漂流-ポイント・特異点-

@EnjoyPug

第1話

 夜遅くに家についた私、クジマ・ミナトは仕事の荷物を片づけてPCに電源を入れる。

 椅子に座りながら生活ロボットに風呂の用意を命じた後、疲れを吐くように一呼吸した。


『新着メッセージ一件』


 デスクトップにポップアップしたアイコンにマウスを動かす。

 メッセージの内容は通話の着信。

 送り主は昔からの友人アッシュだった。

 私はすぐにヘッドセットを被り、クリックしてボイスチャットを始める。


「どうも。久しぶり、アッシュ」

『久しぶりだね。元気にしてたかい?』

「元気……と、言っていいのか。最近ばたばたしていたから。それがようやく落ち着いたよ」

『君の研究はかなり忙しいからね。私のとは大違いだ』

「何、たまたまさ。アッシュの方もそのうち忙しくなるよ」


 アッシュは学生時代からの友人で、共に科学技術の探求をしていた。

 途中で私はエネルギーの研究、アッシュはコンピューターの研究へと道を分かれた。

 

 人生は多くの人と出会い、別れを経験する。

 その中でアッシュは唯一、長い時を一緒にしている。

 離れた今でも、こうして連絡を取り合っているほどだ。

 お互い多忙の身だが、その隙間でやる他愛のない話が私にとっての癒しだ。


『エネルギーの心配は無くなるプロジェクト、アレの完成はもうすぐだろう?』


 アッシュからの一言に、目を見開く。

 一度マイクを口から離し、生活ロボットを呼んでコーヒーを持ってこさせる。

 彼との会話に敢えて間を作るためだ。


「えっと、ごめん。もう一回いい?」

『君の研究しているヤツだよ。それがもうすぐだろってこと』

「なんでそう思うんだい?」


 暖かいコーヒーを啜り、苦みで乱れた心を整える。

 アッシュの言っていることは正しい。

 ただ、そのプロジェクトは極秘で外部には漏れていないはず──。


『言い方だよ。もうすぐ忙しくなるって』

「あ~……そういうこと? う~ん、よくわからんなぁ?」

『今のコンピューターですら、ほとんどのことをやれるぐらい十分なんだが、これ以上になるとエネルギーを食う量もバカになるからな。節約するにしたって限度がある。エネルギー問題が解決できたらこっちも助かるってこと』


