第2章 第11話 外の空気と、新しい装備と、再会
翌朝、ギユウは工房の扉の前に立ち、ほんの一拍、呼吸を整えてから取っ手に手をかけた。
義肢の右腕に力を伝える。その感覚は相変わらず鈍く、しかし昨日よりはわずかに応答が早い。扉を開くという、かつて無意識でできた行為が、今は一つの確認作業になっている。
扉が開く。
外へ出る準備を整えたイロハが、すでに立っていた。
厚手のシャツに、足元まで届く長いスカート。木の躯体を完全に覆うための選択だ。動くたびに、内部の古代木がきしむ音は、衣服と歩調に吸い込まれてほとんど聞こえない。人の耳には、まず届かないだろう。
アルファは、二人にだけ視認できる青い光のホログラムとして存在していた。明確な輪郭を持たず、しかし確かな位置を保ち、ギユウとイロハの影に寄り添っている。まるで、二人の背後に張り付いたもう一つの意識のようだった。
三人は、初めて外へ出る。
工房の外に一歩踏み出した瞬間、街の光と喧騒、乾いた空気の匂いが一気に押し寄せる。
ギユウは慣れたはずのそれらを、今日は少し違う距離感で感じ取っていた。右腕の義肢と左足の固定具が、地面と空間との接点を微妙にずらしている。
イロハは、両手をぎこちなく体の横に添え、歩き出した。
一歩ごとに視線が揺れ、まるで足裏から伝わる感触と、周囲の情報を同時に処理しきれずにいるようだった。呼吸の間隔すら探っているように見え、ギユウは無意識のうちに歩幅を落とした。
街の人々は、ギユウの隣を歩くイロハを、特別に見ることはなかった。
深く観察する者はいない。視線は滑るように通り過ぎ、彼女を「普通の若い女性」として受け取っていく。
むしろ注目を集めていたのは、大学生ながら義肢を纏うギユウの方だった。驚き、戸惑い、あるいは気遣い。その視線を、彼はもう慣れたものとして受け流す。
ギルドへ向かう途中の広場で、二人の見慣れた顔が視界に入った。
以前、遺跡調査で共に行動したハルキとミオだ。地面に広げた布の上で、発掘道具の手入れをしているらしい。
「よお、ギユウ! 生きてたか!」
ハルキの声が先に飛んできた。
続いてミオが顔を上げ、言葉を発しかけて止まる。
「動かないで。そこに振動を……じゃなくて、ギユウ、その腕と足は」
一瞬、冷静さを失った視線が、義肢に釘付けになる。
だが二人の反応は、驚愕よりも先に、明確な心配だった。
「ダイスケさんの応急処置だ。当分はこれで行く」
ギユウは、できるだけ軽く言った。笑顔も添える。
ハルキは安堵したように息を吐き、すぐにイロハの存在に気づいた。
「お、お隣さんは?」
ミオもイロハに視線を移し、口元に微かな笑みを浮かべる。
「儀右、綺麗な子連れてるやん。遠縁の親戚、なんて話は聞いてないけど」
ギユウの耳まで、一気に血が上った。
用意していたはずの言葉が、喉で引っかかる。
「お、おるんや! 遠い親戚の、イロハだ。ちょっと体調崩しててな、しばらく俺が面倒見とる」
言い切る。
それが嘘だと悟らせないために、視線を逸らさず、余計な説明を加えない。
イロハは二人の視線を正面から受け、ぎこちない笑顔を浮かべた。
その笑顔はまだ完成されていない。ほんの僅かな遅れと硬さが、見る者に新鮮な違和感を残す。
そのまま三人は、探検道具専門店──ユナの道具店へ向かった。
ギユウの新しい義肢に合う装備と、イロハの携行用品が必要だった。
「おう、ド阿呆が。思ったより早く治ったやないか」
サバサバした声。
ユナは義肢を一瞥しただけで、すぐに視線をイロハへ移した。
「あんたが新しい従妹ちゃんかい? 目がえらい印象的やな」
その観察眼に、ギユウの背中が一瞬強張る。
木製メガネと、その奥に宿る瞳の光を、見抜かれた気がした。
ユナは棚の奥から、頑丈そうな用品を次々と積み上げていく。
義肢用の強化ベルト、防水性の高い特殊なカバン、イロハ用の携帯工具セット。
ギユウの影に潜むアルファが、即座に解析を始める。
『このベルトの引張強度は基準値の20%増し。ただし価格は30%増し』
イロハは、ユナが「これ可愛いだろ」と勧める小さな革手袋を試着するたび、ぎこちない笑顔を浮かべた。その反応が、ユナを妙に喜ばせる。
そして、最終的な値札を見たギユウは、思わず白目になりかけた。
「た、高すぎる! こんなん、当面のアパートの家賃が払えなくなるぞ!」
ユナは豪快に笑い、背中を叩く。
「なんや、あんたに合った最高性能のツールを選んでやったんや。心配すんな」
「ほな分割でええわ。壊れんやつにしといたる。命ん方が高いで」
義肢の重みより先に、ユナの心意気が胸に来た。
新しい生活は、こうして少しずつ、周囲の人々の優しさによって編み上げられていく。
ギユウは、その事実を、静かに噛み締めていた。
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