🎀「新編 アルシノエ四世の生涯」私こそがクレオパトラよりふさわしいエジプト女王だったのよ!
🌸モンテ✿クリスト🌸
アルシノエ四世の生涯 ※2025/12/20改訂
第一章:王宮の影
アレクサンドリアの王宮は、地中海に突き出たファロス島と本土を結ぶヘプタスタディオン(七つのスタジアムの堤防)に隣接する、壮麗な建築群だった。紀元前48年、夕暮れの光が大理石の柱に映り、金色の輝きを放つ中、アルシノエ四世は王宮の回廊に立っていた。
彼女の目は、港に停泊する無数の船と、遠くにそびえるファロス島の灯台を見つめていた。15歳のプトレマイオス王家の王女は、姉クレオパトラ7世と兄プトレマイオス13世の権力争いの中で、自分の運命を模索していた。彼女はプトレマイオス12世アウレテスと、おそらくクレオパトラ5世トリュファイナの娘であり、クレオパトラ7世とは異母姉妹である可能性もあったが、彼女の野心は姉に引けを取らなかった。
アルシノエは、幼い頃から姉の影に生きてきた。クレオパトラは常に先を行き、父王の寵愛を一身に受け、ギリシャ語、ラテン語、エジプト語を自在に操り、廷臣たちを魅了した。アルシノエはそれを羨ましく思いながらも、姉の美貌と知性に圧倒される自分を憎んだ。
「なぜ姉だけが輝くのか。私だって王家の血を引いているのに」少女の心に芽生えたのは、純粋な嫉妬ではなく、女性としての渇望だった。
クレオパトラが男たちを誘惑し、権力を操る姿を見て、アルシノエは自分の中に似た衝動を感じていた。姉は体を武器にし、言葉で人心を掴む。アルシノエはまだ幼く、自身の美しさが開花する前だったが、鏡に映る自分の金色の髪と鋭い瞳に、将来の可能性を見出していた。
「私も女王になれる。姉のように、男たちを跪かせ、エジプトを私の手で統べる」それは、姉への反発と、女性としての自己実現への渇望が混じり合ったものだった。
プトレマイオス朝の女性たちは、近親婚を繰り返し、王位を争う運命にあった。アルシノエは、姉が父の死後、兄と共同統治を強いられながらも、実権を狙う姿を見て、学んでいた。クレオパトラの心理は、妹を潜在的な脅威と見なしつつ、幼さを甘く見て油断していた。
姉は、妹の野心を「子供の遊び」と思っていたが、心の奥底では、自身の美貌が衰えれば、若い妹が台頭する可能性を恐れていた。女性同士の権力争いは、血縁の絆を越え、冷徹な計算を生む。アルシノエの心は、そんな姉の影に抗う炎で燃え始めていた。
「アルシノエ様、危険です。今は静かにしていてください」侍女の声が背後から響く。だが、アルシノエ四世の心は静かではなかった。ローマの将軍ジュリアス・シーザーがアレクサンドリアに到着したばかりだった。
彼は内戦の敵であるグナエウス・ポンペイウスを追ってエジプトに来たが、到着直後にポンペイウスの首がプトレマイオス13世の側近、宦官ポティヌスと将軍アキラスによって送られてきた。ポンペイウスはペルシウムでガレー船から小舟に誘い出され、裏切られて殺害された。
この卑劣な行為にシーザーは激怒し、首を受け取るのを拒否したと王宮内で噂が広がっていた。シーザーはクレオパトラ7世を支持し、プトレマイオス13世を牽制していた。アルシノエ四世は王宮の豪華な部屋に閉じ込められ、シーザーの兵士による監視の目が彼女を縛っていた。
彼女の家庭教師であり、プトレマイオス朝の廷臣である宦官ガニュメデスが、密かに部屋に入ってきた。「殿下、時は来ました。シーザーの目は我々から離れています。今夜、王宮を脱出するのです」
彼の声は低く、決意に満ちていた。アルシノエ四世の胸は高鳴った。彼女は姉クレオパトラ7世に負けるつもりはなかった。プトレマイオス朝の王位は、彼女にもふさわしいものだった。
その夜、アルシノエ四世はガニュメデスと共に王宮の地下通路を抜け、ヘプタスタディオンの近くの港へ向かった。闇に紛れ、漁船に乗り込んだ彼女は、プトレマイオス13世の軍が待つアレクサンドリア郊外の陣営へと急いだ。彼女の心には、野心と恐怖が交錯していた。
「私は女王になる。エジプトは私の手で導かれるべきだ」
彼女は自分に言い聞かせた。
第二章:反乱の旗
アレクサンドリアの大港は、戦火に包まれていた。プトレマイオス13世の軍は、シーザーのローマ軍を港と王宮地区に閉じ込め、アレクサンドリア戦争を繰り広げていた。アルシノエ四世は郊外の陣営に到着すると、将軍アキラスと宦官ポティヌスに迎えられた。
彼らは彼女をプトレマイオス王家の象徴として担ぎ上げ、兵士たちの士気を高めた。エジプトの民衆は、クレオパトラ7世がローマと結託したことに強い反発を抱いており、アルシノエ四世は彼らの支持を得て自らを「アルシノエ四世、女王」として宣言し、プトレマイオス13世を脇に押しやった。
「我々はクレオパトラ7世とシーザーを倒す!」
アルシノエ四世は陣営の中央、ナイル河口近くの野営地で叫んだ。彼女の声は若々しくも力強く、兵士たちの心を掴んだ。ガニュメデスは彼女の側で戦略を練った。彼はシーザーの艦隊を封鎖するために大港の水路を閉じ、飲料水に塩水を混ぜる狡猾な戦術を展開した。
