第6章 空を泳ぐ

授業のあと、レオンが話しかけてきた。

「今日の授業は真面目に聞いていたみたいだな。感心感心。」


以前から授業中に別のことを考えてしまうことはあったが、近ごろは特に多かったかもしれない。

今の僕は、既存の魔法理論では説明できないことを知りたいのだ。


レオンは僕の反応を気にも留めず、続けた。

「やっぱり風魔法使いにとっては特別な魔法だからな」


今日の授業は飛行魔法に関するものだった。

究極の風魔法――そう呼ばれている。


小さな頃は、風魔法を使えることが嬉しかった。

いつか自分も空を飛べるようになると思っていたからだ。


しかし、多くの魔法使いは途中で挫折する。

飛行魔法はあまりにも習得が難しいのだ。


風で身体を浮かせること自体は可能だ。

ある程度の魔力があれば、それくらいはできる。

ただし、他属性の攻撃魔法とは異なり、強力さと同時に極めて繊細な制御が必要となる。

それが、限られた天才のみが扱える「究極の風魔法」――飛行魔法だった。


「僕なんて、身体を少し浮かすことすらできないよ。ジャンプしたほうがマシさ」

僕は自嘲気味に笑った。


だが、そんな僕が今日の授業を熱心に聞いていたのには理由があった。

かつて完全に諦めた空への憧れ――それが、再び胸の中で目を覚ましたのだ。


僕の風魔法は、もう以前の形ではない。

風を操るのではなく、空気そのものの性質を利用する。

それが、僕の新しい「飛行魔法」になるはずだった。



まずは、とにかく「浮く」ことを目指した。

挫折した場所からの再挑戦だ。

風の力ではなく、空気の力を使って。


山で袋が膨らむ理由を考えたとき、僕は空気にも水のような性質があると知った。


水に浮く理屈は単純だ。

水より軽い木は浮かび、重い石は沈む。


空気の中の人間は、水の底に沈む石と同じ。

人間は空気より重いから、地面という空気の底に沈むのだ。


では、水中の石を浮かせるにはどうするか。

浮いている木に石を結びつければいい。

石よりもずっと大きく軽い木を使えば、重い石でも水面に浮かせられる。


ならば、空気の中でも同じことができるのではないか?

空気より軽く、しかも僕より大きなものを使えば、僕自身も空に浮かべるかもしれない。


だが――空気より軽いものなど、存在するのだろうか?


部屋を暖めると、天井近くほど暖かく感じる。

これまでは、ただそういうものだと思っていた。

けれど――空気には重さがある。そう知った今ならば、理解出来る。


温かい空気が上へと集まっていくのは、

木が水の上に浮かび上がるのと同じだ。


つまり、「熱い空気」は「空気」よりも軽いのだ。



実験は、いつもの実験室ではなく、ひらけた草原で行った。


今日はレオンにも正式に協力を頼んである。

普段は冷やかし半分で見に来る彼だが、今回は立派な助手だ。


道中、僕は実験の趣旨を説明した。

「うーん、なるほど?」

首を傾げながらも、彼は最後まで聞いてくれた。


「まぁ、俺の役割は理解した。任せておけ」

頼もしい笑みを浮かべる。


草原の中央に、準備してきた巨大な袋を広げた。

そしてその中に向かって、レオンに炎魔法を放ってもらう。


「本当に大丈夫なのか?」

炎の連打を続けながら、レオンが叫んだ。


「レオン程度の魔法では破れないらしいよ」

防御魔法の先生の言葉をそのまま伝えると、レオンがむっとした顔をする。


「ムカつく言い方だな。少し本気を出すぞ!」


炎が袋の中に注ぎ込まれるたび、袋はゆっくりと膨らみ始めた。

やがて地面に広がっていた袋が、立ち上がるように持ち上がっていく。


「おい、これって――」

「あぁ、どうやら上手くいきそうだ。」


温かい空気を含んだ大きな袋は、ふわりと宙に浮かび上がった。


「……やった」

小さく息を呑んだあと、僕はレオンに言った。

「お疲れ様。実験は成功だ。」



「確かに、あの方法なら空を飛べそうだったな。」

帰り道、レオンが言った。


「飛行魔法とは呼べないけどね。でも、これが僕のやり方――僕の“魔法”の形なんだ。」


温かい空気を含んだ袋で空に浮かぶ。

空気の海を直接泳げなくても、浮袋という船を使えば泳ぐことはできる。


「空気の中を泳ぐ、か。相変わらず意味不明だな。でも、あれは凄い。魔法じゃないのかもしれないが……魔法以上の何かだ。」

レオンは少し興奮気味に言った。


僕はその言葉が嬉しかった。

僕の魔法はまだ終わっていない。

それは期待から、確信へと変わりつつあった。



学院に戻ると、先生に実験の報告をした。


「やはり、仕事を放り出してでも見に行くべきだったな!」

レオンの勢いのままの報告に、先生は思わず笑った。


「今後の実験は、かなりの危険を伴う。私も次回からは同行させてもらうよ。」


そう。

次はいよいよ、僕自身を大空に浮かび上がらせる段階に進む。


浮かんだ袋の下に籠を取りつけ、その中に乗り込む計画だ。

レオンの炎魔法で空気を温め続ければ、きっと浮かべる。


だが、空気を温める手段は魔法である必要はない。

いずれは、魔法を使わずに空を飛ぶことも可能になる。

それが僕の目標だった。


魔法使いでなくても空を飛べる。

夢のような話だが、今はもう手が届きそうだ。



実験室の窓辺で風を感じながら、僕は空を見上げた。


鳥が大きな弧を描きながら空を舞っていた。

まるで空中を泳ぐように。


鳥は空気よりはるかに重いはずだ。

それでも、沈まずに空を渡っていく。


目を閉じて想像する。

両腕を翼のように広げ、風を切って空を舞う姿を。


その時、両腕が空気の力で押し上げられるような不思議な感覚があった。


翼の形――

空気の流れ――


鳥たちは、僕の知らない風魔法を使ってい

るのかもしれない。


その予感に、僕の胸は熱くなっていた。


(了)

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空を泳ぐ さくら @sakurai_sakura

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