいぞ」


 偽宝くじの売り子キャリアピジョンが囁く。


「あのジョナサンが、なんで海に? 保険組合ロイズ・オブ・ロンドンからガメるだけの奴だろ」


 イカサマ賭博師ボンネットがせせら笑う。


「珍しいことに、次の詐欺のための商談だったとさ。奴もまさか、手前の死亡保険が下りるたぁ思うまい」


 娼窟の用心棒バリーが愉快そうに肩を揺らす。

 三匹のろくでなし共は、コーヒースタンドの軒先で一番安いワンカップ片手に語り合う。グレースは知っている。これは大英帝国犯罪者組合――あるいは単にシンジケートと呼ばれる――の末端における、しょうもない井戸端会議だ。

 グレースはゴツゴツと硬い靴音を響かせ、そこから路地を四つ抜けた。雑居ビルの二階に軒を構える、マーシャル・メイド・エージェンシーの控え目な掛け看板が掛かったドア。都市部ならよくある、メイド派遣事務所だ。

 通常、こうしたエージェンシーを訪ねてくるのは求人を眺めに来た平凡な女と、使用人に高望みする平凡な女主人の使いばかり。しかし今朝は違った。

 ドアの前で背筋を伸ばし立っていたのは、仕立ての良い紺の外套に身を包んだ妙齢の女。無闇に固くひっ詰めたキツイ印象のブルネット。手には上等な書類カバン。このような出で立ちは大抵、中流階級の家庭教師だ。

 が、同じ界隈の奴だな、とグレースは直感した。四角四面な立ち振る舞いではごまかせない、染み付いた匂いというものがある。


「うちの事務所にご用でも」


 グレースは女の隣にずけずけと踏み込んで、ドアノブに手を掛けた。開業時間の三十分前には開いているはずだが、鍵が掛かっていた。


「赤毛の女の子を、探しておりますの」


 女は鼻にかかった口調で言った。


「そういったご指名は受けかねます。赤毛連盟でも訪ねては?」


 グレースはふっと口の端だけを上げて、女の鼻っ面に犬を追い払うジェスチャーをした。そして鍵を差し込み、見知った職場の小ぢんまりとしたフロアに目を向ける。

 そこには、応接デスクを挟んで紅茶を囲む二人の男女。瘦せぎすの紳士の方は、上司のマーシャル。エージェンシーの代表である。カップを手に、悠然とグレースに会釈する。

 そしてもう一人は、客人の少女。グレースの肩越しにキツイ雰囲気の女の顔を見て、怯えの表情と共に腰を浮かせている。彼女は、なんとまぁ見事な赤毛であった。

 戸惑いと緊張で静まった空気に、マーシャルのいたって平穏な言葉が割って入る。


「グレース、玄関を掃除しろ」


 瞬間、グレースは玄関脇に立て掛けてあった箒に手を奔らせた。招かれざる女の顎に、そのままワンアクションで柄打ちを叩き込む。

 大きくのけぞった女のみぞおちに突きを入れて追撃。ドアマットから高そうな靴を退けさせる。


「お箒で遊んではいけませんよ!」


 しかしグレースの見立て通り、家庭教師風の女はタフだった。彼女はグレースをしかり飛ばしながら手すりにもたれて身体を立て直すと、書類カバンから黒くしなる棒状の得物を抜いた。

 短鞭だ。鉛を入れた強靭なものと見えるそれは、子供の折檻に使うような代物ではない。一般に、拷問に使われる。女はそれを一切の躊躇なく、グレースの顔目掛けて振り抜いた。

 これに対しグレースは突きの動作終わりから下段構えに移行。半身を切って踏み込みながら、柄を捻るように跳ね上げる。トネリコ材の柄の表面が、破裂するような接触音を立てて鞭を体側へ弾いた。

 まさか箒ごときで凌がれるとは夢にも思わなかったろう。間抜けな表情で一瞬硬直してしまった女の隙を、グレースは逃さない。間髪入れずにさらに踏み込み、尖った頬に柄をブチ込む。

 意識を刈り取られた家庭教師風の女は、奇妙なステップを踏んで階段を転げ落ちて行った。グレースはそれを最後まで見届けることなく、玄関前に砕け散った彼女の歯を箒で掃いた。

 

