第6章 空を泳ぐ
授業のあと、レオンが話しかけてきた。
「今日の授業は真面目に聞いていたみたいだな。感心感心。」
以前から授業中に別のことを考えてしまうことはあったが、近ごろは特に多かったかもしれない。
今の僕は、既存の魔法理論では説明できないことを知りたいのだ。
レオンは僕の反応を気にも留めず、続けた。
「やっぱり風魔法使いにとっては特別な魔法だからな」
今日の授業は飛行魔法に関するものだった。
究極の風魔法――そう呼ばれている。
小さな頃は、風魔法を使えることが嬉しかった。
いつか自分も空を飛べるようになると思っていたからだ。
しかし、多くの魔法使いは途中で挫折する。
飛行魔法はあまりにも習得が難しいのだ。
風で身体を浮かせること自体は可能だ。
ある程度の魔力があれば、それくらいはできる。
ただし、他属性の攻撃魔法とは異なり、強力さと同時に極めて繊細な制御が必要となる。
それが、限られた天才のみが扱える「究極の風魔法」――飛行魔法だった。
「僕なんて、身体を少し浮かすことすらできないよ。ジャンプしたほうがマシさ」
僕は自嘲気味に笑った。
だが、そんな僕が今日の授業を熱心に聞いていたのには理由があった。
かつて完全に諦めた空への憧れ――それが、再び胸の中で目を覚ましたのだ。
僕の風魔法は、もう以前の形ではない。
風を操るのではなく、空気そのものの性質を利用する。
それが、僕の新しい「飛行魔法」になるはずだった。
◇
まずは、とにかく「浮く」ことを目指した。
挫折した場所からの再挑戦だ。
風の力ではなく、空気の力を使って。
山で袋が膨らむ理由を考えたとき、僕は空気にも水のような性質があると知った。
水に浮く理屈は単純だ。
水より軽い木は浮かび、重い石は沈む。
空気の中の人間は、水の底に沈む石と同じ。
人間は空気より重いから、地面という空気の底に沈むのだ。
では、水中の石を浮かせるにはどうするか。
浮いている木に石を結びつければいい。
石よりもずっと大きく軽い木を使えば、重い石でも水面に浮かせられる。
ならば、空気の中でも同じことができるのではないか?
空気より軽く、しかも僕より大きなものを使えば、僕自身も空に浮かべるかもしれない。
だが――空気より軽いものなど、存在するのだろうか?
部屋を暖めると、天井近くほど暖かく感じる。
これまでは、ただそういうものだと思っていた。
けれど――空気には重さがある。そう知った今ならば、理解出来る。
温かい空気が上へと集まっていくのは、
木が水の上に浮かび上がるのと同じだ。
つまり、「熱い空気」は「空気」よりも軽いのだ。
◇
実験は、いつもの実験室ではなく、ひらけた草原で行った。
今日はレオンにも正式に協力を頼んである。
普段は冷やかし半分で見に来る彼だが、今回は立派な助手だ。
道中、僕は実験の趣旨を説明した。
「うーん、なるほど?」
首を傾げながらも、彼は最後まで聞いてくれた。
「まぁ、俺の役割は理解した。任せておけ」
頼もしい笑みを浮かべる。
草原の中央に、準備してきた巨大な袋を広げた。
そしてその中に向かって、レオンに炎魔法を放ってもらう。
「本当に大丈夫なのか?」
炎の連打を続けながら、レオンが叫んだ。
「レオン程度の魔法では破れないらしいよ」
防御魔法の先生の言葉をそのまま伝えると、レオンがむっとした顔をする。
「ムカつく言い方だな。少し本気を出すぞ!」
炎が袋の中に注ぎ込まれるたび、袋はゆっくりと膨らみ始めた。
やがて地面に広がっていた袋が、立ち上がるように持ち上がっていく。
「おい、これって――」
「あぁ、どうやら上手くいきそうだ。」
温かい空気を含んだ大きな袋は、ふわりと宙に浮かび上がった。
「……やった」
小さく息を呑んだあと、僕はレオンに言った。
「お疲れ様。実験は成功だ。」
◇
「確かに、あの方法なら空を飛べそうだったな。」
帰り道、レオンが言った。
「飛行魔法とは呼べないけどね。でも、これが僕のやり方――僕の“魔法”の形なんだ。」
温かい空気を含んだ袋で空に浮かぶ。
空気の海を直接泳げなくても、浮袋という船を使えば泳ぐことはできる。
「空気の中を泳ぐ、か。相変わらず意味不明だな。でも、あれは凄い。魔法じゃないのかもしれないが……魔法以上の何かだ。」
レオンは少し興奮気味に言った。
僕はその言葉が嬉しかった。
僕の魔法はまだ終わっていない。
それは期待から、確信へと変わりつつあった。
◇
学院に戻ると、先生に実験の報告をした。
「やはり、仕事を放り出してでも見に行くべきだったな!」
レオンの勢いのままの報告に、先生は思わず笑った。
「今後の実験は、かなりの危険を伴う。私も次回からは同行させてもらうよ。」
そう。
次はいよいよ、僕自身を大空に浮かび上がらせる段階に進む。
浮かんだ袋の下に籠を取りつけ、その中に乗り込む計画だ。
レオンの炎魔法で空気を温め続ければ、きっと浮かべる。
だが、空気を温める手段は魔法である必要はない。
いずれは、魔法を使わずに空を飛ぶことも可能になる。
それが僕の目標だった。
魔法使いでなくても空を飛べる。
夢のような話だが、今はもう手が届きそうだ。
◇
実験室の窓辺で風を感じながら、僕は空を見上げた。
鳥が大きな弧を描きながら空を舞っていた。
まるで空中を泳ぐように。
鳥は空気よりはるかに重いはずだ。
それでも、沈まずに空を渡っていく。
目を閉じて想像する。
両腕を翼のように広げ、風を切って空を舞う姿を。
その時、両腕が空気の力で押し上げられるような不思議な感覚があった。
翼の形――
空気の流れ――
鳥たちは、僕の知らない風魔法を使ってい
るのかもしれない。
その予感に、僕の胸は熱くなっていた。
(了)
空を泳ぐ さくら @sakurai_sakura
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