シーザーの軍は王宮地区に閉じ込められ、淡水不足に苦しんだが、シーザーは多孔質の石灰岩層に井戸を掘らせて対抗したが、状況は依然として厳しかった。
アルシノエ四世はガニュメデスの知恵を頼りに、軍を指揮した。彼女は戦場に立つ姿で兵士たちを鼓舞し、ファロス島の灯台を奪おうとするシーザーの攻撃を撃退した。
戦闘は激化し、ガニュメデスはファロス島の灯台をめぐる攻防でシーザーを苦しめた。シーザーは自ら兵を率いて島を奪取しようとしたが、エジプト軍の弓矢と投石機の猛攻を受け、橋頭堡から海へ追い落とされた。シーザーは紫のマントを捨て、泳いで逃れた。この勝利でアルシノエは「ファロスの守護者」と称賛された。
しかし、軍内の対立が深刻化した。アキラスはガニュメデスの権力を妬み、衝突した。
「アキラスは危険だ。彼を排除しなければ、軍はまとまらない」
ガニュメデスの進言に従い、彼女はアキラスを暗殺させた。この大胆な行動は、彼女の権威を強めたが、同時に軍内の不協和音を増幅させた。ガニュメデスを軍の第二の指揮官に任命し、アルシノエ四世は自ら最高司令官として振る舞った。
彼女はナイル河口の湿地帯で陣を張り、シーザーの補給線を断つ作戦を立てた。彼女の軍は街の通りを封鎖し、シーザーを閉じ込めたが、シーザーは海岸沿いに船を送り戦略用地の確保を試みた。
勝利の希望はつかの間だった。エジプトの将校たちはガニュメデスの戦術に失望し、シーザーと密かに交渉を始めた。彼らは平和の名目でアルシノエ四世をプトレマイオス13世と交換することを提案した。アルシノエ四世はこの裏切りを知り、激怒したが、軍の統制が崩れ始めていた。
紀元前47年、シーザーの援軍のペルガモン王ミトリダテス率いる連合軍が到着した。ナイル河口の湿地帯で決戦となった。泥濘の地形でエジプト軍は混乱し、シーザーの重装歩兵と騎兵が突撃。ローマ軍は橋を架け、側面から攻撃、エジプト軍を壊滅させた。プトレマイオス13世は逃亡中に溺死、アルシノエは落馬して捕らえられた。
アルシノエ四世は馬上で指揮を執っていたが、シーザーの軍勢に包囲され、捕らえられた。プトレマイオス13世はこの戦闘で溺死し、アルシノエ四世の夢は砕け散った。彼女の心は絶望に沈んだが、しかし、同時に姉クレオパトラ7世への憎しみが燃え上がった。
「なぜ彼女が王位を手にし、私はこうなるのか?」
第三章:囚われの王女
ナイルの戦いの後、アルシノエ四世はアレクサンドリアの王宮地区に連れ戻された。シーザーの兵士たちは、彼女を王宮の東翼、ヘプタスタディオンを望む部屋に閉じ込めた。ヘプタスタディオンは、大灯台のあるファロス島と本土の海岸を結ぶために建設された巨大な堤防でその長さからこの名が名付けられた。王宮の対岸に位置していた。
窓には鉄格子がはめられ、かつての豪華なタペストリーや金箔の装飾は剥ぎ取られ、冷たい石の床が広がっていた。幽閉とはいえ、捕縛具は付けられておらず、彼女は部屋内で自由に動き回ることができたが、厳重な監視の下で外に出ることは許されなかった。
シーザーはクレオパトラ7世とプトレマイオス13世の共同統治を宣言していたが、プトレマイオス13世の死により、クレオパトラ7世が実権を握っていた。アルシノエ四世は厳重に監視され、侍女たちも離れ、孤独な日々を送った。彼女の食事は粗末で、パンと薄いスープだけが与えられた。夜になると、兵士たちの足音と、遠くで響く地中海の波音だけが彼女を慰めた。
「これが私の運命なのか?」
アルシノエ四世は自問した。彼女の家庭教師で、宦官の廷臣として彼女の参謀役を務めたガニュメデスの行方は知れず、おそらく戦場で死んだか捕らえられたのだろう。彼女は王宮の窓から見えるファロス島の灯台を見つめ、かつての勝利の日々を思い出した。
この王宮は、アンティロドス島とロキアス半島に広がる広大な複合施設で、プトレマイオス朝の初期から拡大を繰り返し、クレオパトラ7世の治世にはギリシアとエジプトの文化が融合した華やかな空間を形成していた。
アンティロドス島自体は人工的に拡張された小島で、主な宮殿建物は長さ約90メートル、幅30メートルの矩形を基調とし、ヘレニズム建築の対称性を活かした設計だった。島の中央には約300メートルの枝状エスプラネードが延び、対岸のカエサリオン神殿を見据える儀式的なアプローチを形成した。
東側には小規模な港湾施設が設けられ、60本の赤いエジプト産花崗岩の列柱(直径1メートル、長さ7メートル)が並び、装飾された冠状の頂部が荘厳な門構えを構成していた。ロキアス半島にも同様の施設が広がり、白大理石や花崗岩のファサード、ドーリア式とイオニア式の列柱が並ぶ回廊が海風に映えた。内部は機能別にゾーニングされ、王族の私室、公的謁見室、宴会場、広大な庭園が連なっていた。
クレオパトラ7世の居室はアンティロドス島にあり、開放的な設計で、海風が吹き抜けた。内装の豪華さは、女王の文化的洗練を物語る。大理石の床には、ギリシャ神話やナイル川の風景を描いた色鮮やかなモザイクが施され、壁面には金箔や象牙が輝いた。
