先行訃報症(プレ・オビチュアリー・シンドローム)

@zeppelin006

先行訃報症

 「最近、”先に訃報だけ出る病気”って知ってます?」


 編集部の若い担当が、ほとんど雑談みたいな口調でそう言ったのが、すべての始まりだった。


「先に、訃報?」


「はい。本人はピンピンしてるのに、ネットニュースとか役所のシステム上では“死亡扱い”になるやつです。なんか“奇病”っていう触れ込みで、まとめサイトにちょこちょこ出てきてて」


 僕はフリーライターだ。健康ネタからオカルトめいた都市伝説まで、書けと言われたものはだいたい書いてきた。だからそのときも、またアクセス狙いの与太話だろうと半分決めつけていた。


「診断名、ついてるんですよ。”先行訃報症”とか何とか」


「そんなの、ただのシステムバグじゃないの?」


「だったらそれはそれで、”バグが人を死者扱いにする時代”って切り口で書けるじゃないですか。インタビュー、取ってみません?」


 そう言われると断りづらい。

 僕は取材依頼のメールを出しながら、頭の中で記事の構成を組み立て始めていた。


◇ ◇ ◇


 最初に会ったのは、都内の大学病院に勤める精神科医・城戸だった。


「”先行訃報症”という名称を、最初に学会で出したのは私です」


 そう言って彼は、少しバツが悪そうに笑った。


「正式な病名というより、便宜上のラベルですけどね。最初は『またオカルト雑誌のネタだろう』って笑われましたよ。でも、症例が三件を超えたあたりから、笑えなくなってきた」


「症例、ということは……本当に患者さんがいるんですか?」


「”患者”と呼ぶかどうかは難しいところですが。医学的には、彼らの身体には目立った異常はありません。ただ──」


 城戸はデスクの引き出しから、一枚の紙を出して見せた。


 そこには、電子カルテのスクリーンショットが印刷されていた。


患者ID:***

氏名:** **

ステータス:死亡

死亡日:2024年5月17日


「この人、今も普通に生きてます。昨日も外来で会いました」


 ぞくり、と背筋に何かが走る。


「どういうことですか?」


「我々がこの人をカルテに新規登録しようとしたとき、すでに”死亡患者”としてデータベースに存在していたんです。死亡日も”未来の日付”で。最初は入力ミスかと思いました。でも、同じ現象が他のシステムでも起きていた」


「他のシステム?」


「住基ネット、保険会社、クレジットカード会社。どこも、”本人は死亡したことになっている”んですよ。もちろん、ご本人は心臓も動いているし、血圧も正常。ここに座って話もできる。なのに、社会の側が、”先に”彼を死んだことにしてしまった」


「……それが、先行訃報症?」


「ええ。 ”死亡情報が身体より先に広まる病”。そう仮に位置づけています」


◇ ◇ ◇


 城戸の紹介で、僕はひとりの女性に会うことができた。


 佐伯理恵、三十五歳。元派遣社員。

 彼女は、自嘲気味に言った。


「はじめまして。死亡者です」


「……そういう言い方、するんですね」


「だって、ほとんどの場所でそう扱われるんですもの」


 彼女の話を、簡潔にまとめるとこうだ。


 一ヶ月前、定期健康診断で受診したクリニックから大学病院への紹介状を持たされ、検査の予約を取ろうとした。ところが、その病院の受付で、こう言われた。


「申し訳ありませんが、この番号の方はすでに”死亡”として登録されています」


 冗談だと思った。

 だが、保険証の番号を打ち込んでも、同じ表示が出る。


ステータス:死亡

受診不可


「そのときは、事務の人も慌ててて。『バグですね』って上の人を呼んでくれて。結局、仮IDを使って受診させてもらえたんです。でも、そこからでした」


 その週のうちに、クレジットカード会社から「このたびはご逝去の報に接し……」という定型文の封筒が届いた。契約していた生命保険会社からは、「保険金請求手続きのご案内」が届いた。


 派遣元の会社に確認すると、人事システム上でも「離職理由:死亡」と表示されていた。


「もちろん、家族が何か手続きをしたわけじゃないんですよ。親はまだ元気だし、夫もいない。誰がいつ、私の”死亡情報”を流したのか、どこにもログが残ってない」


「役所の戸籍は?」


「そこは生きてました。戸籍謄本取ったらちゃんと“現に生存”って。でも、住民票コードを使う他のシステムでは、ところどころ“死亡扱い”。窓口のお姉さんも、『あれ、おかしいですね……』って首をかしげるだけで」


 彼女は苦笑した。


「面白いですよ。市役所では生きてるのに、勤務先では死んでて、病院では一度死んでて、保険会社では手動で復活させないといけない。私がどこまで生きてるのか、人によって認識が違うんです」


