バスで九時に

倉沢トモエ

バスで九時に

 さて、困ったのだ。


 今朝、始発の電車でこの町に到着したのが午前八時。

 目的の場所に向かうバスは九時なので、コーヒースタンドに寄り、熱い一杯で目を覚ましていたはずなのだが、乗り込んだバスのアナウンスは目的地の反対方向を告げている。


「いやいや、お急ぎでなければ大丈夫ですよ。循環線ですからね。二十分ほど遠回りして、着きますよ」


 慌てた様子を見て親切な乗客が教えてくれた。なるほど。自分は路線を間違えはしたが、運よく目的地を含む循環線に乗り込んだ。ただ、それが遠回りとなる方面だった、ということか。

 時間に余裕があったので、問題なく到着できるとわかりほっとしたが、同じ時間に発つバスのバス停が並んでいるのは、初めて訪れた者には紛らわしい。


 循環線は、生活道路を回るようだった。バスの大きさにはいささか狭く思われる道を運転士は器用に曲がり、小さな店が並ぶ商店街や、生徒たちが並んで門をくぐっていく小学校の前を通った。戸を閉めた居酒屋はひっそりとしていて、ガソリンスタンドには小型車がすべり込んでいった。

 バスはその時々の停留所でお年寄りを拾い上げ、病院や施設の前で降ろした。

 ふいに海が見えてきて、自分はたじろいだ。町の雑踏が急にとぎれ、堤防に沿った道をバスは走っていった。

 海は朝の光で穏やかそうな顔をしていた。

 漁港は遠く、海鳥がときどき空をすべっていく。

 ひどく静かな海だった。


   *


「よく来てくれましたねえ」


 一年前、漁船の事故で亡くなったアキラの墓所のある寺からも海がよく見えた。


「大学では山川さんにはお世話になって。来てくれて喜んでると思います」

「いやあ、バスを間違えてあわてましたよ」

「ああ、紛らわしいんだもんねえ」


 優しく出迎えてくれたご両親がこんな小さなことで笑っているのは何よりだ。


「でも、間違えてよかったですよ」


 あの小学校はアキラが通っていた。

 あの商店街でアキラは遊んでいたと聞いた。

 ガソリンスタンドでは高校の時にアルバイトをしていたと聞いた。


「まだお互いにしてない話、たくさんあったのになあ」


 言いながら缶ビールを取り出して、供物台に並べた。

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バスで九時に 倉沢トモエ @kisaragi_01

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