「掃除、終わりましたけど」


 ぴしゃりとドアを閉じたグレースは、大きめの音を立てて箒を元の場所に戻し、両手を腰に当てた。もちろん、上司が招き入れたこの厄介な赤毛ちゃんについての釈明を求めてのことだ。


「ご苦労、グレース」


 マーシャルはわざわざ紅茶を一口飲んでから鷹揚にグレースを手招きした。


「海洋保険詐欺師の名家、クロウリー家の当主に関する訃報は聞いたかな?」

「ええ。是非とも対岸の火事として楽しく見物――」

「話が早いな。その、海賊に襲われて死んだジョナサン・クロウリーの私生児がこちらのお嬢さんだ」

「見事な飛び火ですこと」


 グレースは天井を仰いだ。つまりお家騒動が乗り込んできたのだ。

 その飛び火こと赤毛ちゃんは、少し震えた手つきでカップを置き、素っ気なく会釈した。


「コーデリア・カーティス。助けてくれてありがと」


 窮地を救われたにしては、ずいぶん淡々とした感謝の言葉であった。まぁ一ペニーの足しにもならない世辞を連ねられるより、大事なのは状況である。グレースがメイドらしく控え目な挨拶を返すと、コーデリアはすぐに語り始めた。彼女が事務所へ逃げ込んだのはつい先ほどらしく、マーシャルも神妙な顔で聞き入っていた。


「父の死後、遺言状の検認前に内容が漏れたらしいの。それ自体は本家の人間が探ったことだからどうでもいい。けど、その中身に問題があって……」


 たどたどしい少女の説明を要約すると、このようなことだった。

 当主ジョナサンの死後、その莫大な遺産は概ね順当に親類へと相続された。ただ一つ、私生児として遠方に暮らすコーデリアへと指定された、一冊の本を除いて。


『例の冊子をコーデリアに返す。望むように使い、望む人に渡しなさい』


 このように曖昧な遺言は、法的な効力に欠ける。だが、莫大な遺産を切り分けんとする詐欺師の名家を揺るがすに足る威力を持つ文面だった。

 くだんの冊子、その正体としてまず考えられたのは隠し財産。生前のジョナサンに本妻との間の子は居らず、彼が離れて暮らすコーデリアに密かな経済的支援を続けていたことを考えれば自然な推察ではある。それが褒められた行いかどうかはさておき。

 次に類推されたのが、クロウリー家の数々の海洋保険詐欺を告発する証拠文書の類。誰だって死後は救われたいと願うし、恥ずべき犯罪者にも贖罪を試みる権利くらいはある。実のところジョナサンの愛人は、生きているうちにそれを成し遂げようとして粛清されたのだ。よって、彼女の忘れ形見たるコーデリアにその願いを託すことは充分に考え得る。


「私は……私だけが、その冊子の在処と正体を知ってる。ジョナサンが詳細を伏せている理由にも、心当たりがある」


 コーデリアは気まずそうに目を伏せた。デスクを挟んだマーシャルの視線があまりにも冷徹だったから、脇で見ていたグレースもいたたまれない。


「……私は、ジョナサンの遺産を継がないといけない。黙ってたら本家の人間が押しかけてきて、今の養父母に迷惑が掛かるのは目に見えてたし。それで、クロウリー家の屋敷に向かってた。けれど、この街に着いたあたりで本家の放った猟犬に見つかってしまったの」

「で、無計画にここへ逃げ込んできたわけか?」


 容赦ないマーシャルの追及に、少女は小さく俯いた。しかし、臆病に垂れた赤毛の奥で、意固地な瞳がじっと男を見返していた。


「無計画、じゃない。ここのメイドは、シンジケートの女の為に戦うって聞いた。最初から、貴方たちを頼ろうと思っていた」


 その回答を聞くや、マーシャルはお手上げというようにカップを置き、グレースへと首を回した。


「我々の業務を、よくご存じのようだな」


 グレースはメイドらしく無言の首肯を返し、しかしすぐにデカいため息を吐いた。


「私が仕事を選べないってことも、ご存じで?」


 グレースは念を押すように少女の元へ膝を折った。

 メイド・オブ・ウェットワーク。汚れ仕事専門のメイド。それは英国最大の犯罪界隈たるシンジケートが醸成した、歪なエレガンスの表れである。

 いかに悪漢といえど、野郎にはおいそれと立ち入れない領域がある。それすなわち、家庭。女たちが支配する小さな城塞における騒乱では、女の流儀に則って、女の尊厳を敬いつつ、女を護ったり殺したりする必要がある。