入口近くに安置された花崗岩像は、剃髪したエジプト司祭がオシリス・カノプス壺を抱える姿を表し、宮殿の宗教的儀式の場であったことを示す。庭園では、噴水や植栽がナイルの豊饒を模し、珍しい鳥や植物が飼育された。
宴会場では、象牙や黒檀のテーブルにエメラルドや真珠の食器が並び、香辛料の匂いが漂った。この贅沢は外交の道具であり、カエサルやアントニウスとの会談でローマの将軍たちを魅了した。
東翼の窓からは、ヘプタスタディオンが白い帯として東港を横切り、ファロス島の灯台の光が海面を照らす光景が見えた。ヘプタスタディオンは、紀元前3世紀に建設された土木の傑作で、長さ約1260メートル、幅数百メートルの堤防は、ファロス島と本土を結び、東のポルトゥス・マグヌス(大港)と西のポルトゥス・エウノストゥス(商業港)を分離した。堤防の下には二つの水路が設けられ、橋で結ばれて船舶の往来を可能にしていたが、シーザーはアレクサンドリア戦争中にこれを封鎖した。
堤防は強い西向きの潮流から港を守る防波堤であると同時に、ファロス島への水道や道路網の一部としても機能し、都市のインフラを支えた。日差しを浴びて白く輝く堤防は、まるで都市の強固な脊椎のようで、その上には物資を運ぶ荷車や、ファロス島に向かう兵士たちの姿、市民の行き交う姿が小さな点となって見えた。堤防の向こう側には、商業港に停泊する異国の商船のマストが林立し、活気あるアレクサンドリアの経済を象徴していた。
さらに、遥か彼方には、プトレマイオス朝の偉大な権威を象徴するファロス島の灯台がそびえ立っていた。その白い大理石の塔は、日中は太陽の光を反射して眩しく輝き、夜になると頂上から放たれる炎が海面を赤く照らし、遠くの船を導いていた。アルシノエ四世は、その灯台の光がクレオパトラ7世の権力を守護しているように見えたかもしれない。窓の下に広がる東港の海面は、時間帯によって様々な表情を見せ、クレオパトラ7世の豪華な船や、ローマの軍艦が停泊し、その威容を誇示していた。
本土の市街は、市場の喧騒、ギリシア風の柱廊街、エジプトのピラミッド状建造物、遠くにムセイオン(図書館)の影が浮かぶパノラマを形成した。この活気あるアレクサンドリアは、彼女の野心を嘲笑うかのように美しく、しかし敗北を象徴していた。ヘプタスタディオンは、クレオパトラ7世の権力を支える壁として反乱を封じ込め、アルシノエ四世は後にローマへ連行される運命にあった。
シーザーはクレオパトラ7世とプトレマイオス13世の共同統治を宣言していたが、プトレマイオス13世の死により、クレオパトラ7世が実権を握っていた。
アルシノエ四世は厳重に監視され、侍女たちも離れ、孤独な日々を送った。彼女の食事は粗末で、パンと薄いスープだけが与えられた。夜になると、兵士たちの足音と、遠くで響く地中海の波音だけが彼女を慰めた。
「これが私の運命なのか?」
アルシノエ四世は自問した。彼女の家庭教師で、宦官の廷臣として彼女の参謀役を務めたガニュメデスの行方は知れず、おそらく戦場で死んだか捕らえられたのだろう。彼女は王宮の窓から見えるファロス島の灯台を見つめ、かつての勝利の日々を思い出した。
シーザーは彼女をローマに連行することを決め、紀元前47年の夏、準備が始まった。アルシノエ四世はアレクサンドリアの大港からローマの商船に押し込まれた。船はコルピタ船で、貨物スペースが大部分を占め、彼女は甲板の片隅に簡易な帆布の下で過ごした。
地中海を渡る長い旅は、彼女にとって屈辱の連続だった。船倉は湿気と塩の匂いに満ち、揺れる船体が彼女の体を苛んだ。ローマ兵の監視は厳しく、彼女は簡素なパンと水を与えられ、鎖の音が絶えず響いた。
航海中、アルシノエ四世は過去を振り返った。姉クレオパトラ7世の陰謀、シーザーの介入、そして自分の野心がもたらした敗北。船は地中海を横断し、嵐に遭遇することもあった。波が甲板を洗い、彼女は帆布の下で濡れそぼった。
ローマ兵たちは彼女を嘲笑し、「エジプトの偽女王」と呼んだ。旅は数週間続き、ようやくローマのオスティア港に到着した時、アルシノエ四世の心は鋼のように硬くなっていた。
彼女は牢獄に移され、シーザーの凱旋式の準備が進められた。牢獄は暗く、湿った石壁に囲まれ、わずかな藁のベッドが彼女の休息の場だった。彼女はクレオパトラ7世がローマに滞在し、シーザーの邸宅で豪華な生活を送っていることを知り、憎しみがさらに深まった。
第四章:凱旋式の屈辱
紀元前46年、ローマのフォルムとカピトリヌスの丘を結ぶ通りは、シーザーの凱旋式で沸き立っていた。シーザーはガリア、エジプト、ポントス、アフリカの勝利を祝う四日間の大凱旋式を開催した。
エジプトの戦勝部分では、ナイル川の戦いやファロス島の勝利が再現され、群衆が通りを埋め尽くし、戦勝の将軍を讃える声が響いた。アルシノエ四世は鎖に繋がれ、戦車に引かれてローマの石畳の道を進んだ。
彼女の金色の髪は埃にまみれ、かつての王女の威厳は失われていた。彼女の前には、ファロス島の灯台の燃える人形が置かれ、彼女の過去の勝利を象徴していた。群衆の目は好奇と嘲笑に満ち、彼女を「エジプトの反逆者」として見つめたが、一部の人々は彼女の若さと美しさに同情を寄せた。
