万華鏡

千早さくら

万華鏡

 妹が逝ってから三か月が過ぎた日、僕は妹の部屋を整理した。


 父はすでに赴任先に赴き、母と僕は間もなくそれを追う予定だ。引き払うこの家の片付けも進んでいる。だが、妹の部屋だけは手つかずのままだった。この部屋に入ると、母は途端に気が抜けたようにぼうっと立ち尽くす。僕がやるしかなかった。


 とはいえ、医療器具を引き払った部屋には、さほど多くのものは残っていない。十年に満たない人生をこの部屋と病院との往復で終えてしまった妹は、欲しがるものが少なかった。それに、ぬいぐるみはすべて棺に入れ、玩具やアクセサリーキットは従姉妹たちがもらってくれて、隅に置いてあるドールハウスもすでに譲り先が決まっている。僕が片付けるのは衣類、書籍、文房具、そんなわずかな品だった。


 数時間後にはすべて分類し、紙袋や段ボール箱に詰め終えた。そして僕の手には、分類できなかった品が一つだけ残った。万華鏡だ。


 妹はその万華鏡がことさらにお気に入りだった。僕が小さい頃にお祭りで買ってきた安物だというのに、宝もののように大切にしていた。


「このキラキラした模様、本当はね、妖精さんが作ってるんだよ」


 妹がそう言っていたことがある。


「万華鏡の中にはたくさんの小さな妖精さんたちがいて、みんなでずーっと踊ってるの。だから、ほら、覗くたびに違う模様になるんだよ。妖精さんたちがね、ずっとずっと踊り続けているからなの」


 あのときの、目を輝かせて真剣に語った顔が思い浮かぶ。だが僕は、その妹になんと返したのか思い出せない。いつものように、気のない相槌しかしなかったのかもしれない。


 今になって思う。妹は、あの万華鏡の模様に、どんな世界を夢見て、どんな思いで語っていたのだろうか、と。


 僕はこの古びた万華鏡をダンボール箱に詰めることができず、自分の部屋に持って行き、机の上に置いた。


 その夜、夢を見た。


 どこまでも広がる緑の草原の中、大勢の少女たちが輪になって、楽しげに踊っていた。ステップを踏むたびに、ターンするたびに、背中に流した長い髪が揺れる。空のような青のドレス、雲のような白のドレス、太陽のようなオレンジ色のドレス、色とりどりのドレスの裾を軽やかに翻して、少女たちはただひたすらに踊る。時には速く、時には緩やかに。時には激しく、時には優しく。絶え間なく動き続ける。


 僕は、その様子をただ眺めていた。


 ふと輪の中心にいる一人の少女に目が留まった。その少女は僕に気付き、ふわりと微笑んだ。いつも見せるどこか遠慮がちな笑みではない。生き生きとした、輝くような笑顔だった。


 妹は今、僕の前で踊っている。こんなにものびのびと、楽しそうに、自由に。もう君を縛り付ける病気などないんだ。


 少女は踊り続ける。いつまでも、いつまでも。万華鏡の妖精として踊り続ける。


 目が覚めた僕は、一人、街燈がぼんやりと差し込む静かな部屋にいた。ベッドの上で、ゆっくりと半身を起こす。


 固く握りしめた両手を強く目に押し当てた。それでも、あとからあとから流れてくる涙を止めることはできなかった。


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万華鏡 千早さくら @chihaya_sakurai

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