 別に女主人が男の使用人を使って問題をねじ伏せればいいではないか、との反論もあるにはあった。しかし些細な衝突に男が出しゃばった瞬間、暴力は一段エスカレートし、最終的にお屋敷を丸ごと燃やし尽くすまで止まらない。シンジケートの男たちは拳も引き鉄も軽いのだ。

 女が女たちだけの間で暴力的解決を図るぶんには、被害は最小限に抑えられる。すなわち、シンジケートの秩序が保たれる。そういうことにしておこう。そうして半ば幻想じみた期待を背負わされた女たちは、表の世界の不遇な雑用メイドより遥かにハードな仕事へ身を投じることになった。


「どんなに旗色が悪くとも、私は貴方に職務の範疇で尽くしますよ。それがシンジケートの掟なので。ご理解した上での依頼ですか?」


 メイド・オブ・ウェットワークは仕事を選べない。選べる仕組みを作ると、それは傭兵になってしまう。報酬の多寡など問題ではない。すべては当事者たるメイドのあずかり知らぬところで、誰の顔を立てただの誰を蹴落としただのといった恩讐のうちに勘定される。

 して、コーデリアは頷いた。


「知ってる」


 その儀礼を最初から知っていたかのように、コーデリアは右手を差し伸べた。

 グレースはそっと淑女の手を取り、恭しく口づけした。




 どうしようもない。

 少女だった頃、ゴミ捨て場で拾った詩集がグレースの宝物だった。それは女学生たちが自家製本した粗末なアンソロジーで、当時からロングセラーだったブラウニング夫人みたいな冴えはまるでなかった。


 ――どれだけ清らかな旅路を歩めばHow untainted must we seek


 気に入っていたのは、回覧者が返詩を記すために残されていた数ページの空白だ。これは唯一、グレースに許された自由だった。

 けれど、ずっと白紙のままだった。見捨てられた裏路地の人生から、美しい言葉を捻り出すのが畏れ多かったからだ。平たく言えば、グレースが詩を謳おうとするとぜんぶ嘘になった。

 教会のペニーリーディングでいつも朗読してくれた、あの綺麗な赤毛の先生なら。何でも知ってる彼女なら、詩のお手本を見せてくれるかも。そう思って、優しいあのひとに無理を言って「お手本」をせがんだ。でも結局、先生はアンソロジーを持ったまま消えた。あのペニーリーディングはシンジケートのフロント組織が実績作りのためにやっていて、男の悪党が女の悪党を見初めるための薄汚い社交場だったのだ。彼女の末路は誰も知らない。


 


 グレースもそこで這い上がって、ここにいる。いつだって人は逃げないことを美徳とするけれど、グレースはあの頃、確かに逃げたかった。




「で、結局その遺産って何なんですか」

「……私にしか、価値のないものだよ」

「土壇場で、実は敷地内の湖に隠した金塊百ポンドでした、とか言われても困りますからね」

「心配しなくても、冊子なのは間違いない。ブリキ缶に封じて湖に沈めた、のは合ってる。生前のジョナサンの言葉が正しければ」

「左様ですか」


 曖昧なコーデリアの返答に、グレースは追及をそれっきりにした。列車で半日と馬車で一時間の道中、結局騒乱の火種の正体は分からないまま、とうとう郊外の立派なお屋敷の手前まで着いてしまった。

 馬車を見送るや、グレースはすぐに仕事の支度を整え始めた。よそ行きの地味な外套を脱ぎ捨て、白いエプロンを巻く。髪を黒焼きした鉄のバレッタで留め直し、ホワイトプリムを装着。家庭内の諍いに押し入るのだから、これが正装だ。


