☕ 自販機ランチャー:最終コードの騎士
Tom Eny
☕ 自販機ランチャー:最終コードの騎士
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Ⅰ. 贖罪者のサイバーコクピット
真夜中の東京、老朽化した雑居ビルの最上階。神崎カナタの部屋は、窓を黒い遮光シートで完全に覆われ、都市の喧騒から切り離されていた。室内を支配するのは、高性能サーバーの低い唸りと、キーボードを叩く乾いた音だけ。ここは、彼にとって**「サイバーコクピット」**であり、追跡不可能な暗号資産で賄われた、彼の孤独な監視生活の砦だ。
デスクの隅には、彼が飲まない缶コーヒーが冷たいまま置かれている。彼の渇きを癒すのは、水と、過剰に摂取するカフェイン錠剤だけだった。
彼の動機は、崇高な使命ではない。贖罪だ。
二年半前、伊達宗一のテロ計画が明るみに出た際、神崎がかつて設計に加わった脆弱な通信プロトコルが利用され、多くの犠牲者を出した。その責任、その**「原罪」**が、彼を孤独な監視者たらしめている。全国の自販機ネットワーク――「VENDIX」の制御を掌握し、それを巨大な防衛網に変えたのは、二度と過ちを繰り返さないという、彼自身の誓いのためだった。
神崎は視線をモニターに固定する。日本地図上には、無数の自販機アイコンが、夜の帳の中で頼もしく点滅している。
《自販機迎撃システム:待機モード(監視権限:カンザキ)》 神崎は、自分の心臓が、サーバーと同じ一定のリズムを刻んでいるのを感じていた。
Ⅱ. 在庫切れという名の防衛線
深夜2時30分。定時パケットが来るはずの時間から、すでに30分が経過していた。
「ノイズか…それとも、前奏か。」
超一流のハッカーである神崎の直感は、この小さなデジタルな"遅延"が、静かな警告であることを告げていた。彼のパラノイアは、警戒レベルを最大に引き上げる。
直後、システムに赤いアラートが点滅した。場所は北海道、廃港に近い倉庫街。
「VENDIX」のAI顔認識システムが、過去の伊達宗一の協力者リストに登録された人物を検知したのだ。画面に映る男は、迷いのない手つきで隣接する自販機に不審な通信デバイスを接触させようとしている。
神崎の視覚は、自販機のカメラを通して得られる、雪と錆の匂いさえ感じさせるような鮮明な映像に切り替わった。男がターゲットにしているのは、自販機の**「在庫チェック」パケット**に紛れてシステムを再起動させる、最も古く、最も巧妙な侵入ルートだ。
「また、お前たちか…」神崎は舌打ちをする。
彼は即座に、ターゲットノードのOSに潜り込み、コマンドを実行する。
> Node 0477-Hokkaido/WENDIX: Status update Force-Error INV-NULL
リモートで流されたのは、無害なエラーメッセージだった。
「缶コーヒー在庫切れ」
男は苛立ち、自販機の正面パネルを、鈍い音を立てて叩いた。その苛立ちこそが、神崎の望む「日常の反応」だ。男は目的を果たせず、その場に通信データを残して立ち去る。
神崎は、男が立ち去った後の静寂の中で、残されたデータを瞬時に解析した。発信源はアジアの大国のハッカー集団。彼らが執拗にVENDIXを狙うのは、このシステムが単なる自販機ではなく、彼の倫理的な決断一つで、日本の防衛システムにもなり得るという**「冷たい真実」**を知っているからだ。
小さな勝利の後、神崎はキーボードの冷たいプラスチックから手を離し、視線を部屋の隅の空き缶に向けた。彼が守った「普通の日常」の唯一の物理的な象徴。錆びた缶コーヒーの空き缶のざらついた感触を思い出す。
Ⅲ. 最終コードの書き込み
翌日の昼。神崎は、メンテナンス業者を装った偽造IDとユニフォームで、郊外のサービスエリアに立ち寄った。
デジタルな防衛線は完璧だ。だが、彼の心が、彼の完璧なシステムを信じ切れていなかった。もし、自分が間違って自爆コードを作動させたら? もし、システムが暴走し、自分が止めることができなくなったら?
この重責は、もはや一人のハッカーが背負えるものではなかった。
彼は人目につかないように、システムへの最終的なアクセスとパッチのインストールを終えた。そして、目の前に立つVENDIXを見上げる。
「いらっしゃいませ!」
彼の頭上では、AIが明るい声で通行人に話しかけている。子供たちが、何の疑いもなく、ジュースを選んでいる。この無害な光景を前に、神崎は覚悟を決めた。
彼は、最後の、そして最も重要なコードを、VENDIXの基幹OSに直接書き込んだ。それは、誰にも予測できない、究極の抑止力だった。
> System Root Access: Write Final Protocol / If MALICIOUS-AI-DETECTED Then INITIATE-SELF-DESTRUCT-ALL
《システム悪意検出時: 即時自己破壊 》
自爆コードの書き込みは、彼自身の命綱を切る行為だった。これで、彼のシステムが悪意に染まることはない。しかし、彼の孤独な戦いは、より絶対的なものになった。
神崎は、自販機から一歩離れ、空を見上げた。黒い遮光シートで覆われた部屋から解放された視界に、穏やかな午後の空が広がる。
彼がその場を去ろうとした、その時。
カチャン。
背後で、彼が守った無関心な日常の音がした。若い女性が缶コーヒーを購入し、温かい缶を手に、笑顔で去っていく。その、缶コーヒーの微かな甘い香りが、一瞬だけ神崎の鼻をかすめた。
神崎カナタは、誰にも知られることなく、誰にも頼らず、ただひたすらに、日常に隠された国の運命を監視し続ける。
彼は、**最後の防衛線(イージス)**となった。
☕ 自販機ランチャー:最終コードの騎士 Tom Eny @tom_eny
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