死に戻ったので憎い奴らを食べちゃいます

重田いの

死に戻ったので憎い奴らを食べちゃいます

※カニバリズム描写あります



「わーっ」


 思い出した!

 私の名はジュルメーヌ・ド・ラシーヌ・アシュクロフト。


「この人生二回目だあーっ!」


 そんで中庭に突っ伏した。

 父とその愛人と彼らの娘が、化け物を見る目で私を見て固まった。


 つまりはこういうことである。

 私、ジュルメーヌはアシュクロフト伯爵家の一人娘。――少なくとも戸籍上は。

 母が流行り病で亡くなり、父はその直後に若い愛人を屋敷に連れてきた。今日がその初対面の日。


 屋敷、中庭、さんさんと降り注ぐ日光、周りをぐるりと取り囲む薔薇の垣根。


 父、アシュクロフト伯爵。

 父の愛人、エレナ。

 そして彼らの間に生まれた異母妹、セリーナ。


「あちゃあ」


 ガゼボからはみ出し、土を握りしめ私は呻く。いや、でも。

 ま、まだどうにかできるはずだから……。


「こ、この子はいったいなんなの? 頭がおかしいの?」

 わりと本気で怯えているらしいエレナの声。『前』のときはこんな声を聞いたこともなかった。


 父は私には冷淡だが、愛人エレナとその娘には甘い。宥める声がしたあと、彼は私の腕を掴んで身体を引き上げようとした。持ちあがらないのに焦った様子で、罵声を浴びせる。

「ジュルメーヌ、お前っ。くだらん嫉妬をするな。暴れれば思い通りになるとでも思ったか? お前の母親があれほど言っていただろうが。お前は大声を出したり走ったり、してはならんのだ。いいか……」


「あー、父上」

 私は、はあい、と手を上げた。足の力だけで立ち上がると、彼のつむじが見えるほどになる。愛人エレナと、異母妹セリーナがわずかに怯んだのがわかる。


 ふむ。……いけるか?


 私の中には記憶がある。――熱い。という記憶である。

 皮膚が焼け焦げる臭いと、耳をつんざく群衆の嘲笑。縛られた血まみれの両手。髪の毛が燃えた感触。恐怖。涙。


 おそらく私は一度死んだ。処刑された。火刑だった。

 エレナとセリーナに嵌められ、魔女として告発されたのだ。


 今でも、使用人たちがちょくちょく遠目に様子見をしているのがわかる。父の愛人母子への愛情は本物で、父が母を疎んじ、その娘である私を愛していないのは明白。

 屋敷の中での力関係は、すぐ誰の目にも明らかになるだろう。


 だから私が告発されたとき、味方になってくれる人は誰もいなかったのだ。

 貴族の女は、一人気ままに街に出ることもできない。唯一許されるのは礼拝のときだけ。懺悔と告解の日々を送り、やがて父親の言う通りの結婚をするためだけの存在である。


 とくに私は、人より並外れた懺悔が必要だとされてきた。

 それは私を見たことのあるすべての人にとって自明の理だった。


 すう。息を吸い込む。ちょうどそのとき、愛人エレナが大声を上げた。

「あなたっ。あたし、可愛いセリーナにこんな子を近づけたくないわ。いくら半分お姉様だからって。怖いもの!」


 濃い香水の香りを漂わせ、勝ち誇ったように顎を上げる。母親の後ろに隠れるようにして、光を反射する金髪の美少女――異母妹セリーナが笑みを浮かべて顔を覗かせる。


「パパ、あたしも同じ意見だわ。お姉さま、やっぱり呪われてるのよ。獣人族の呪いよ。忌まわしい! いくら王太子殿下とのご婚約の噂があるからだって、許されることじゃないわ。閉じ込めちゃってよ、パパ!」

 甘い声音に残酷な真意が宿っていた。


 私は呆れた。しかし、エレナたちがある意味賢い人たちであったことは確かだ。父に取り入って伯爵家の実権を握ったエレナ、私にいじめられたと虚言を吐くセリーナ。二人は手に手を取り合って私を加害者に、自分たちを被害者にした。