「無駄かと存じますが、話し合いを持ち掛けますか?」


 調子を確かめるように、レディースケインの石突で地面を打つ。鉄芯が入っていて、マラッカ製の見た目よりだいぶ重い。


「いや、いい。誰も殺さないなら」


 月明りにコーデリアの蒼白な頬が照らされる。話を聞くタイプの家族なら、短鞭なんぞ振り回す追っ手を差し向けたりはしないだろう。

 お優しいことだ。逃した敵は、明日の敵になるだけなのに。生きる限り逃げ場なんかないと知っているから、シンジケートの女は苛烈なのだ。


「私は、ぜんぶ終わった後も普通に生きていたいし、そのために義理の家族が死ねばいいとも思わない。貴女の手がもっと汚れていいとも思わない」


 しかし、最初の印象と同じく、彼女は頑なだった。失敗すれば自分の安全など保証されないとしても、表の世界のエレガンスに命を賭すらしい。


「御意に」


 能力の限り、依頼人の意思に沿う。掟は絶対、本当にどうしようもない。

 グレースはコーデリアを抜いて駆けた。屋敷の門には長柄の箒を提げた見張りが一人。メイド・オブ・ウェットワークの同業者らしく、掃除メイドの出で立ちをしている。お互い夜更けの屋外にしては奇妙な恰好だが、シンジケートの掟によればこう規定されている。

 これが、エレガンスなのだと。

 相手のメイドはグレースの接近を察すると、挨拶などせず腰を落として箒を中段に構えた。箒を使った短杖術は、メイド・オブ・ウェットワークの基本である。基礎に忠実な柄打ちがグレースの胸元を狙う。

 グレースは右足で踏み込みつつレディースケインを立てて突きを凌ぐ。そのまま杖を半回転させながら引き、寝かせた石突で相手メイドの顎を一撃のもとに砕く。

 頭からひっくり返って気絶した門番を置き、グレースは植え込みの陰で縮こまっていたコーデリアに手招きした。


「義理とはいえ、家族のお屋敷に忍び込む道理はありません。どうぞ」


 よく手入れされた前庭を、二人は堂々と進む。古くは英蘭戦争で活躍した歴史ある一族だけあって、伝統的なカントリーハウスを模した立派な家構えをしていた。もちろん、活躍とは商船被害をでっち上げることである。

 おっかなびっくりなコーデリアを連れてエントランスホールを潜ると、今度はパーラーメイドが出迎えた。手には真鍮の三又燭台。無論、蝋燭など刺さっていないが鈍器として有用だ。


「もっとマシな武器、使ってもいいんですよ? ハンマーとか」


 グレースが相手の集中を乱すためそう嘲ると、パーラーメイドはただ鼻で笑った。

 グレースが上段に杖を構えて攻撃を誘う。パーラーメイドが期待通りに踏み込んできたので、リズムに割って入るように自分も踏み込む。機先を制して左手突きを放つが、燭台の三又に杖を引っ掛けられた。

 折られる。そう確信した瞬間、即座に杖を手放す。すかさず両手でパーラーメイドの襟と肘をホールド、開いた足で相手の膝を蹴る。スカートの下では有効打を狙えず、透かされた。

 パーラーメイドが引っ掛けた杖を放り捨て、燭台をグレースの肩に振り下ろす。グレースはこれを左掌で辛うじてブロック。真鍮製ゆえの重量に指がビリビリと痛むが、掴んだ機は離さない。相手の右手を引き込み、こちらの右手は相手の喉を掴む。そのまま喉を締め上げながら、右脚で体幹を刈る。

 いわゆる喉輪投げが決まった。背中から叩きつけられたパーラーメイドの顔面に踵を入れて意識も刈っておく。


「終わり、でいいですか?」


 転がった杖を拾い直し、グレースはなんとなしに言った。ガス灯が点々と灯されたホールに、たくさんの足音が駆けつける。

 陰鬱な表情の料理長と、彼女の背に隠れるキッチンメイド。怯え切ったランドリーメイドたち。女中たちの人垣の奥で、憎々しげに二人を睨む女主人。ウェットワーカーではない、ただの人間。そう何人もメイド・オブ・ウェットワークを雇っては「品格」に関わるから、彼らはこの辺りでお手上げすることになる。

