手斧鬼 -HATCHETTER-

喫茶・グラッサ:2027/04/17 14:32 REAL|東京-新宿

 およそ12時間前――気怠い昼下がり。

 ここらでは珍しい、落ち着いた喫茶店の窓際に降り注ぐ春先の木漏れ日は、平和そのものといった感じでウンザリする。

 清潔で明るい店内。客層は自分たち含め若者メイン。浮ついた雰囲気が充満していた。

 ふと、外を眺める。窓ガラスの反射が半透明に、僕の姿を映し出す。


――見飽きた美男子がそこにいる。

 長いまつ毛に彩られた大きめな瞳。小作りで端正な顔立ち。細い首も相まって男とは思えない華奢な印象。マッシュスタイルの柔らかい黒髪が、緩やかな空調の風でサラサラと揺れる。


 ふと窓ガラス越しに、通りすがった他校の女子高生と目が合った。

 途端に彼女は感激した表情で、隣の連れの腕を引っ張る。二人とも気がついて僕に向け、どこか媚びた熱視線を向けてくる。昔ならニコリと微笑むくらいのファンサービスはしただろう。

 けれど今は、腹立たしいほどに邪魔だ。


(ボーッとしすぎた、面倒くせ)


 舌打ちしたいのを何とか堪え、外から視線を逸らす。

 汗をかいたコップに触れ、アイスアメリカーノにようやく手をつける。ストローから吸ったほんのり苦い液体。見た目以上に薄まっているのがまさにヌルい現実を象徴しているようで、本当に。


(……吐き気がする)


「なぁ風悟ふーごぉ―、お前、今日こそネビュるだろ? 」


 問いかけられ、現実に帰る。

 声を発したのは対面にいる、大柄でゆったりとした印象の茶髪の男子。

 高校のクラスメイトで中学からの腐れ縁、元バスケ部の三条さんじょう 燈哉とうや

 苛立ちを抑え、表情を作る。明るめに、意識して声のトーンを上げた。


「わり。僕は今日もパス」

「おーいぃ、何でだよ。いいじゃんネビュろうぜぇおいってばぁ」


 燈哉は残念そうに眉尻を下げた。

ネビュる。それは、今を生きる僕らにとって、生活から切っても切り離せないワード。

 今年で7年目を迎える、フルダイヴバーチャルプラットホーム「ネビュラ」への接続を指す。

 燈哉に、僕の左隣の女子が批判の声を上げた。


「トーヤさぁ。マジで空気読めないよね。フーくんの気持ち考えたことある? 」


 金の糸のように滑らかな金髪を、ポニーテールにした彼女は菊田きくた 瑠夏るか。華やかな顔立ちだが常識人、このグループではいつも「お姉さん」みたいな役回り。

 彼女は何も悪くない。けれど、虫の居どころが悪くてつい、心の中で悪態をついてしまう。


(空気読めないのはキミもだろ。蒸し返さないでよイラつくな)


 庇う発言をしてくれた彼女に、内心とは真逆の言葉を吐く。言動と裏腹、まるでゲロを飲み込んだような気分になりながら。爽やかな自分を演出した。


「いいって。僕別に、あのことはもう気にしてないってば」


――あのこと。最後にネビュった、三日前の出来事。

 やっぱり思い出したくもなくて、無理やり記憶の傷口に蓋をしようと、アメリカーノに口をつける。そこに、燈哉が無神経にも塩を塗ってくる。


「でもよぉ、マジでオレが風悟だったら毎日ネビュって稼ぎまくるけどな。お前見て、可愛い可愛い〜ってみんな喜んでんじゃん」


 今すぐ、緩いアメリカーノをその間抜け面にぶっかけてやりたくなる。

 ネビュラは好きだ。けれど、一つだけどうしても気に食わないことがある。

 現在のネビュラのバージョンでは、本人認証ができる一個人につき、一つのアバターが自動生成される。これはシステム側の未公開アルゴリズムの仕様で、一度生成されると変更できない。


 僕はその、自分自身のアバターがどうしても気に入らなかった。

 ――小柄で可愛らしい、ヒトをベースにチワワみたいな犬耳と尻尾を備えた、獣人アバター。

 最初はガッカリしたものの、そのやたらファンシーな可愛さを前向きに捉えるようにしていた。しかし、ネビュる度に自分のアバターが注目され、いつしかアイコン化され、もはやインフルエンサー扱い。リアルの容姿も「中性的で可愛い」とネット上で広まってしまい、街中で「フーくん」なんて、勝手な愛称で声をかけられることも少なくない。


 誰にも話せていないけれど、現実でストーカー被害にあった夜は、このアバターを呪いたくもなった。


(もう、うんざりだってのに。演じたくない自分を演じるのも、他人に媚びへつらうのも)


 けれど今は誰もが自分を「可愛いみんなの弟系インフルエンサー」としてしか見てくれない。周りの友人たちですら。だから、たまにはこうして毒も吐きたくなる。


「じゃあ、燈哉もなってみる? 小さくてひ弱でさ、男らしさのカケラもないアバターに」


 一瞬、空気が凍った。


「あーいや、すまん。そんなつもりじゃねぇんだけどさ」


 気まずそうな燈哉に、沈黙を保ってられなかったらしい。右隣に座る女子、真景まかげ 皐月さつきが静かに言った。


「繰り返しになりますけれど。燈哉くんは、もう少し人の心の機微を理解した方がいいと思います」


 優雅にコーヒーカップに口を付けながら、気迫のある眼光を向けつつニッコリ笑みを貼り付ける。


「危うく風悟くんより先に、このカップの中身をあなたの顔にかけてしまうところでした」


 丸眼鏡が似合う、少し地味めな大和撫子といった感じ。艶やかな黒髪と少し不健康に見えるほど白い肌。このグループの中では言葉少なだけれど、発言の一つ一つが理知的で大人びている。