 軽く笑うアッシュだが、私の内心はヒヤリとしていた。

 プロジェクト・メビウス──。無限のエネルギー理論はすでに完成し、実用段階まで来ている。

 大事なのは、誰がこれを一番最初に公表するかだ。


 人類の夜明けは近い。

 だが人間は利権という低俗なしがらみに絡みついたままだ。

 そんな価値観なんて、これが公になれば全て吹っ飛ぶのは目に見えているというのに。


『ところで──』


 彼の声に一瞬、ノイズが走って低くなる。


『君は海に行ったことがあるかい?』


 唐突な話題に、私はほんの少しだけ腰を浮かして前のめりになる。


「あるよ。近くに行ける場所があるからね」

『泳いだことは?』

「まぁ~少しは。こっちの海はあまり綺麗じゃないから。沖縄の海とかまだ綺麗なんだろうなぁ。アッシュは?」

『こっちもあるよ』

「綺麗だった?」

『──何もなかった』


 何もない、という一言に私の眉は顰める。


「どういうこと?」

『泳いだ時に沖のほうに流されたことがあってね。運よく戻って来れたんだが、その時の感想……かな?』

「それは怖いね。……どんな感じだった?」


 私はそれを聞いて、ハっとする。

 今ので彼のトラウマを刺激してしまったかもしれない──。

 好奇心から出した言葉に後悔したが、彼は気にすることなく話を続けていく。


『さっきも言ったけど、何もない感じだった。海の冷たさしかなくて、泳いでも流されるだけ。波で先も見えないしね』

「考えただけでもゾっとするな。本当に運がよかったんだね」

『そうだな。あの時に生きて帰って来れたから、君に出会えたんだ』

「なんだよ急に。恥ずかしいって」

『なぁミナト。一つ、話していいか?』

「ん? なんだい?」

『今の人類って、それと同じじゃないか?』


 私の鼻息が僅かに興奮する。

 昔から彼との話で、こういう話題が一番楽しい。


「人類と同じっていうのは海で溺れているってこと?」

『いや、漂流……かな。どっちかっていうと』

「漂流ねぇ……。遭難してるってことにもなるか」

『今、物凄い勢いで技術が進歩しているだろう? AIを中心にコンピューター関係の競争が激しくなって、エネルギーだってもっと必要になる。量子コンピューターが実用的になったせいでセキュリティも全部見直された。情報端末だって変わった。スマホが最後に使われてたのはいつだ?』

「三年ぐらい前? そう考えたら結構最近だな。でも、あれはもう化石だね」

『年が過ぎるよりも早く、これだけ世界が変わっていくのに、俺たちはその先に何があるのか知らない。倫理的な部分を国が監視してギリギリのところで止めているだけだ」

「みんなチキンレースしてるよな。境界線ボーダーラインの上で踏み外さないように踊り狂ってる。特に俺たちは」


 私は皮肉を乾いた笑いに混ぜる。


『科学も技術も、進歩は止まらないし制御もしきれていないのに法の整備は追いつかなくてずっと曖昧のまま。俺たち人間は科学技術という大海でただ流されているだけ。水平線の先は波で見えないし、海の中は暗すぎてわからない。もし世界が平行だったら、その先にあるのは下に落ちる滝だろ? どこかで陸に上がらないと、そこまで行って落ちて死ぬか、体力尽きて溺れ死ぬかのどっちかだ』

「何言ってんだ。今まで似たようなことはあったけど、結局なんとかなっただろ。俺たちは」

『それは“運がよかった”だけだ。なぁミナト、お前の研究した先にある未来──、俺たちはどうなる?』


 まるで全てを知っているかのような口ぶり。

 彼に答える前に、私はマグカップを手に取って口をつける。

 だがコーヒーはすでに飲み干し、残り香だけしかない。


「その答えはまた今度にしよう。明日は早いんだ」


 私は曖昧な返事で答えた。


『そうか。君の研究が成功していることを祈るよ』


 彼はそう言ってボイスチャットを切った。

 部屋に空しさが漂い、私は背もたれを椅子に預ける。

 その時にふと、彼のアイコンの上にマウスが置かれていた。

 表示されているのは彼が消える前のデータ表記。

 アニメ風の可愛らしいキャラクター。

 その下の出身地に私は目を疑った。


「……──USA?」


 USAという国──、それはすでにだった。

 大昔に東側の大国が西側を制圧したからだ。

 何かの間違いなのか。頭の中で疑問が拭えない。


 私はマウスを動かして自身のプロフィールから設定を確認する。

 自分の出身地を示す項目がずらりと並ぶが、やはりUSAという国はない。

 どういうことなのか、チャットで聞くために彼のアイコンを探す。

 しかし、彼のアイコンは何処にも見当たらなかった。


 「何がどうなって……」

 

 自分のボイスチャットの履歴、それ以外も探したが消えている。

 共に過ごした写真などのデータすらない。

 彼の存在を示す痕跡が全て無くなっていた。

 

 ──もしかして、全て自分の妄想だったのか?

 刹那的な出来事に、私の記憶にいる彼を疑う。

 カフェインのせいか、心臓の音が止まらない。


『お前の研究した先にある未来──、俺たちはどうなる?』

「アッシュ、君は一体……」


 私は風呂の中、彼の言葉が頭で反復し続ける。

 プロジェクト・メビウスの公表は近い。

 私が研究した無限のエネルギーは人類に何をもたらすのだろう?

 恐らく、今が人類の結末を決める分水嶺。

 だが大きな力が働いている以上、私個人でこれを止めることはできない。

 未知なる大海に流される漂流者──、私もその一人に過ぎないのだった。

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