 しかし、諦めの悪い女主人が「殺しなさい!」と叫ぶと同時、人垣の中から銀ナイフが飛んできた。グレースは難なく杖で弾き落とす。


「家財を投げるなんて……今さらですけど」


 グレースが呆れ半分に目を向けたのは、更なる銀食器を手に進み出た中年のハウスキーパー。左手上段にナイフ。右手は背中に回し、得物は分からない。

 ハウスキーパーが大きく踏み込み、ナイフを振り下ろす。グレースは半身の左腕でブロック、からの相手ガード内側に滑り込ませて腕極めキーロック。片腕封じた。

 グレースの杖が相手の脇腹を打ち据えようと跳ね上がるも、右手に防がれた。背中に回していたのはブラフだったらしい。

 グレースは即座にグリップを逆手に持ち替え、杖を跳ね起こしハウスキーパーのこめかみに打撃を加えた。グリップ側の方が強く持てる、という単純な原理を相手は失念していたのだ。

 脳を揺らされ体勢を崩したハウスキーパーにとどめの一手。杖を首に引っ掛け、軸足を掬って床に叩き伏せる。そのままマウントを取って首を絞め落とし、意識を失ったことを確認。

 相手方に投了を宣言させるべく立ち上がったグレースは、人垣の後ろでコソコソ逃げ出す女主人の背中を見た。


「……命乞いでもしてくだされば」


 見逃せたものを。

 エレガンスを欠いた女は、フェアネスによって裁かれねばならない。コーデリアが身を賭して屋敷に乗り込んだように。そういう掟になっている。

 銀のナイフを拾い、その哀れな背に投げつけようとした瞬間。

 横から割って入った、華奢な指が投擲を阻止した。


「そういうのは、もう、やめにしよう」


 コーデリアは心底どうでもよさそうに、されど確かな力で、グレースの腕を引いた。




 船小屋でボートを借り、静かな湖を漕ぐ。


「ジョナサンが、罪悪感に苦しんでいたことは知ってた。先祖代々の詐欺師なのにね」


 凪いだ水面に落ちた灯りの赤が、絶えずオールに引き裂かれてゆく。


「お母さんも、似たようなものだったと思う。外面は慈善団体の朗読家リシターだったらしいけど、聞いての通り詐欺師の愛人だし」


 くだんの遺産に関する種明かしは、コーデリアのありふれた生い立ちから始まった。


「で、足抜けを図って私が小さいころに粛清された。形見はしょぼい詩集一冊だけ」

「それが、ジョナサンの遺言にある“冊子”ですか」


 コーデリアは首肯に代わり、舟を停めるよう合図した。湖の中央で堆積した浅瀬に、鈍く灯りを反射するブリキ缶が沈んでいた。

 グレースがそれを拾い上げ、タールで硬く封じられた蓋をナイフでこじ開ける。


「回覧者が寄せ書きして埋めるタイプのアンソロジー。誰に貰ったのかは知らない。でも、あのひとが悩んでたのは知ってる」


 手厚い油紙の包装を破り捨ててみれば、勝ち取ったそれは実に何の資産的価値もなさそうな紙束だった。グレースの濡れた手で触ると崩壊しそうですらあったので、すぐにコーデリアへ手渡した。


「これの返詩を考えてって。宿題みたいに私に遺して、一人で逃げてさ。あのひとはきっと、地獄に落ちたよ」


 名も知らぬ誰かの冴えない詩を、彼女の指はなぞっていく。

 小さく、鼻をすする音がして、グレースは湖面に目を逸らした。


「……ほんと、どうしようもないね。せっかく書いたのに、結局恥ずかしくなって、誰にも見せなくて」

「書いたんですか!?」


 グレースはがばっと首を元に戻した。コーデリアがびっくりして飛びのいたせいで、舟が大きく揺れた。


「わっ、な、何、急に!」

「お嬢様は、それに、返詩を書き入れたのですね?」


 つばを呑むのも忘れてグレースは問い詰める。

 あの畏れ多い白紙に向けて、ペンを構えたときの鼓動が。

 あの、どうしようもない痛みの出口が。


「ぜひとも拝読したく」

「やだ!」


 コーデリアは顔を真っ赤にして冊子を胸に抱き、さらに後ずさろうとする。しかし既に舟の縁だったので逃げ場はない。


「これは……ほんとにどこに出しても恥ずかしい詩ばっかりで、黒歴史ノートBook of Remnantだから! 捨てようか迷ったけど、ジョナサンが勿体ないからって封印してくれてて!」


