2_監獄編
序章
──── 2510年 共和国ゴーゼンメイヘム ────
喧騒にぎわうヒノーデル地方の商店街。
あちらこちらで、客引き合戦が繰り広げられている。
「らっしゃいらっしゃい、新鮮な果物だよ〜! 本日採れたて、レマンの実からできたレマンジュース! 一瓶、銅貨三枚だよ〜、見てっておくれ!」
「焼きたての
そんな中、ひとりの男が、通りの端にある小さな雑貨店へと足を踏み入れた。
「あっ、いらっしゃいませ。スプラウト雑貨店へようこそ!」
元気よく客を迎えたのは、今年六歳になるウィンという少年だ。
母ジュリアが営むこの店で、彼は立派な店番として働いている。
しかし、招き入れられた男は何も言わず、ただ静かに店内を見て回るばかりだった。
視線だけを滑らせながら、棚に並ぶ品々を一つひとつ吟味していく。
やがて、その目がある一点で止まった。
それは金貨三枚にも上る、この店一番の目玉商品──精巧な細工が施されたアクセサリーだ。
値が張るせいで、これまで誰も手を出さなかった品。
だが、客がじっとそれを見つめていることに気づいたウィンは、ついに売れるかもしれないと胸を高鳴らせていた。
「これと……同じものはないか」
「え? うーん、どうだろ。お母さんに聞いてみないと」
「……別の色がいい」
「わ、分かりました! お母さーん! ちょっと来てー!」
ウィンがカウンターから身を離し、奥へ向かって声を張り上げた――その瞬間だった。
男は素早く手を伸ばし、アクセサリーを懐へと滑り込ませる。
代金を払うこともなく、扉を勢いよく開け放つと、通りへ飛び出していった。
「えっ……ちょ、ちょっと!」
状況を悟ったウィンの顔に、みるみる焦りの色が広がる。
──だが、安心しろ。
俺が、それを見逃すと思うか?
店の隅で気配を消していた俺は、すでに男の後を追って動き出していた。
石畳に残る足音をたどるようにして、その背中を追いかける。
* * *
ついさっき万引きをかました男が、人込みの街道をかき分けて走っていた。
「邪魔だ、どけぇ!」
ぶつかりそうになる人たちを乱暴に押しのけ、ある程度距離を稼いだところで、ようやく足を止める。
肩で息をしながら、安堵と一緒に勝ち誇ったような言葉がこぼれた。
「女とガキしかいねぇ店なんて、ちょろいもんだな」
そいつは懐に手を突っ込み、今日の戦利品を確かめるようにそれを取り出す。
「あんな隅っこにあるちんけな店でも、結構いいもん置いてあるじゃねぇか。大手柄だぜ」
「ほぉ〜、そんなにいいものなのか。ちょっと見せてみろよ」
もう追いつかれているとも知らず、のん気に息を整えていた男の肩が、びくりと跳ねる。
こちらを振り向いたその顔面めがけて──俺は
「へぶぁッ!」
変な悲鳴を上げてよろめいた男の手から、戦利品がするりとこぼれ落ちる。
俺はそれを落とさないよう丁寧にキャッチし、小箱に収め直してから、胸元へ大事にしまった。
「な、何しやがるッ!」
「何しやがるはこっちの台詞だ。人の店のモン盗りやがって……」
これは店の目玉商品だ。
それを何の対価も払わず持ち逃げしようなんて、問屋が卸すわけがない。
「この野郎……善人ぶりやがって……オレを相手にしたこと、後悔させてやるよッ!」
どうやら、あっちもやる気らしい。
もうジュリアさんのほうで騎士団には連絡がいってるはずだ。
なら、その連中が到着するまでのあいだに──ちょっとした小遣い稼ぎをさせてもらおうか。
お互いに武器はなし。拳と拳が交じり合う
俺は一歩前に踏み出し、大きく足を開いて、片手を前へ、もう片方を腰の横へと引く。
腰をどっしりと落とし、肩の力を抜いた、我流の構えだ。
相手もただの素人ってわけじゃなさそうだ。
修羅場の経験があるのか、両手を上げて顔を守り、じりじりとステップを踏んで間合いを測ってくる。
