第2章 第12話 偽りの昼食と、水面下の胎動
リハビリが始まって数週間が経っていた。
義肢の重さは相変わらず右腕と左脚にまとわりついている。だが、完全な異物だったそれは、街で生活するうえでは少しずつ「扱える重さ」に変わりつつあった。
歩幅を測る。
重心をずらす。
無意識にやっていた動作を、意識の上で一つずつ確認する日々。
ギユウは、自分が街に「戻ってきている」感覚を、遅れて実感していた。
ある晴れた昼下がり。
ギユウはイロハを連れ、ギルド近くの定食屋の暖簾をくぐった。昼時の店内は、油と出汁の匂い、皿の触れ合う音、人の話し声が混ざり合い、どこにでもある日常の空気に満ちている。
アルファは、ギユウとイロハにだけ視認できる青い光のホログラムとして、いつもの位置にいた。
ギユウのすぐ傍ら。視界の端に、確かな存在感だけを残して寄り添っている。
「外で食べるのは二回目か。緊張しとる?」
ギユウは、席につきながら小声で尋ねた。
イロハは椅子に座り、首を傾ける。木製の顔に備わった表情筋が、ほんのわずかに動いた。
「これは人の習慣。学ぶ必要があります」
その言葉に、ギユウは一瞬、胸の奥が締め付けられる感覚を覚えた。
彼女が今ここにいる理由を、彼女自身が理解しているという事実。
ホムンクルスとしてではなく、親戚の従妹として振る舞う役割を、彼女は自覚していた。
「まあ、そう硬いこと言わんと。飯は楽しんだ方が身になるで」
そう言った瞬間、アルファの声が静かに重なった。
『感情がある方が学習効率が良いです。楽しませてあげてくださいね』
「……お前、飯食うとるわけやないのに、理屈っぽいな」
ギユウは呆れたように笑った。
その軽口が、自分自身を落ち着かせるためのものだと、彼は自覚していた。
注文を済ませる。
イロハに勧められた「餡かけ焼麺」。
ほどなくして、湯気を立てる皿が運ばれてくる。
その湯気が、イロハの視界を揺らした。
イロハは箸を手に取り、ぎこちなく構える。
その動きは、以前ギユウが教えた持ち方を、忠実すぎるほど再現していた。だが力の入り方が均一すぎる。人間が無意識に行う微調整がない。
彼女は麺を一本持ち上げ、じっと観察した。
「これは、小麦とタンパク質。栄養価が高い」
分析する声。
その瞬間、アルファが静かに制した。
『イロハ。その分析は食事の楽しみを損ないます。感覚を優先してください』
イロハは数秒、静止した。
そして無表情のまま、麺を口に運ぶ。
咀嚼。
数秒後、木製の顔に、確かに「変化」が現れた。
ごく僅かな、しかしはっきりとした満足の表情。
「理解しました。これは……心地よい、です」
その言葉に、ギユウは思わず苦笑した。
そのときだった。
隣の席から、職人風の男が声をかけてくる。
「美味しそうに食うな、従妹さん」
ギユウは反射的に軽く会釈し、イロハに視線を戻す。
イロハは、他人の視線を感じ取ると、訓練されたように静かに会釈を返した。
わずかなズレ。
だが、それに気づく者はいない。
他者から見れば、ただの内気な若い女性だ。
『儀右。この偽装された日常は、非常に高い防御機能を持っています』
アルファの声は、どこか満足げだった。
『これを維持するため、今後もイロハの外部環境との接触を推奨します』
偽りの日常。
ギユウは、その言葉を胸の中で反芻する。
それは彼に、重い秘密を背負わせる。
だが同時に、イロハの成長という、確かな手応えを与えていた。
――同じ頃。
街の明かりから遠く離れた場所。
厳重に管理された新しい研究所の最奥。
そこに、あの黒い巨大カラクリ箱は鎮座していた。
鉄の檻のような空間に囲まれ、沈黙を保っている。
だが、その内部では、古代の意識の残滓――タタラ博士が、次の段階へ進むべく動き始めていた。
箱の内部、あるいはすぐ傍の影から。
非常に小さな、木と金属でできた動物が姿を現す。
古いゼンマイがほどけるような、かすかな音。
ネズミや鳥に似たその小型カラクリ動物たちは、タタラ博士の思考の欠片を分散して保持していた。
博士の意識は、肉体として復活する道を選ばなかった。
分割されたデータとして世界に溶け込み、再構築を始めていた。
夜ごと。
小さなカラクリ動物たちは、研究所の厳重な監視をすり抜け、姿を消す。
彼らの行き先は、研究所の遥か地下。
さらにその先、街の地下に広がる遺跡の深奥。
そこには、かつて博士の同胞であった、**超巨大古代カラクリPC「エコー」**の本体が眠っている。
地中を。
水路を。
遺跡の墨脈すらすり抜けながら。
形を変え、存在を薄め、ただひたすらに。
巨大意識体エコーの眠る核へと。
タタラ博士の欠片たちは、ゆっくりと、しかし確実に近づきつつあった。
カラクリ古代遺跡探検記 mone @omone
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