ヌミディアの王子ジュバ2世やガリアのウェルキンゲトリクス(人形)の他の捕虜と共にパレードされ、観衆の叫び声が耳を劈いた。エジプトの日では、ナイルの模型や戦利品(宝石、象牙)が運ばれ、シーザーの勝利を誇示した。
「これがシーザーの勝利か」
アルシノエ四世は唇を噛んだ。彼女の目は、観衆の中にクレオパトラ7世の姿を探したが、姉はそこにいなかった。クレオパトラ7世はシーザーの庇護の下、ローマの豪華な邸宅で生活を送っていたのだ。
アルシノエ四世の胸に、姉への憎悪が再び燃え上がった。凱旋式の伝統では、重要な捕虜は式の終わりにカピトリヌス丘で絞首刑に処されるはずだった。しかし、彼女の若さと美貌による群衆の同情とシーザーのクレオパトラとの関係を考慮した政治的判断により、アルシノエ四世は死を免れた。
シーザーは彼女をエフェソスのアルテミス神殿に追放することを決めた。この決定はローマの貴族たちを驚かせたが、シーザーの権威とクレオパトラ7世との関係を考慮したものだった。
パレードの後、アルシノエ四世は一時的にカルケルの牢獄に移され、追放の準備が整えられた。牢獄はローマのフォルム近くにあり、冷たく暗い地下室だった。彼女は藁のベッドに横たわり、復讐の誓いを立てた。
「いつか、クレオパトラ7世に報いを」
彼女の心は屈辱と憎しみで満たされていたが、生き延びる道が残されたことに一抹の安堵を感じた。
第五章:エフェソスの亡魂
エフェソスのアルテミス神殿は、イオニア地方の丘陵にそびえる壮麗な大理石の神殿だった。世界の七不思議の一つに数えられるこの神殿は、112本の柱に囲まれ、祭壇の煙が空に立ち上る聖なる場所だった。アルシノエ四世は神殿の聖域に保護され、司祭たちのもとで静かな生活を送ることになった。
彼女は「女王」として迎え入れられ、メガビゾスと呼ばれる宦官の司祭が彼女を丁重に扱った。神殿内の部屋は簡素だが清潔で、大理石の床とエーゲ海を見下ろす窓があった。
彼女は白いリネンの衣をまとい、司祭たちと共にアルテミスの儀式に参加したが、彼女の心は静かではなかった。エジプトの王位を失い、姉に裏切られたという思いが、彼女を夜ごと苛んだ。
神殿の庭で、彼女はエーゲ海を眺めながら過去を振り返った。
「私は女王だった。エジプトを導くはずだった」
彼女の声は風に消えた。司祭たちは彼女に敬意を払い、侍女を付け、祈りと瞑想の日々を送らせたが、彼女は自由ではなかった。
ローマの監視者が常に近くにおり、クレオパトラ7世の影が彼女を脅かしていた。彼女は神殿の図書館でギリシャ語の哲学や詩を読み、かつてのアレクサンドリアでの教育を思い出した。ガニュメデスから学んだ政治と戦略の知識が、彼女の心に生き続けていた。
数年が過ぎ、シーザーの死後、紀元前41年、クレオパトラ7世はマルクス・アントニウスとの同盟を固め、アルシノエ四世を潜在的な脅威と見なした。クレオパトラ7世はタソスでアントニウスと会い、豪華な宴の後、アルシノエ四世の処刑を要求した。
アントニウスはクレオパトラ7世の影響下でこの命令を受け入れ、暗殺者をエフェソスに送った。
ある夜、月光が神殿の階段に差し込む中、アルシノエ四世は神殿の奥の部屋で休息を取っていた。暗殺者たちが忍び寄り、彼女を神殿の階段に引きずり出した。彼女は抵抗したが、力及ばず、階段上で刺殺された。
血が大理石を染め、神殿の聖域を汚した。この行為はローマを震撼させ、アントニウスとクレオパトラ7世の評判を落とした。メガビゾスは赦免を求めてクレオパトラ7世に使者を送り、ようやく許された。
アルシノエ四世の最期は、誰にも知られず、歴史の片隅に埋もれた。
エピローグ
アルシノエ四世の生涯は、プトレマイオス朝の権力争いの中で輝き、そして消えた一瞬の星だった。彼女は姉クレオパトラ7世の影に隠れ、歴史の表舞台から姿を消したが、その野心と勇気は、アレクサンドリアの港とエフェソスの神殿に刻まれている。
ヘプタスタディオンと宮殿の遺構は、地震と津波により水没し、現代の水中発掘でその輪郭が蘇ったが、姉妹の確執と帝国の栄華を今に語り継ぐ。プトレマイオス朝の女性たちは、権力の渦で互いを排除し、歴史に血塗られた足跡を残した。アルシノエの悲劇は、クレオパトラの勝利の裏側として、永遠に語られるだろう。
登場人物
アルシノエ4世
プトレマイオス朝の王女、アルシノエ4世は、紀元前63年から59年頃に生まれ、紀元前48年、17歳でアレクサンドリアの王宮に立った。プトレマイオス12世アウレテスの娘で、クレオパトラ7世の異母妹か全妹とされる彼女は、姉と兄プトレマイオス13世の権力争いの中で、野心を燃やした。
ガニュメデスの助けで王宮を脱出し、郊外の陣営で自らを女王と宣言。エジプト軍を指揮し、シーザーの艦隊を封じる戦術でファロス島を防衛、「ファロスの守護者」と称賛された。アキラスを暗殺して権力を固めたが、軍内の裏切りでナイルの戦いに敗北、捕らえられる。