先に仕掛けてきたのは、向こうだった。
振りかぶった右の拳が、真正面から一直線に飛んでくる。
だが、その一撃は力任せで単調だ。
さっきの不意打ちへの意趣返し、ってところだろう。
俺は前へ出る勢いを殺さず、左手でその右拳を外側へと撫でるように受け流し──
顔めがけて、腰の回転を乗せたカウンターを突き刺した。
「我流――
相手の突進力をそのまま上乗せした一撃は、きれいに鼻っ柱をへし折ったらしい。
鈍い音と共に、男が大きく仰け反る。
「ぐあっ……!」
たった一撃だが、優位はこちらにある。
ここで、さらに相手の冷静さを削ってやる。
「おいおい、後悔させるんじゃなかったのか? 期待外れもいいところだぜ」
男のこめかみに、ぎゅっと血管が浮き上がる。
体格も腕力も、たぶん向こうのほうが上だ。真正面から殴り合えば、分が悪い。
なら、感情を煽って攻撃を単調にさせる。それが俺の勝ち筋につながる。
「このガキがァッ!!」
期待を裏切るまいとでもいうように、男は怒声とともに正面から突っ込んでくる。
頭に血が上りすぎて、ガードもへったくれもない。
その突進を、俺は一歩半だけズレるようにかわし、すれ違いざまに背後へ回り込む。
そして、踊るような体勢から、振り抜いた踵を男の背中に叩き込んだ。
「我流――
突進の勢いと、蹴りの加速が合わさって、男の身体はたまらず前のめりに吹っ飛ぶ。
そのまま近くの木箱に突っ込み、木片と一緒に転がった。
「がはッ……!」
かなり効いたはずだ。
だが男の顔を見れば、まだ終わりではないことがよくわかる。
もはや怒髪天を突き抜けていた。
よろよろと立ち上がった男が、今度はゆっくりと、しかし一歩一歩地面を踏みしめるように近づいてくる。
さっきまでの突進とは違う。殴り殺すつもりで、間合いを詰めてきている。
先に動いたのは、俺だ。間合いを潰すために近づき、右拳を繰り出そうとした、その瞬間──
「捕まえたぞッ!」
両手首をがっちり掴まれた。
体格差の分だけ、その握力は重く、鋼の輪のように食い込んでくる。
「野郎っ……!」
身動きが取れない。
男が上体を反らし、頭突きの体勢を取った。
「かち割ってやるよ、その
額が振り下ろされる、その瞬間。
俺は足元を強く踏み抜き、地面を蹴り上げるようにして身体を反転させた。
「我流――
後方へ倒立回転する勢いを利用し、振り上げた足のつま先を、前のめりになっていた男の顎めがけて突き上げる。
ゴンッ、と鈍い音が鳴り、男の首が大きくのけぞった。
その隙に手首を振りほどき、距離を取る。
顎を打ち抜かれた男は、しばしふらつき、明らかに脳震盪を起こしている様子だった。
それでも、完全には倒れない。
「タフな野郎だな……いい加減、倒れやがれっての」
「ぶっ殺してやるっ……この野郎ッ!!」
怒声とともに、再び突っ込んでくる。
先ほどと同様、真正面から
「──ッ!」
この局面でフェイントを入れてくるとは思わなかった。
反応が一瞬遅れ、その拳をモロに食らう。
「ぐぁっ……!」
視界が横に弾け飛び、そのまま近くの露店に積まれていた果物の箱へと突っ込んだ。
木箱が割れ、熟れた実の匂いが一気に鼻を刺す。
「お、おい、大丈夫か若造!?」
店主が慌てて駆け寄ってくる。
やられた身としては情けないが、壊したのはこっちだ。申し訳なさで胸がチクリとする。
「ああ、それよりもすまねぇな。俺なりの詫びだ。騎士団に言えば、あとで全額弁償してもらえると思うぜ」
そう言って、ポケットから銅貨を三枚取り出し、店主の手に握らせる。
「さっきから、訳の分からねぇ技名叫びやがって……いい加減、黙らせてやる」
男が、血まみれの顔でじりじりと近づいてくる。
こっちもダメージはそれなりだが、向こうも足取りはふらついている。
「そう甘くはいかねぇか。なら――これで終わらせてやるよッ!」