 なるほど、道理で是が非でも取り返したかったわけだ。何かの間違いで後年これが別の誰かに見つかることがあったら、と考えたら。想像するだに恐ろしい。

 しかし、グレースにしてみれば可愛らしいものだった。


「誰にでも詩作に憧れる時期はございます」

「何で知ってるの!?」

「私もかつて少女でしたので」


 有無を言わせず、グレースは絶妙な力加減でコーデリアから詩集をむしり取った。

 知っているとも。

 あの、やたらと月や星や大自然の美しさを謳いたがる詩の眩しさを、知っているからだ。あの無名の女学生たちだけのやるせなさに、憧れたのだ。


どれだけ清らかな旅路を歩めば、How untainted must we seek toあの海に広がる星灯りを謳えるの praise the starlit sea like a Nightingale?」


 最後のページを探し捲りながら、グレースはそらんじた。


悪い夢であれと願いながら、ただ窓辺でI only chirp to sailors from the船乗りたちに恋をさえずっている window, wishing I were a daydream


 諦めて髪をくしゃりと掴んだコーデリアに代わり、グレースが彼女の返詩を読み上げる。幼い、冷めた少女の詩を。


 ――誰しも忌むべき物語の連鎖に組み込まれ得るEveryone can made into a chain of abhorrent tales

 ――遠い輝きへ祈るには、Our traces are too私たちの足跡は汚れすぎている tainted to distant gleam


「なんてまぁ……」

「何? 文句でも?」


 十代の少女に大人げないと知りつつも、グレースはニヤケ面を抑えきれなかった。

 だって、こんなに後ろ向きで、こんなに根暗なのに。筆跡だけは格調高くて、韻の踏み方がちょっと甘くて、語彙はやたらといかめしくて。


「こんなので、よかったんですね」

「どういう意味!?」


 グレースは憤慨するコーデリアに首を垂れ、恭しく詩集を差し出す。


「失礼いたしました。お嬢様、どうぞご査収ください」


 さざめく風が湖面を揺らす中、じっと依頼が完結するのを待つ。紙束ひとつ、煮るなり焼くなり山羊に食わせるなり好きにすればいい。

 が、なぜだかお嬢様はメイドの献上品を手に取らない。


「グレース、貴女が続きを書いてよ」

「……は?」


 当惑するグレースを見下ろすように、コーデリアは憮然とした表情で船縁に足を掛けた。


「できないの?」

「その、詩など書いたことがございませんし」

「ロセッティが大人気になってから詩を書いたとでも? 間抜け」

「まっ……」

「書いてくれなきゃ暴れて舟をひっくり返す」


 グレースは呆然と少女のように詩集を抱えたまま、小さな小さな船長を、仰いだ。

 書けっこない。逃げたい。

 そもそも何を考えてたんだ、この子は。ここまで来といて、この態度は何だ。

 漫然と、彼女の言動を遡って。


 ――知ってる。


 どうしようもなく、この界隈は汚れていて。

 同じ泥で幾人もの不幸な女が生まれ出ることもある。

 先に抜け出した方の彼女が、ぐずぐずしている彼女に手を差し伸べることも、あるだろうか。


「宿題……に、させて頂いても?」


 グレースがやっとの笑みでそう返すと、コーデリアは初めて、本当に初めて笑った。




 ある昼下がり、仕事の依頼を待つマーシャル・メイド・エージェンシーの事務所。

 しがないメイドがやたら少女趣味のアンソロジーを手がけていることに、上司のマーシャルが気付く。


「何だ、詩人にでもなるつもりか? やめておけ、この屑だらけの界隈で詩的素養が育つはずもない」

「余計なお世話です。いずれお暇を頂きますからね」


 ぴしゃりと小言を跳ね退け、彼女は慎重にペンを走らせる。


ならば我らの歩みから泥がThen let us run this land剥がれ落ちるまで駆けましょう till mud slips from our trail


 汚れ仕事ばかりしていた犯罪社会のメイドにとって、それはたいそう難儀な宿題だった。

 それでも、彼女が詩を書けない理由なんて、もう何ひとつなかった。


本物の潮を知らなくたって、For one may walk the world a sailor,水夫になれるのだから nor know the sea’s true steam

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メイド・オブ・ウェットワーク 西園寺兼続 @saionji_kanetsugu

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