「ちょ、それは流石に危ねぇだろ!? 」

「良かったですね。あなたが今火傷を負っていないのは、このコーヒーがもったいないから。あとは、風悟くんがそんな怒り方をされても、喜ばないと知っているからです」


 彼女はそう言って、僕を気遣うような視線を向けてくる。心のうちが見透かされていそうで、少し恥ずかしい。改めて、ここは自分で言っておかなければいけないと思った。


「僕なら大丈夫。ただ……参ったな。あの時のこと、やっぱ心のどこかで引きずってるのかも」


 すると瑠夏が「無理もないって」と言って応じた。

――そこで、はっきりと思い出してしまった。三日前のことを。


***


 きっかけは「ネビュラ」内でも大人気な、仮想空間内でのバトル・リアリティ・ショー「アルティメット・ブレイク」からのオファーだった。


 ショーの内容は至ってシンプル。アバター同士が、素手だけでなく、仮想空間内の刀剣類や銃器、あらゆる手段と仮想パラメータを駆使して互いを攻撃し合い、ダウンを取る。アバターの参加資格に制限はない。だっていくら傷つけられても、生身の人間には何のダメージもないからだ。


 色々な「ネビュラ」内番組で仕事のオファーを受けたことがある僕でも、正直困惑した。けれど「男らしくない」自分の現実と仮想を、少しでも塗り替えたく成ったのかもしれない。

 今思えば、ゲームプレイには一定の自信があったのも災いした。

 オファーを受けると、大勢のファンから期待と不安両方のコメントが寄せられた。


「せっかくオファーいただいたので、がんばります! 」


 割と真剣にシミュレーションもして、まぁ負けても「いい経験になるな」くらいに思っていた。けれど結果は当然のようにひどいもので、心へのダメージは想像を超えていた。

 僕のアバターは、素早さはそこそこ。そして筋力値はアベレージの半分以下。できるだけ素早く動いたつもりが、あっけなく終盤捕まって、素手でボコボコにされてしまった。仮想空間内でも、現実の肉体に及ばないだけで痛覚刺激は当然ある。


(痛かったな、あれ……)


 思い知らされてしまった。僕は、自分がなりたい理想の「強い」自分になることはできないと。それはきっと、愛玩動物みたいな立ち位置や扱いを、ずっと受け入れてしまっていたからなのかもしれない――

 だから僕は最近、自分に注がれる目線、全てに若干の嫌気がさしていると。そういうわけだった。


***


 流石に気分を害した。頭から血の気が引くのがわかる。帰ろうと、席を立とうとしたその時。

 静かな喫茶店に場違いな大きさの声が響く。


「風悟、マジでごめん!! 」


 顔を上げると、泣きそうな顔の燈哉。


「俺、またっ……マジで無神経だった! 悪かったって! 許してくれよぉ」


 心の中で、盛大なため息を吐く。燈哉はいつもそうだ。無神経で、でも悪気はなくて。友人を思う気持ちだけは本物だから。他人事、こと「親友」と呼ぶ僕のことになると、プライドさえ投げ出せるヤツなのだ。根っから善性でできていて、代わりに他者軸が欠如している。

――で、そんな友人を心から嫌いになれないのも確かだった。


 けれど、今回のことは流石にライン超えだ。黙って、冷たい目線を向けていると。


「た、頼むよぉ、許してくれって! 今度付き合ってやるから! 風悟が好きな「デッドリー・ピエロ」のイベント! 」


 オフの日の僕の行きつけ、ネビュラで活躍するホラークリエイターのイベント。ホラー作品のキャラを借りて開催する作中さながらの展示イベントや、アトラクションを主催している。

 とりあえず、もう少し冷たくしてみる。


「付き合ってやるって何だよ。行ったところでつまんなさそうにするくせに」


 一度イベントに誘った時、燈哉が退屈のあまりにネビュラ内で寝落ちしたことを思い出す。当然本人にも心当たりがあって、顔を僕よりも青くした。


「あッ、ごめ、違! あん時は寝不足だったんだって! 」


 足りてないフォローを、瑠夏が猫のようにニヤつきながら肩代わりする。


「上から目線の「してやる」発言は言い訳なしぃ? 」

「だぁ!? 瑠夏は黙ってろって!? 」

「燈哉くん、謝罪もいいですがそろそろ黙った方が」


 そこで燈哉はようやく、店内中の注目の的になっていることに気づき、気まずそうに黙り込んだ。

 そんな様子に、僕は思わず。


「っはは。バカじゃねぇの! 」


 ひとしきり、燈哉と同じくらい大声で笑って、全てを水に流してやることにした。


「じゃあ今度と言わず今日の21時。4人でネビュろ。ホラー好きの僕の悪趣味に付き合ってよ」


 そう言って笑いかけると、三人ともどこかホッとした顔をしてくれた。

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ファントム・ファング・フーゴ 吾妻 峻 @Zumashun

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