「生活には、どんな影響が?」


「派遣契約、更新されませんでした。理由は“システム上の問題”って濁されましたけど、”死亡したことになってる人間”を雇い続けるの、怖いですよね。あと、ネット通販のアカウントが一斉にロックされました。”ご遺族の方はこちらへ”ってリンクだけ出るんですよ」


 彼女は少し言い淀んでから、続けた。


「一番きつかったのは……昔の友だちが、『久しぶり!』って連絡してきたと思ったら、開口一番『え、まだ生きてたんだ?』って言われたことですかね」


「どういうことです?」


「高校の同級生のLINEグループで、誰かがどこかのまとめサイトの”訃報欄”に載ってた私の名前を見て、『理恵、亡くなったらしいよ』って回してたらしいんです。実名じゃなくてイニシャルでしたけど、年齢とか地域とか、妙に合ってて」


「それで、みんな……」


「『そうなんだ……』って、しばらくのあいだ、私を”もう死んだ人”として弔ってたみたいです。だから、『まだ生きてるよ』って返したときの、あの空気はちょっと忘れられないですね。『あ、死ぬ予定の人だったんだ』って目で見られる感じ」


 笑い話のように語りながら、彼女の指先はわずかに震えていた。


◇ ◇ ◇


「お医者さんには、なんて言われてるんですか?」


「『身体的には健康です。ただ、社会的には少し死にかけてますね』って」


 それを言ったのも城戸だろうな、と僕は思った。


「先行訃報症って、名前はへんに格好いいんですけど。要するに、”世界が自分を勝手に亡き者にしていく病気”みたいなものでしょう?誰かが私を殺そうとしてるわけじゃない。でも、”死んだ”っていう情報だけが、じわじわ広がっていく」


「ご自身は、”本当に生きている”と実感していますか?」


 自分でも意地の悪い質問だと思う。

 だが、聞いてみたかった。


 彼女は少し考えてから、首をかしげた。


「今この瞬間は、”生きてる”って言えますよ。でも、たとえば、病院とか役所みたいな、”自分の存在を確認してくれる場所”に行って、”死亡扱い”されるたびに、少しずつ、自分でも自信がなくなっていくんです」


「自信?」


「『本当に生きてる人間だったら、こんな扱いをされるはずがない』って思ってしまう。周りに”そう見られている”うちに、『そうなのかもしれない』って。……私が、今こうしてしゃべってるのも、死ぬ前の記録映像なんじゃないかって疑うこともありますよ」


 彼女は僕のICレコーダーをちらりと見て、冗談めかして言った。


「この記事が出たあとで、編集部の人が『この取材、いつのだっけ?』って思い出せなくなってたら──それが一番怖いですけどね」


◇ ◇ ◇


 城戸に聞くと、彼はあっさりと言った。


「私はこれは”奇病”だと思っています」


「事件や事故、ではなく?」


「もちろん、その側面もあります。でも、「先に訃報が出る」現象そのものは、明らかに”情報の側の異常”です。本人の心の状態に関係なく、勝手に走り出す」


「他に患者さんは?」


「私のところで診ていると確認できているのは、今のところ五人。ただ、”システム上死亡扱いのまま放置されている人”を含めれば、もっといるでしょう」


「共通点はありますか?」


「いくつかあります。ひとつは、過去に一度、自分の名前の訃報を見ていること」


「自分の名前の訃報?」


「ネット上のまとめサイトだったり、SNSのフェイクニュースだったり。たまたま同姓同名の誰かが亡くなって、その記事を何となく見て、『あ、名前が一緒だ』と軽くショックを受けた経験がある」


 僕は眉をひそめた。


「それと病気に何の関係が……」


「民俗学的に言えば、”名前を呼ばれる”ことは、呪術的な力があるとされてきました。”名前を書かれる/刻まれる”ことも同じです。彼らは一度、自分の名前が訃報欄に並んだイメージを受け取っている。それが、どこかで”未来の死亡記録”として固定されてしまったのかもしれません」


「偶然同姓同名の人の記事を見ただけで?」


「もちろん、科学的には何の因果関係も証明されていません。ですが、私が”奇病”と言うのは、そうした説明しきれない一致が積み重なっているからです」


「感染は?」


「興味深いことに、”先行訃報症”の患者と親しく付き合っている人ほど、同じような現象に巻き込まれやすい傾向があります」


「巻き込まれる?」


「例えば──」


 城戸はカルテの別のページを開いた。


「ある患者さんの母親が、携帯電話会社に連絡して、『この番号の契約を解約したい』と申し出たんです。理由は本人が死亡したから。しかし、その本人は目の前で生きていて、『そんな手続き頼んでいない』と主張している。母親は、『自分がそんな電話をした覚えはない』と言う。通話記録は残っている。音声も、確かに母親の声」


