「占い師たちは今日も善意で人を殺す」
マスターボヌール
第1話「パン屋の噂
商店街の一角にある小さなパン屋「マリエ」。
店主の中村美穂は、今朝も印刷機の前にいた。紙には「品質改善のお知らせ」という文字。その下に、薄く二重に印刷された「申し訳ございません」。美穂は、自分が何を謝っているのか分からなかった。レシピは変えていない。材料も変えていない。接客だって、いつも通りだ。だが、客足は確実に減っている。
美穂は、商店街の占い館「ミライ屋」の扉を叩いた。
店内には、3人の占い師がいた。
葛城凛。30代、タロット占い師。冷静で短く切る。比喩を避け、因果だけ話す。
橋本健太。20代、手相占い師。軽口が現実に影響を与えることを自覚していない。
杉浦ゆかり。60代、易占い師。穏やかに確定させる。語尾は柔らかく、意味は厳しい。
美穂が事情を話すと、凛は言った。
「客足が減った理由。噂」
「噂...ですか?」
「この商店街は狭い。誰かが言えば、皆それを信じる」
健太が軽く言う。
「つーか、パンの写真、SNSに上げてる? 最近のって映えないとダメじゃん」
美穂は困惑する。
「写真...?」
ゆかりがゆっくりと口を開く。
「調べましょう。噂の発信源を」
3人の占い師は、商店街を回り始めた。
花屋のおばさんは言った。
「ああ、聞いた聞いた。マリエのパン、最近ちょっとね」
「どこが『ちょっと』なんですか?」
「えーっと...香りが弱くなった気がする」
「誰から聞いたんですか?」
「八百屋のおじさんかな」
凛が花屋の店主に視線を向ける。
「あなたも、誰かの噂で売上が落ちたことがあるでしょう?」
店主の顔が強張る。
「...それは、昔の話です」
「なら分かるはず。噂は止まらない」
店主は黙り込む。凛はその沈黙を、証言として記憶する。
八百屋のおじさんは言った。
「俺は魚屋の奥さんから聞いたよ。小麦の値段がね...って話だった」
健太が笑う。
「小麦の値段? 関係なくね?」
魚屋の奥さんは言った。
「私? ああ、喫茶店のマスターが言ってたわ。昨日のパン、写真が暗くてね、って」
健太が興味を示す。
「やっぱ写真か。今どきSNS映えしないと厳しいよな」
奥さんが頷く。
「そうそう。見た目って大事よね」
健太の言葉が、そのまま新しい噂の枝葉になる。奥さんの後ろで、別の客がスマホにメモを打っている。
喫茶店のマスターは言った。
「俺が言ったんじゃない。常連の田中さんが話してたのを聞いただけだ」
最終的に、噂の発信源にたどり着いた。
田中ハナ。70代、商店街の常連客。ハナは、マリエの常連だった。
凛が問う。
「あなたが『マリエの味が落ちた』と言ったんですか?」
ハナは驚いた顔をする。
「え? 私、そんなこと言ってないわよ」
「じゃあ、何て言ったんですか?」
「ただ...美穂さん、最近疲れてるみたいだから心配だって話しただけよ」
凛が目を細める。
「それを聞いた人が、『疲れてる=味が落ちてる』と解釈した」
「そんな...! 私、美穂さんのこと心配してただけなのに」
ハナは本気で困惑している。そして、こう続けた。
「心配って、誰かが言わなきゃ届かないでしょう?」
ハナの声には、使命感があった。
凛は美穂に真相を伝えた。
「噂の発信源は田中さん。悪意はない。ただの心配が、伝言で歪んだ」
美穂はホッとした表情を見せる。
「じゃあ、それを皆に説明すれば...」
ゆかりが穏やかに言う。
「噂は"流れ"だから、抗うほど濁るわ」
美穂の顔が青ざめる。
「じゃあ、どうすれば...」
凛が低く言う。
「訂正は、噂にとって栄養になる」
数日後。マリエの店内には、廃棄用の袋が積まれている。美咲は、袋口を結びながら、窓の外を見た。田中ハナが、店の前で立ち止まる。ハナが店内に入ってくる。
「美穂さん、大丈夫? みんな心配してるのよ」
美穂は言葉を失う。ハナは誇らしげに続ける。
「私、気づきを"みんな"に回しておいたの。あなたのためにね」
美穂は、袋口を結びながら、癖で言った。
「...ありがとうございます」
ハナは満足げに頷き、店を出た。ガラス戸に貼られた"品質改善のお知らせ"は、昼の光で二重印刷の『申し訳ございません』だけが浮いて見えた。
ミライ屋の窓際。凛がコーヒーを飲みながら、窓の外を眺める。健太が言う。
「結局、誰も悪くないってやつか」
ゆかりがゆっくりと答える。
「悪くないからこそ、残酷なのよ」
窓の外では、田中ハナが笑顔で商店街を歩いている。健太が軽口を叩く。
「でも、あのおばさん、けっこういい人じゃん」
凛が小さく笑う。
「ええ、イイ人ね」
店内には、小麦粉の匂いがかすかに残っている。外で、善意が明るい声で『配慮って大事よね』と笑っていた。
【終】
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「占い師たちは今日も善意で人を殺す」 マスターボヌール @bonuruoboro
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