ローマに連行され、紀元前46年のシーザーの凱旋式で鎖に繋がれパレードされたが、群衆の同情で命を助けられ、エフェソスのアルテミス神殿に追放。神殿で静かな生活を送るが、紀元前41年、クレオパトラ7世の要請を受けたマルクス・アントニウスにより暗殺された。彼女の生涯は、権力の渦中で輝き、消えた野心の象徴であり、姉の影に隠れた勇気と悲劇を今に伝える。歴史家ディオ・カッシウスによると、彼女の処刑は神殿の聖域を汚し、ローマの評判を落としたという。
クレオパトラ7世
クレオパトラ7世は、プトレマイオス朝最後の女王で、アルシノエ4世の姉。紀元前69年に生まれ、美貌と知性で知られる。紀元前51年から兄プトレマイオス13世と共同統治を開始したが、権力争いが激化。シーザーの到着後、彼を魅了し支持を得て実権を握った。
アルシノエの反乱を脅威とみなし、シーザーに彼女の捕縛を促す。ナイルの戦い後、プトレマイオス13世の死により単独統治に近づき、シーザーとの間にカエサリオンを生む。
シーザー暗殺後、マルクス・アントニウスと同盟を結び、紀元前41年、タソスで彼にアルシノエの処刑を命じた。この冷酷な決断は、潜在的な脅威を排除するためのもので、彼女の権力維持への執着を示す。
クレオパトラの策略はエジプトを一時繁栄させたが、妹への非情さは家族内の暗い側面を露呈。紀元前30年、オクタウィアヌスに敗北し、自殺。彼女の生涯はローマとの外交と恋愛で彩られ、アルシノエの悲劇の背景として常に存在した。プルタルコスによると、彼女の魅力は会話の才にあったという。
プトレマイオス13世
プトレマイオス13世は、アルシノエ4世の兄で、プトレマイオス朝の王。紀元前62年頃生まれ、紀元前51年から姉クレオパトラ7世と共同統治。未熟な少年王は、宦官ポティヌスや将軍アキラスなどの側近に操られ、紀元前48年、シーザーの敵ポンペイウスをペルシウムで殺害。
この行為はシーザーの怒りを買い、アレクサンドリア戦争を引き起こした。アルシノエの到着後、彼女に実権を奪われ、脇役に追いやられる。シーザーにより一時解放されたが、ナイル河口の湿地帯での戦いで敗北、溺死したとされる。カッシウス・ディオによると、19歳の若さで没した彼の死は、プトレマイオス朝の内紛を象徴。ローマの介入を招き、エジプトの独立を脅かした。彼の治世は家族間の権力争いと外部勢力の影に覆われ、アルシノエの野心を間接的に助長した存在だった。
ポティヌス
ポティヌスは、プトレマイオス13世の宦官で、廷臣として権謀術数を巡らせた。プトレマイオス朝の宮廷で影響力を持ち、紀元前48年、アキラスと共にポンペイウスの殺害を画策。シーザーを喜ばせようとしたが、逆に怒りを買い戦争を誘発した。アルシノエ4世の反乱では彼女を担ぎ上げ、反クレオパトラ勢力の中心となったが、ガニュメデスとの対立で影響力を失う。
アルシノエの決断によるアキラスの排除後、さらに影が薄れ、歴史の記録から詳細な最期は不明。カッシウス・ディオの記述では、彼はシーザーにより処刑された可能性がある。ポティヌスの狡猾な策謀は一時的にプトレマイオス13世の軍を支えたが、内部の不和を増幅させ、アルシノエの計画を複雑化した。宦官として王族の教育や政治に関与した彼は、プトレマイオス朝の腐敗を体現する人物だ。
アキラス
アキラスは、プトレマイオス13世の将軍で、アルシノエ4世の反乱を軍事的に支えた武人。エジプト軍の指揮官として、紀元前48年、ポティヌスと共にポンペイウスの殺害を実行し、シーザーの敵意を招いた。アレクサンドリア戦争でアルシノエを支持、兵士たちを鼓舞したが、ガニュメデスとの権力争いで軍の統制を乱した。
ガニュメデスの進言を受けたアルシノエにより暗殺され、その死は彼女の権威を一時的に高めたが、軍内の不協和音を深めた。歴史家によると、アキラスの排除はアルシノエの決断力を示すが、結果として軍の弱体化を招いた。アキラスの武勇はエジプト軍の士気を高めたが、内部対立が彼の運命を閉ざした。プトレマイオス朝の軍事指導者として、ローマとの戦いで活躍した彼は、権力闘争の犠牲者となった。
ガニュメデス
ガニュメデスは、アルシノエ4世の家庭教師で、宦官の廷臣として彼女の参謀役を務めた。紀元前48年、アルシノエの王宮脱出を密かに助け、アレクサンドリア戦争でシーザーの艦隊を封じる巧妙な戦術を立案。大港の水路を閉鎖し、飲料水に塩水を混ぜる策でシーザーを苦しめた。ファロス島の防衛戦ではシーザーを海に追い落とし、アルシノエを「ファロスの守護者」と呼ばせた。
アキラスとの対立で彼を排除させたが、軍内の裏切りで失脚。ナイルの戦いで消息を絶ち、おそらく処刑されたとされる。カッシウス・ディオによると、ガニュメデスはシーザーにより処刑された。彼の知恵と戦略はアルシノエの反乱を支え、プトレマイオス朝の抵抗を象徴したが、運命に抗えなかった。宦官として王女の教育に携わった彼は、忠誠と智謀の体現者だ。
ジュリアス・シーザー