 そのやり口は本当に完璧で、私はいにしえの呪いに食われた魔物ということになった。周囲は彼女らを信頼し、父を妄信した。やがて、私の居場所はなくなった。


 そして起こったのが、あの火刑である。

 しみじみと、私はエレナを見つめた。


「なっ、何よ? いやあっ、睨んでくるわ。あなたっ」

「いや、ほんとに。……すごいなあ、と思いますよ」


 彼女たちこそが、私を陥れた張本人だ。

 でも、すごいなあと思うことはできる。


 私はポン、と父の肩に手を置いた。

 彼は鬱陶しそうに眉を顰め、私の手を振り払おうとする。が、できない。そうとも。我々と彼らの差はそういうものだ。


「何をするのだ、離せっ、うおっ」

「ご存知の通り、我がアシュクロフト伯爵家は獣人族の末裔です。もちろん王国と王陛下に忠誠を誓っておりますし、我が母の入り婿となってくださった父上のことは尊敬しております。そもそも、今の時代、獣人族の外見的特徴なんてほとんど残っていないわけですからねえ。我々に残されたのは、」

「は、離せっ、離さんかああああああッ、うおおおおっ。ギャアアアア!」

「この握力と、膂力くらいでございます。うんうん」


 ばぎごぎっ。

 私は父の左肩の骨を握りつぶした。上腕骨の、ちょうど握りやすくなっているところ。いい感じに手のひらに合うので、やりやすかった。


「どんな神か魔物かが私にこの記憶を――『前』のことを知らせてくれたんだかわかりませんが。この世にほとんど残っていない獣人族の誇りにかけて、嵌められる前にその運命、回避させていただきたく」

 ぺこり。私はお辞儀した。


 そして、崩れ落ちた父の顎を蹴り飛ばした。

 顎の骨が粉砕され、べごおっと鼻にめり込んだ。歯が四方八方に飛び散る。血が噴水のように溢れて飛ぶ。


「イヤッ、イキャアアアアアアアアアア!」

 エレナがカン高い絶叫を放った。セリーナが尻もちをついておしっこを漏らした。


 私は逃げようとする女の後ろ髪を掴み、軽く腕を振った。

「おぎゃあああああああああ」

 べりっ、と金髪が頭皮から剥がれた。あ、頭皮も剥がれた。血がダラダラ流れ出す。

 痛みのあまり動けなくなったようで、エレナはへたり込んでしまった。


 セリーナはしゃかしゃか地面をかいて、少しでも後ろに下がろうとしている。淡い喘鳴さえ綺麗な女の子である。

「ヒッ、ヒイッ。ヒイッ。ヒイッ」

「喘いでいますねえ。いいですよ、大人しくしていればあなたに危害は加えません。大人たちが悪いのですから。ただし逃げようとしたり――」

「ヒイッ、ヒキャアアアアアアアアアア!」


「やめてくださいよー。逃げられると追いかけたくなるんです」

 四つん這いに移動し始めたセリーナの背中を、私はドンと踏んだ。パキパキパキ。肋骨や細かい骨が折れる音と感触に恍惚とする。


 そう――私は血に酔っていた。

 母は、獣人族の王の中の王、人狼の乙女たる我が母リュリュシエンヌは、死に際にこう遺した。


 ダメよ。ダメよ。力に酔ってはダメよ。

 溺れてはダメよ。

 獣人族はもうこの大陸にほとんどいない。いないんだから。

 人間族の数の力には勝てないのだから。あなたはただの、背の高い女の子。それだけ。それだけになるのよ。いいわねジュルメーヌ。


「ああ、母上。ごめんなさい!」

 私は天を仰いで懺悔する。

 懺悔。私に許されたもの。


「ジュルメーヌはよい娘になれませんでした!」


 だって焼かれるの痛くて怖かったし。


 そんなわけで蹂躙を始めた。

 中庭に様子見にくる使用人は、もう誰もいなかった。そして警邏兵などに通報が行われることもない。だって、ねえ? そんなことしたら次は自分だって、よくわかってるものね。


