奢りと驕り
かたなかひろしげ
塩むすび
最近、店の前の通りでよく見掛ける子供がいる。
勿論、普段は特に気にも止めてはいなかったが、今朝は店の前にしゃがみ込んでいるのを、運悪く見掛けてしまった。あれは昨晩、閉店準備をしている時にも店の前で見掛けた。まさか一晩中、この通りをウロウロしていたのか?
自分の店は早朝から朝定食を提供している。その開店準備をしていた俺は、少し警戒気味にドアを半分だけそっと開き、その様子を
見れば、店の前に違法投棄されていた、飲み物───だったもの、とあれはもう言った方がいいだろう。緑色のセイレーンのマークのついた紙コップの、底に残っている汁状の飲み残しを啜っている。
いつ見掛けても同じ服を着ているし、最近の子供にしてはやけに痩せすぎている。高専しか出ていない貧相な俺の頭でも、そこから察することが出来るのは、虐待児なのでは? という疑いだ。なにより平日の朝に、こんな繁華街にいる時点で普通はアウトだろう。それを誰も気に留めようともしないのが、この町の治安の悪さではある。
とはいえ、俺のこの居酒屋がなんとか軌道に乗れているのは、この早朝の定食の売上によるところが大きい。近隣の風俗街務めの女性や、警察署の遅番の人が、早すぎる朝食を求めて立ち寄ってくれるおかげで、俺の店はなんとか回せている。
つまり10年の下積みを経てようやく独り立ちし、念願の飲食店を開店したばかりの自分には、他人の子供に関わっている余力など微塵もなかった。いや、これは言い訳だな。不要なトラブルに巻き込まれるのが嫌で、見て見ぬふりをしていたのだ。
***
「よう、坊主。店の前でそんなゴミ漁られたら困るんだよ。水ぐらいなら飲ませてやっから、それ放ってまずは店の中入れや」
俺は、普段の店では絶対に使わないような言葉遣いまで使って、店の前から子供を追い払うことにした。相手によって言葉を使い分けるのは、差別だとわかっているが、態度をはっきりと示す時には、ある程度の使い分けは必要だと思っている。今の場面がまさにそうだ。なによりこの早朝の時間帯こそが、俺の店の書き入れ時なのだ、店の入口で残飯漁られても困る。
俺は店の入口を大きく開け放ち、子供は店の入口のすぐそばのカウンター席に座らせる。匂いはしないので周りにもまあ大丈夫だろう。すると、子供はこちらをみて、はっきりと口を開いた。
「手押しです。お客様ですか?」
子供は整えられていない前髪の奥から、気の強そうな眼をして、こちらに返事をしてきた。───やはり最悪だ、俺はこの言葉に心当たりがある。
店内にも響いたこの声に反応したのか、金属の食器を取り落とす音がどこからか響いた。この店の朝の客には、制服を脱いだ警察官が混ざっている。これは聴かれた、と思って間違いはないだろう。
「俺が客を探してやるよ。モノはどこに隠してある?」
「はい。この通りにいるらしくて……昨日からずっと探してます。父さんが、見つかるまで帰ってくるな、って。渡すものは、前の植木鉢の中です」
ちっ。俺は自分から首を突っ込んだ自業自得とはいえ、どう控えめに考えても
「夜通しかよ。しゃーねーな。ちょっと待ってろ」
下手に店の前で倒れられても困る。余計なことにこれ以上首を突っ込むな、という冷静な自分に内心でそう言い訳しながら、俺は厨房に戻り、冷蔵庫の冷や飯にレンチンをかけた。
店の様子を見ると、慌てた様子の男が、タバコを片手に店の外に行くのが見えた。だが、あれは要件がタバコではないだろう。今頃、店の外のプランターがひっくり返されているはずだ。本当についてない。
───具などいらないだろ。俺は温められたボールの中の白米に、適当に塩を振り、強く握って安い海苔を巻いた。それを店の紙袋に放り込む。
「ほらよ。喰え。こんなところで倒れられたら目覚めが悪い」
俺は眼の前の子供に紙袋を渡してやった。
礼も言わず、子供は袋の中のおにぎりへ、無心にかぶりついている。さぞやお腹が空いていたのだろう。どこの誰が飲んだともしれないスタバのコップの残り汁を、すする必要がある程に。
すると、突然、店の前に白いアルファードが停車した。
不必要と思えるカスタムが入って無駄にキラキラしたフレームのドアが目立つ。そのフルスモークガラスが開くと、中から半グレ風の眉を詰めた若い男が、道路から店の中の子供に声をかけた。どうやら降りてくるつもりはなさそうだ。
「なに喰ってんだよてめえ。客はどうしたぁ?」
やはり最悪だった。こういう時の勘だけやけに当たるのはどうしてなのか。もっと商才の方に閃きがあれば良いというのに。俺は子供が口の中のものを飲み込んで喋ろうとする前に、すかさず口を挟んだ。
「この子供の親御さんですか? こちらの子供がご飯が食べたいというので、おにぎりを売りました。お代を代わりに頂けますか?」
「ああ?オイ、クソガキてめぇ、勝手に飯買ったのか!?」
口の中のものを飲み込めたのか、子供が少し怯えながら、店の外に向かって言う。
「この人にも手押しです、って言ったよ。お金もらう時はこう言えばいいんだよね?」
子供にこれ以上、返事はさせない。俺は続けた。
「お代は、手押しの客からの代金に含めておきますよ。モノはもらいましたから!」
「ちっ。てめえ……クソが!」
アルファードのフルスモークガラスが上がる。急にアクセルを踏んだのか、タイヤを鳴らして離れていく。だがもう手遅れだろう。車のナンバーは、外でプランターを引っくり返している人が記録しているに違いない。
***
そこからの店はちょっとした大騒ぎであった。店の外のプランターの中からは、違法な葉っぱとお薬が見つかり、子供は児相らしき人に引き取られていった。
あの親? がその後、どうなったかはわからない。
半年後に警察から犯人逮捕の協力に対しての感謝状を貰ったのだが、それはそういうことなのだろう。
恐らく、あの子供は「手押し」が意味するところを、童心ながらもうっすらとわかっていたのだ。だから、そのフレーズを誰に言うべきなのかを、店の前の通りでずっと探していた。それは客ではなく、理解して、己に手を差し伸べてくれそうな大人を。
───知らないふりをしていればそれでいい。
未知のことであるのだから、力の及ばぬ話なのだから、気に病む必要はない。居酒屋の店長が、すべての危険に立ち向かう必要はないのだ。
だが、あの後、身なりの良い御婦人に連れられて、件の子供がお店に時々くるようになり、満面の笑顔で塩にぎりを頬張っているのを見て、俺なりに思うのだ。
それで良いのかと。未知なのは仕方がない。だが、知ろうともしないのは、わけが違う、と。
奢りと驕り かたなかひろしげ @yabuisya
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