ジュリアス・シーザーは、ローマの将軍・政治家で、アルシノエ4世の運命を大きく左右した覇者。紀元前100年生まれ、紀元前48年、内戦の敵ポンペイウスを追ってエジプトに到着。ポンペイウスの首を受け取った際の激怒は、プトレマイオス13世の側近の誤算を露呈した。クレオパトラ7世を支持し、アルシノエの反乱を鎮圧。
アレクサンドリア戦争で彼女を捕らえ、紀元前46年の凱旋式で鎖に繋がれパレードさせたが、群衆の同情で命を助け、エフェソスのアルテミス神殿へ追放。この決定は慈悲を示す政治的判断で、クレオパトラとの関係を考慮したもの。シーザーのエジプト介入はローマの影響力を拡大し、プトレマイオス朝の終焉を予感させた。紀元前44年、暗殺されるまで、彼の野心はローマ史を変えた。
マルクス・アントニウス
マルクス・アントニウスは、ローマの将軍・政治家で、クレオパトラ7世の盟友。紀元前83年生まれ、シーザーの部下として活躍。シーザー暗殺後、三頭政治で権力を握り、紀元前41年、タソスでクレオパトラと出会い、彼女の影響下でアルシノエ4世の処刑を命じた。
この命令はエフェソスのアルテミス神殿で実行され、神聖な場所を汚したとしてローマの評判を落とした。アントニウスのクレオパトラへの忠誠は、東方支配の野心と結びつき、オクタウィアヌスとの対立を招いた。紀元前31年のアクティウムの海戦で敗北し、自殺。アルシノエの最期における役割は、彼の冷酷さと恋愛の影響力を示す。プルタルコスの伝記では、彼の豪奢な生活が描かれる。
メガビゾス
メガビゾスは、エフェソスのアルテミス神殿の宦官司祭で、アルシノエ4世を保護した人物。紀元前46年、シーザーにより追放されたアルシノエを「女王」として迎え入れ、丁重に扱い、神殿内の部屋を提供。彼女の祈りと瞑想の日々を支えたが、ローマの監視下にあった。
紀元前41年、アルシノエの暗殺後、神殿の汚れを理由にクレオパトラ7世に赦免を求め、許された。メガビゾスの役割は宗教的な聖域を守り、アルシノエに一時的な安息を与えたが、彼女の悲劇を防げなかった。彼の敬虔さと外交的対応は、アルシノエの最期に人間性を添え、歴史に残るエピソードとなった。
ミトリダテス
ミトリダテスは、ペルガモン王国の王で、シーザーの援軍として活躍。紀元前47年、ナイルの戦いに参加し、彼の軍勢がアルシノエ4世とプトレマイオス13世のエジプト軍を壊滅させた。この介入はシーザーの反撃を可能にし、アルシノエの捕縛とプトレマイオス朝の内紛終結を決定づけた。ミトリダテスの軍事力はローマのエジプト支配を強化する一歩となり、アルシノエの運命にとっては破滅の要因となった。彼はシーザーの同盟者として、アジアの王として知られる。
プトレマイオス14世
プトレマイオス14世は、アルシノエ4世の弟で、プトレマイオス朝の王。紀元前59年頃生まれ、作品では直接登場しないが、歴史的に紀元前47年、ナイルの戦い後、シーザーによりクレオパトラ7世の共同統治者に指名された。若く無力な彼は、クレオパトラの実権下で名目上の王に過ぎず、アルシノエの反乱や追放時には影響力を持たなかった。
紀元前44年頃、クレオパトラにより毒殺されたとされ、彼女の権力集中を助けた。彼の存在は、プトレマイオス朝の衰退と家族内の暗殺の伝統を背景に、アルシノエの悲劇と対比される。カッシウス・ディオによると、15歳で没した。
グナエウス・ポンペイウス
グナエウス・ポンペイウス・マグヌスは、ローマの将軍で、シーザーの政敵。紀元前106年生まれ、「大王」の異名を持ち、東方遠征で名を馳せた。紀元前48年、内戦でシーザーに敗北し、エジプトに逃亡。プトレマイオス13世の側近ポティヌスとアキラスによりペルシウムで殺害され、首がシーザーに送られた。
この卑劣な行為はシーザーの怒りを買い、アレクサンドリア戦争のきっかけとなった。ポンペイウスの死は共和派の象徴となり、アルシノエの反シーザー反乱に間接的に影響を与えた。彼の支持者たちは死後、カトーや息子たちにより派閥を維持したが、アルシノエとの直接関与はない。プルタルコスの伝記では、彼の栄光と転落が描かれる。
小カトー
マルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシスは、ローマの政治家で、ポンペイウス死後の共和派指導者。紀元前95年生まれ、厳格な道徳で知られ、シーザーの独裁に反対。ポンペイウス派の中心として、アフリカで抵抗したが、紀元前46年のタプソスの戦いで敗北、自殺。
アルシノエをシーザーから奪い返してポンペイウス派再興を目論んだ記録はないが、共和派の象徴として、アルシノエの反乱と精神的に連動する可能性がある。彼の死はシーザーの勝利を象徴し、プルタルコスにより「不屈の共和主義者」として描かれる。
クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ
クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオは、ローマの貴族で、ポンペイウス死後の支持者。紀元前95年頃生まれ、ポンペイウスの義父として派閥を支え、アフリカでシーザーに対抗。紀元前46年のタプソスの戦いで敗北、自殺。アルシノエの救出を目論んだ具体的な記録はないが、ポンペイウス派の再興を目指した人物として関連。共和派の抵抗を体現した彼の生涯は、シーザー時代の混乱を反映する。