俺はそう言い捨てて、今度はこちらから駆け出した。
男は迎え撃つ体勢で、その場に踏みとどまる。
渾身の一撃を叩き込むつもりなのだろう。
右肩を大きく引き、全身をバネのように溜めている。
まともに食らえば、さっきみたいに箱一個じゃ済まない。下手すりゃ治療院送りだ。
そんな余裕も金もない以上、選択肢は一つ──勝つしかない。
お互いの拳が届く間合いに入った、その刹那。
俺はさっき仕込んでおいたあるモノを、前方めがけてぶちまけた。
「ああぁぁッ!目がぁぁあああああ!!」
強烈な酸味で有名なレマンの実の絞りたてジュースが、怒りで目を見開いていた男の顔面にぶちまかれる。
さっき木箱に突っ込んだとき、どさくさに露店から拝借しておいたやつだ。ちゃんと代金は払ったし、問題ないだろう。
「汚ねぇぞ、てんめぇぇえええ!!」
「悪ぃな。こちとら戦いに美学なんぞ、持ち合わせちゃいねぇんでな」
男は目をこすらざるをえない。
その仕草で、完全に上体のガードががら空きになる。
そこへ、最後の一歩を踏み込み、拳を構えた。
「我流――
力を一点に絞り、牙のように鋭い一撃で、男の
空気が抜けるような声も出ないまま、男の身体は後方へ吹き飛び、そのまま路上に崩れ落ちた。
今度こそ、本当に起き上がってこなかった。
* * *
「くっ……そがっ……」
男が地面に沈み込むのを確認しつつ、俺はまず胸元に手を突っ込んだ。
さっきまで派手に跳んだり殴ったりしてたせいで、目玉商品をぶっ壊してないかが気になって仕方ない。
「よぉし、商品に傷なし。一件落着だな。後は……」
胸元のアクセサリーが無事なことを確かめてから、今度は一歩も動けずに倒れている窃盗犯の懐をまさぐる。
腰元から、財布代わりの巾着袋をひょいと抜き取った。
「テメェッ……俺の財布……ッ!」
俺は巾着の口を指でつまみ、ざらりと中身の重さを確かめる。
毎度のことだが、窃盗犯から今回の迷惑料を上乗せしていただく。これが俺の小遣い稼ぎだ。
もっとも、窃盗犯の財布なんざたかが知れてるのは言うまでもない。
「しけてんなぁ~……。ま、こんくらいか。最低限生活できる分ぐらいは残しておいてやるよ」
銀貨を数枚抜き取ってから、巾着を男へと放り投げる。
「ざっけんじゃねぇッ……窃盗だろうが!」
「どの口が言ってんだよ。それに――女子供がいる店を狙うような姑息なヤツと一緒にすんな」
呆れ笑いを漏らしながら、軽く肩をすくめて言い返す。
男は歯を食いしばりながら、それでもずっと疑問だったことを吐き捨てた。
「そもそも……誰なんだよテメェはッ!横からしゃしゃり出てきやがって……!」
――その一言を、心の底から待ち望んでいた。
俺はぱっと顔を上げ、目をきらりと輝かせる。
背筋を伸ばして、コホンとわざとらしく咳払い。
左足を半歩後ろに引き、つま先で地面を軽く押さえる。
片方の手は腰に添え、もう片方の手を天高く空に突き上げる。
顎を少し上げ、日の光を背負っているつもりで、三日三晩考え抜いた自己紹介を高らかにぶち上げた。
「金なし、地位なし、名声なし」
わざと一拍置いて、口元だけでニッと笑う。
「スプラウト雑貨店の物置小屋を拠点に、どんな依頼も引き受ける、義理と人情にあふれた、ちょっとイカした用心棒――」
言葉の最後と同時に、右手を顔の横まで下げて、指をパチンと鳴らす。
その決めポーズのまま、男が知りたがっていた答えを授ける。
「ケント・ベルウォードだ。以後、お見知りおきを」
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想心の引き金 Observer_365 @handoil_of_promise
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