「……記憶違い、では?」


「もちろん、その可能性もあります。ですが、こうした本人の意思とは別に、周囲が先に訃報を流してしまうケースが、あまりにも多い。まるで、死んだことにしておかなければいけないという力が、どこかで働いているように見える」


「オカルト、ですね」


「私は医者ですから、『オカルトです』とは言いません。ただ、医学だけでは説明しきれない現象に、名前をつけているに過ぎません」


◇ ◇ ◇


 取材の最後に、城戸はぽつりと付け加えた。


「民俗学では、”人は二度死ぬ”という言い方があります」


「肉体の死と、忘れられること、ですか」


「ええ。誰もその人のことを覚えていなくなったとき、”二度目の死”を迎えると。先行訃報症の患者さんを見ていると、二つの死が逆転しているように思えるんです」


「逆転?」


「本来であれば、肉体が先に死に、記録や記憶があとから消えていく。ところがこの病では、”記録上の死”が先に走ってしまう。社会はその人を故人として扱い始める。にもかかわらず、肉体はしばらくのあいだ生き続ける」


「生きているのに、世界の側が忘れ始める」


「そうです。人事システムから名前が消え、保険の対象から外され、いないことになっている人として扱われる。それは、ある意味、”二度目の死”が先に来てしまった状態とも言えるでしょう」


 城戸はそのとき、少しだけ真顔になった。


「問題は──そのあと、肉体がいつまで持ちこたえられるか、です」


「寿命に、影響が?」


「はっきりしたデータはありません。ただ、不思議なことに、”先行訃報症”と診断された方の多くは、数年以内に、不慮の事故や急病で亡くなっています」


「因果関係は?」


「分かりません。でも、世界から先に死者として扱われるということは、その人の周囲の注意や配慮が薄れる、ということでもあります。そこにいるはずの人として見なされない。そうなると、不自然な形で危険に巻き込まれる確率が上がる、という推測もできます」


 医者らしい、慎重で冷静な言い方だった。

 けれど、その内容はぞっとするものだった。


◇ ◇ ◇


 取材を終えた夜。

 僕はパソコンの前で、自分のフルネームを検索してみた。


 同姓同名の人間は、日本中にそこそこいる。

 結婚式のスピーチ、地元の新聞のスポーツ欄、仕事の実績紹介。


 スクロールしていくと、不意に、違う雰囲気の文字列が目に飛び込んできた。


「訃報 ** **さん(37)○○市出身」


 血の気が引く、という表現はこういうときに使うのだろう。


 見覚えのない地方新聞のサイト。

 クリックすると、中身は別人のものだった。

 年齢も、出身地も、微妙に違う。


 それでも、その一行を見た瞬間、

 頭の中のどこかに「自分の名前の訃報」が刻まれてしまったのを感じた。


 ──城戸は言っていた。

 『患者さんは例外なく、一度、自分の名前の訃報を見ている』と。


 ブラウザを閉じ、小さくため息をつく。


「バカバカしい」


 そう言い聞かせながらも、

 ICカードの履歴を開く手が、わずかに震えているのを自覚していた。


 もちろん、どこにも「死亡」とは書かれていない。

 当たり前だ。

 だけど、さっき見た見出しの残像が、いつまでも目の裏に残って離れなかった。


◇ ◇ ◇


 この記事を書くにあたって、僕は何度も佐伯理恵に確認を取った。


 彼女はメールの最後に、ふとこんなことを書き添えてきた。


 最近、昔の友だちから少しずつ連絡が来なくなりました。

 こっちから連絡しても、“既読”だけがついて返事がない、ということが増えています。

 忙しいだけかもしれません。

 でも、“私のことはもう弔い終わっている”と思われているのかも、と考えると、

 ちょっと笑えて、ちょっと泣けます。


 もしこの記事が出ることで、

 『あ、理恵、まだ生きてたんだ』って誰かが笑ってくれたら、

 それだけで十分かもしれません。


 でも、数年後、この記事を読み返した誰かが、

 『あれ、この人どうなったんだっけ』って首をかしげて、

 そのまま忘れてしまうのだとしたら──

 それもまた、“二度目の死”なんでしょうね。


 奇病。

 オカルトじみたシンドローム。

 診断名がついた都市伝説。


 どう呼び名を変えたところで、

 そこにあるのは、ただひとつの不穏な問いかけだ。


「社会が先にあなたを死んだことにしたとき、あなたはどこまで、生きていられるのか」


 今のところ、僕はまだ、どこのシステム上でも「生存扱い」だ。

 この記事が公開されるころには、きっとそれも変わっていないだろう。


 ただ、ときどき考えてしまう。


 何年か後、誰かがこの文章を読み返したとき、 『このライター、今どうしてるんだろう』と思い、検索し、何もヒットしなかったとしたら。


 ──そのとき、

 僕の「先行訃報」は、どこで、誰に向けて、

 ひっそりと発行されているのだろうか、と。

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