セクストゥス・ポンペイウス
セクストゥス・ポンペイウスは、ポンペイウスの息子で、死後の派閥継承者。紀元前67年生まれ、シーザー暗殺後、海賊戦でローマを脅かし、三頭政治に対抗。アルシノエの救出に関与した記録はないが、ポンペイウス派の再興を目論み、紀元前39年のミセヌム条約で一時勢力を得た。紀元前35年、オクタウィアヌスに敗北し処刑。彼の海軍力は共和派の最後の抵抗を象徴する。
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クレオパトラの宮殿とヘプタスタディオン
※「アルシノエ四世の生涯」で、
・「アレクサンドリアの王宮は、地中海に突き出たファロス島と本土を結ぶヘプタスタディオン(七つのスタジアム長の堤防)に隣接する、壮麗な建築群だった」
・「その夜、アルシノエ4世はガニュメデスと共に王宮の地下通路を抜け、ヘプタスタディオンの近くの港へ向かった」
・「彼女を王宮の東翼、ヘプタスタディオン(大灯台のあるファロス島と本土の海岸を結ぶために建設された巨大な堤防でその長さからこの名が名付けられた。王宮の対岸に位置する)を望む部屋に閉じ込めた」
などの記述があり、クレオパトラの宮殿とヘプタスタディオンの位置関係がわかりにくいので、補足として以下を記述した。
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アレクサンドリアの栄華
クレオパトラの宮殿とヘプタスタディオン
紀元前1世紀、プトレマイオス朝の最後の女王クレオパトラ7世の治世は、地中海世界の運命を決定づけた時代である。
アレクサンドリアの東港に浮かぶアンティロドス島とロキアス半島に広がる彼女の宮殿は、王族の住まいを超えた政治・文化の中心として機能し、エジプトとギリシアの融合した華やかな世界を象徴していた。
この宮殿は、ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスとの歴史的な会談の舞台となり、背後に横たわるヘプタスタディオン—ファロス島と本土を結ぶ巨大な堤防—は、都市の生命線であり、宮殿の威容を借景とする存在だった。
東港側に位置する宮殿の東翼から望むヘプタスタディオンは、白波を切り裂く長大な帯として視界を横切り、アレクサンドリアの喧騒と調和した壮麗な光景を織りなしていた。
今日、これらの遺構は地中海の水底に沈み、考古学者の手によってその輪郭が浮かび上がるのみである。クレオパトラの宮殿とヘプタスタディオンは、彼女の野心と絶頂の時代を体現する、失われた帝国の幻影として、研究者の想像を掻き立てる。
ヘプタスタディオンは、紀元前3世紀、プトレマイオス朝の初期に建設された土木の傑作である。ギリシャ語で「七スタディア」(約1,260メートル)を意味し、幅数百メートルのこの堤防は、ファロス島と本土を結び、東のポルトゥス・マグヌス(大港)と西のポルトゥス・エウノストゥス(商業港)を分離した。
アレクサンダー大王が紀元前331年にアレクサンドリアを創設した際、技術者ディノクラテスが設計した橋が基盤となり、プトレマイオス1世または2世の時代に完成したとされる。
堤防の下には二つの水路が設けられ、橋で結ばれて船舶の往来を可能にしていたが、ユリウス・カエサルはアレクサンドリア戦争(紀元前47年)中にこれを封鎖した。
ヘプタスタディオンは、強い西向きの潮流から港を守る防波堤であると同時に、ファロス島への水道や道路網の一部としても機能し、都市のインフラを支えた。長年のシルト堆積により、現在はマンシェヤ地峡の下に埋もれているが、当時は宮殿から見える風景の要として、クレオパトラの視界を広げていた。
宮殿群は、プトレマイオス朝の初期から拡大を繰り返し、クレオパトラの治世(紀元前51年〜30年)には広大な複合体を形成していた。
アンティロドス島自体は人工的に拡張された小島で、主な宮殿建物は長さ約90メートル、幅30メートルの矩形を基調とし、ヘレニズム建築の対称性を活かした設計だった。
しかし、これは単独の建物ではなく、島全体を覆う複合施設の一部であり、王族のアパートメント、管理事務所、宴会場、広大な庭園が連なる広がりを見せていた。
島の中央には約300メートルの枝状エスプラネードが延び、対岸のカエサリオン神殿を見据える儀式的なアプローチを形成した。
東側には小規模な港湾施設が設けられ、60本の赤いエジプト産花崗岩の列柱(直径1メートル、長さ7メートル)が並び、装飾された冠状の頂部が荘厳な門構えを構成していた。
ロキアス半島にも同様の施設が広がり、白大理石や花崗岩のファサード、ドーリア式とイオニア式の列柱が並ぶ回廊が海風に映えた。宮殿は、プトレマイオス2世や3世の時代に基盤が築かれ、クレオパトラの治世ではマルクス・アントニウスのために未完の宮殿(ティモニウム)が追加された可能性がある。
