廊下が一本多い

にとはるいち

廊下が一本多い

 その日、マンションの帰り道で違和感に気づいた。


 エレベーターを降りて左に曲がる。いつも通りの動線だ。けれど、視界の先にあるはずのないものが見えた。


 ――廊下が、一本多い。


 まっすぐ伸びる廊下が、T字路のように分岐している。

 右は見慣れた住戸番号、左は……見覚えがない。照明は同じ色、床材も同じ。雑に言えば「自然すぎる」。

 誰かが引っ越してきたのだろうか。工事の記憶はないが、見落としただけかもしれない。


 翌日、管理人に聞いてみた。


「うちの階、廊下って二本ありましたっけ?」


 管理人は一瞬きょとんとし、それから首をかしげた。


「何言ってるんですか。前から二本ありましたよ?」

「いえ、昨日――」

「疲れてるんですよ」


 そう言って話を切られた。


 その日の夜、隣人がいなくなった。警察も来たが、事件性はないという。理由は単純だった。


「最初から、この部屋は空室ですから」


 皆がそう言った。


 三日目。増えた廊下に、人が入っていくのを見た。若い男性だった。

 私は声をかけた。


「あの、すみません……! この廊下、前からありましたっけ?」


 彼は振り返って言った。


「前からありましたよ」


 そういうと彼は、突き当りの非常口から出て行ってしまった。

 戻ってくることはなかった。


 四日目。廊下のことを話題に出すと、住人たちは微妙に視線を逸らすようになった。


「ありますよ、廊下」

「何、いってるんですか?」


 言い方が、変だった。


 五日目。私は気づいた。


 皆、あの廊下の説明がやけに上手いのだ。


「照明? 途中に三つありますよ。二つ目だけ、少しチカチカしてて」

「床のシミなら、角から三枚目のタイルです。前からあったでしょう」

「突き当たりは非常口ですけど。重いですから開けにくいですよ」


 誰も同じ言い回しはしないのに、内容は不自然なほど一致している。


 試しに聞いてみた。


「行ったこと、あるんですか?」


 一瞬、沈黙が落ちる。


「……行かなくても分かりますよ」

「廊下なんて、見れば分かるでしょう」

「前から、そこにあるんですから」


 皆、自分が行ったとは言わない。


 なのに、長さも、幅も、天井の低さも、まるで測ったように説明できる。


 まるで――

 誰かに教えられた説明を、思い出しているだけみたいだった。


 六日目。私の部屋の前に、見知らぬ住戸番号が増えていた。


 七日目。管理人が言った。


「最近、廊下のことで苦情が多くて。分かりにくいですから、案内役を置こうと思うんです」

「案内役?」

「前から住んでる人が一番いいでしょう」


 八日目。私は増えた廊下に立っていた。


 住人が一人、こちらを不安そうに見ている。


「……この廊下、以前までありませんでしたよね?」


 私は自然に答えた。


「何言ってるんですか。前からありましたよ」


 その瞬間、背後で、さらにもう一本、廊下が伸びる音がした。

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