 私は父の背骨をへし折り、エレナの顔面を殴って鼻を陥没させ、セリーナの指を一本一本折った。

 泣き叫ぶ声がうるさいので、喉仏のところを親指でえいっと潰し、あとはもう静寂じみた反響が残るばかり。ぜいぜいという喉の音、がぼがぼ、がぽぽと己の血に溺れる音。


「ふんふんふーん」

 と思わず鼻歌が漏れてしまうくらい、面白おかしく楽しいことだった、無抵抗の相手を半殺しにするのは!


 足の裏は非常に敏感な部分なのだという。私の爪はいつの間にか鋭く硬くなっていた。靴も靴下も脱がせてしまって、親子三人の片足をまとめて片手で持ち、もう片手の爪でずっぽずっぽ穴を開ける。血が出てくる。芳醇な香りだった。


 まだ蠢くのが気持ち悪いんだけれどかわいくて、体重をかけて太腿を押し潰したり、小さい骨から順番に折ったり、足首を持って振り回して身長を伸ばしてあげたりした。

「あーあ、これじゃ万が一治っても元通りの生活は送れませんねえ……」


 と言ってあげると、ただでさえ泣きじゃくっているのに新たに涙を噴出させる三人。

 さすがに哀れである。もう何も見なくていいように、眼窩に指を突っ込み眼球を潰してあげる。プチプチ、ぷりっ、とした感触と音にじんわり心が温まる。


 ああー……。温泉に浸かるときみたいに気持ちいい。

 うっとりしていると、足音がした。こんなことができる勇敢な使用人、うちにいたっけ? と振り返るとジークとアルだった。

 領地の郊外に住んでいる、羊飼いの父子である。


「やだ、どうやって屋敷に入ったの?」

「ここの使用人は不用心ですからな」


 父親の方、年老いたジークの言葉に私は眉を寄せる。あとで躾てやらなきゃならない。

「それで、何か用?」

「ただ寿ぎにまいりました、女王陛下」

「――女王?」


 私は父のちぎれた腕を投げて立ち上がった。ついでに足元に転がるセリーナの肩甲骨を踏んでぐりぐりする。ブチブチと靭帯がちぎれていく響きが楽しい。あーばばばば、と呻くのは誰だろう? 喉、もっかい潰してやろうかな?


 息子の方、アルが進み出てきた。

「アシュクロフト家の地下には、古代魔術文明の遺構とされる巨大な魔法陣が眠っているのです。獣人族が人間族と対等に渡り合い、王国をさえ築いていた時代の遺物です。伝承によれば――その魔法陣は『時間を歪める力』を持っているというのです。円環の紋章を中心にした幾何学模様が――」

「長い長い! 一言で」


 アルは諦めた。昔から弱虫なヤツだ。幼い頃はそのへんを一緒に駆けまわっていた仲なので、大人になった今でもなんとなくその感覚で見てしまう。


「アシュクロフト家の者の命を消費して、時を戻す、魔法陣です」

「あー、私、この中庭で死んだ記憶があるわ」


 ジークが深々と頷いた。白いもじゃもじゃの髭の中、黒い目がきらきら輝いていた。私の足元で裏切者どもが呻く。私はエレナの頭を蹴る。ばこんっ、頭蓋骨に新たな陥没が生まれる。


「それこそが我らが王陛下の証なのです、女王陛下――ジュルメーヌお嬢様。あなたが獣人として覚醒なさったことを、我らは気づいておりますぞ」

 わおおー……ん。

 はるか彼方、領地の最北端にそびえる北方山脈から、狼の遠吠えが聞こえた。複数。

 瞬間、私は幻視した。大地を駆ける四つ足。白い息、長い舌。鋭い鼻と耳。私の毛皮が風を感じるのを感じた。


 アシュクロフト家の家紋は狼。

 それは我らが人狼、狼の獣人族の末裔であるがゆえ。


「ふうーん」

 私は口元に手をやり、首を傾げる。


「つまり?」

「反乱を起こしましょう、ジュルメーヌ様。我ら獣人族の誇りに賭けて。我々は十分、待ちました。これ以上待つことはありますまい。あなたが女王となり、我々の国を打ち立てましょう」