これらの構造は、ギリシャ神話のモチーフとエジプトのファラオ的威厳を融合させ、セラピス神殿やイシス神殿が隣接する宗教的空間を生み出した。水中発掘で発見されたモザイク床や大理石の柱頭は、このハイブリッドな様式を裏付ける。
内部は機能別にゾーニングされ、王族の私室、公的謁見室、宴会場、庭園が連なっていた。
クレオパトラの居室はアンティロドス島にあり、ストラボンの記述によれば、島のエスプラネードに面した開放的な設計で、海風が吹き抜けた。
内装の豪華さは、女王の文化的洗練を物語る。大理石の床には、ギリシャ神話やナイル川の風景を描いた色鮮やかなモザイクが施され、壁面には金箔や象牙のインレイが輝いた。
入口近くに安置された花崗岩像は、剃髪したエジプト司祭がオシリス・カノプス壺を抱える姿を表し、宮殿の宗教的儀式の場であったことを示す。出土した遺物—赤グラナイトの柱、青銅の偶像、プトレマイオス12世のスフィンクス、カエサリオンの5メートル級花崗岩頭部像、ヘルメスの白大理石トルソ、アントニア・ミノルの大理石頭部—は、謁見室や宴会場で王族の正当性を誇示した。
庭園では、噴水や植栽がナイルの豊饒を模し、プトレマイオス8世の鳥類飼育書の伝統を引き継ぎ、珍しい鳥や植物が飼育された。宴会場では、象牙や黒檀のテーブルにエメラルドや真珠の食器が並び、香辛料の匂いが漂った。
この贅沢は外交の道具であり、カエサルやアントニウスとの会談—特に「アレクサンドリアの寄付」—でローマの将軍たちを魅了した。木材の梁の炭素年代測定から、宮殿の基盤はクレオパトラ以前の200年ほど前に遡るが、彼女の時代に内装が更新され、豪華な陶器や宝石類が加えられた痕跡が残る。
宮殿の東翼は、歴史の悲劇を刻む場所である。クレオパトラの妹アルシノエ4世は、プトレマイオス13世とともにクレオパトラに反旗を翻し、アレクサンドリア包囲戦(紀元前47年)で軍を率いたが、カエサルの策略により捕えられた。
史料によれば、彼女は東翼に幽閉され、ローマ凱旋式への移送を待った。東翼の高い窓からは、ヘプタスタディオンが白い帯として東港を横切り、ファロス島の灯台の光が海面を照らす光景が見えた。
アルシノエが鉄格子の向こうに広がる景色を眺める姿を想像してみよう。彼女の目の前には、白大理石の破片や砂利で舗装されたヘプタスタディオンが、東港の青い海を貫くように伸びていたはずだ。日差しを浴びて白く輝く堤防は、まるで都市の強固な脊椎のようだった。
その上には、物資を運ぶ荷車や、ファロス島に向かう兵士たちの姿、市民の行き交う姿が小さな点となって見えたことだろう。堤防の向こう側には、商業港であるポルトゥス・エウノストゥスに停泊する、異国の商船のマストが林立し、活気あるアレクサンドリアの経済を象徴していた。
さらに、遥か彼方には、プトレマイオス朝の偉大な権威を象徴するファロス島の灯台がそびえ立っていた。その白い大理石の塔は、日中は太陽の光を反射して眩しく輝き、夜になると頂上から放たれる炎が海面を赤く照らし、遠くの船を導いていた。
アルシノエは、その灯台の光がクレオパトラの権力を守護しているように見えたかもしれない。窓の下に広がる東港の海面は、時間帯によって様々な表情を見せ、クレオパトラの豪華な船や、ローマの軍艦が停泊し、その威容を誇示していた。
本土の市街は、市場の喧騒、ギリシア風の柱廊街、エジプトのピラミッド状建造物、遠くにムセイオン(図書館)の影が浮かぶパノラマを形成した。この活気あるアレクサンドリアは、彼女の野心を嘲笑うかのように美しく、しかし敗北を象徴していた。
ヘプタスタディオンは、クレオパトラの権力を支える壁として反乱を封じ込め、アルシノエは後にローマへ連行され、エフェソスの神殿でクレオパトラの命令により殺害された。この幽閉のエピソードは、プトレマイオス朝の内紛の縮図として歴史に残る。
クレオパトラの宮殿とヘプタスタディオンは、互いに不可分な存在だった。堤防は港を護る防波堤として宮殿を支え、宮殿は堤防を借景に権威を誇示した。
しかし、栄華は永遠ではなかった。クレオパトラの死後、宮殿はローマ帝国の影響下で衰退し、4世紀の地震と津波によりアンティロドス島は水没した。ヘプタスタディオンもシルトに埋もれ、現代のマンシェヤ地峡の下に眠る。
1990年代、フランク・ゴッディオの水中調査により、スフィンクス、柱、セティ1世の石碑など数千の遺物が発見され、宮殿と堤防の輪廓が蘇った。
この宮殿は、プトレマイオス朝の終焉とともに放棄され、地中海の底に眠りについたが、その大きさと内装の洗練は、クレオパトレアがエジプトの最後の女王として築いた多文化帝国の縮図を今に伝えている。
🎀「新編 アルシノエ四世の生涯」私こそがクレオパトラよりふさわしいエジプト女王だったのよ! 🌸モンテ✿クリスト🌸 @Sri_Lanka
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