「待って。母上は、私たちの数はもうそんなに残っていないと――」


「だって、そりゃあ」

 アルは呆れた顔でため息をつく。ナマイキな奴だなこのやろう。


「人間族にはそういうことにしていなくちゃ、討伐されちゃうじゃないですか。あとお嬢様みたいな突っ走って帰ってこない狼には、ますます孤独だと刷り込んでおかないと……こういうことになっちゃうから」

 彼につられて私は足元を見た。そこにいるのは私が半殺しにした父とその愛人と異母妹のはずだった。だが違った。


 お肉のかたまりが呻いている。

 おいしそう。たらり、口の端から涎がたれる。


「あーあ、もう。お父さん、お嬢様はとっくの昔に覚醒していたのじゃないですか?」

「そうかもしれんな。だがどう違う? 遅いか早いかだ」


 私はかがみ込み、四つ足になってお肉たちの上を行ったり来たりした。はあはあはあ。おいしそう、おいしそう。なんて――なんで気づかなかったんだろう? こんなに新鮮で、弱っていて、血肉滴る。


「覚えてる限り、『前』のとき、さあ」

「はいはい」

「うん」


「私が使用人の女の子を食べようとした、って冤罪くらって殺されたんだけどさ、あれってもしかして――」

「冤罪じゃなかったと思いますよ」

「儂も息子と同じ考えですじゃ。それがあなたの覚醒だったのでしょう」


 えーと。じゃあ。

「あんたたちは間違ってなかったわけだ。うわあ。かわいそうに」

 私は言った。お肉はぜっひゅ、ぜっひゅと脈動した。おいしそうな赤い血と黒い血が、ガゼボを染めていた。


 私はお肉を食べ始める。手を使わず、口だけで。

 歯は丈夫に、長くなり、食いちぎるのが簡単になる。おいしい。なんておいしいんだろう? どうしてこの味を知らずにこれまで生きてこられたんだろう?

 髪の毛が衣服と背中の合間にずるずる入り込んで癒着する。ざわざわ、毛皮になっていく。


 はあはあ。ふうふう。

 興奮のあまり息が苦しい。


「覚醒を、お戻りになったことを、お慶び申し上げます。女王陛下――」

 万感の思いを込めた声でジークは言う。


「うひゃあ、僕のときはこれほどじゃなかったですよ。せいぜい子リスを取って食べたくらい」

 嫌そうなわりに楽し気に弾んだ声でアルは言う。


 やがて山脈から仲間たちが駆けつけてくる。無数の、土色の、銀色の、銅色の、毛皮を着た我が同胞たちよ。


 ただ、今の私にそんなこと気にする余裕はなくて、ひたすらおいしいおいしいおいしいおいしいおいしいもっと食べたあい。それだけ考えている。

 鼻に抜ける血の芳香、血が固まったゼリーのするんとした舌触りを楽しむ。肉に齧りつき首を振って千切り取り咀嚼する。飲み込み、また食べ、もう一度。ひたすらそれを繰り返す。


 何かを殺して食うことこそが、人間族に紛れて暮らす獣人族が己に流れる血に覚醒するきっかけだとも。

 だから、己の手をあまり汚さない貴族ほど覚醒が遅れ、我が母のように我慢に我慢を重ねることしか知らない個体になってしまうのだ、ということも。

 今の私は知るよしもない。


 おいしい、おいしい。――おいしい!

 これ、もっと食べたあい。


 今の、そしてこれからの私に残る理性はそれだけ。

 悪逆人狼女王、誕生。

 私を火刑に処した彼らは正しかった。


 わかるのは、残るのは、それだけ。おいしくて、楽しくて、気持ちいいことばかりなのだ。

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